第16話

 月と星が浮かぶ夜空は、天上に広がる黒い海原。

 大地を見下ろす星々に照らされ、複数の人影が浮かび上がる。


 小高い丘の上。

 そこからリッケル侯爵の屋敷を遠巻きに見つめるのは、ルーデットとペルーシュカ、そして三人の”調律兵”である。


 リッケル侯爵が住まう土地は、大陸の中央付近に位置する森林地帯の手前。

 ここから先は”震源の森”と呼ばれる、未だ踏破されてたことの無い、深く険しい森が続いている。

 ”震源の森”は大陸のほぼ三分の一の面積を占めるほど広く、その奥には原初の姿を残した魔物がひっそりと暮らしているともいわれている。


 そんな、誰も寄り付かない土地が、ズオウ五世直属の戦闘集団、”月の家族”に与えられた今回の仕事場所。

 

 ルーデットの隣。

 そこで屈伸をしたり、ちょこまかと走り回るチビナースの姿があった。


 義足の着用具合を確認する、ペルーシュカである。

 いつものナース帽とナースドレス姿の彼女が装着するのは、人の肌を模した義足では無い。


 見た目は銀。

 竜鱗を重ね合わせたようなスケイルブーツは、ルーデット特製の戦闘用義足。

 歴王国アルピアに伝わる伝説の凶鳥、その名を取って”マルヴァーク”と名付けた義足である。

 凶鳥から名前を取った通り、その爪先は三つに分かれ、踵からも一本の鉤爪が伸びている。

 ペルーシュカが力を込めると、つま先の三本と踵の一本、計四本の鉤爪が、「わしわし」と閉じたり開いたりを繰り返す。


「どうだ、行けそうか」

「バッチリです、私は準備完了ですよ!」


 ルーデットに聞かれ、銀の義足を装着したペルーシュカが小さく頷く。

 

 これで、準備は整った。

 事前に、作戦は連絡済み。

 あとは個々が与えられた仕事を着実にこなすだけ。


「みんな、頼むぞ。存分に暴れてくれ」


 ルーデットが言うと、ガラ、レジェ、ナットの三人は無言で頷き、屋敷に向けて歩き出した。

 

▽▼▽


 最初に動き出したの、ナットだった。

 彼が屋敷の上空から『挨拶』するのが、作成開始の合図。

 首にぶら下げていた大きなゴーグル。それを目に装着すると、背中を隠していたマントを脱ぎ捨てる。


「今日の風はちょっと弱いな……けれど、悪い風じゃない。屋敷の上空くらいまでなら、楽勝で飛べそうだ!」


 ナットの背中。そこには小型の鞄のような物体が装着されていた。


 ただの鞄では無い。


「今夜も飛ぼう、”ウェントス”。夜空が僕らの仕事場だ!」


 ナットが宣言すると同時。

 背中に装着する鞄――それが腕を伸ばすように左右に展開した。


 ナットが背中に背負うのは、内部に叡晶石と疑似背骨、そして飛行翼を収納した小型の格納庫。

 ルーデット特製の翼型義肢”ウェントス”である。


 動力は、ナット自身。

 彼が魔力を操り大気に呼びかければ、それは小柄な体を浮かせるほどの突風となって返ってくる。


 可変翼が突風を受け止めると、小ナットの体は地上数十メートルにまで、一気に飛翔。


「やっぱり、何回やってもスゴイ! 魔女先生の翼、僕の風魔法と相性バッチリ!」


 星が輝くだけの夜空は、まるで抵抗のない夜の海を泳いでいるようで、平衡感覚を失いそうになる。

 ナットはリッケル侯爵の屋敷に灯る微かな明かりだけを頼りに、姿勢を制御。


 屋敷の上空にまで移動したナットは、腰にぶら下げたポーチから丸い物体をいくつか取り出す。

 それはナット特製の爆薬。


 ナットの役目――それは夜闇に乗じて高高度から爆弾投下。

 相手を混乱させ、ルーデットの屋敷侵入を助けるための狼煙である。


 悪戯っぽく笑う少年は、放るよう爆弾を落とす。

 爆炎を封じ込めた魔力感知式の爆薬は、ナットが微かに魔力を注ぎ込むと、真っ赤に発光。

 そのまま地上に落ちれば、見た目以上に派手な爆発と炎が巻き起こるという仕組み。

 夜空から地上に向かって落ちる無数の爆薬。

 真っ赤に輝き、光の筋を残して落下する様は、小規模な流星群にも似ていた。


▽▼▽


 ナットの爆撃。

 それは襲撃の合図となって他の”調律兵”へと伝わった。


 闇に響く爆音と炎。

 屋敷を直撃する衝撃は凄まじく、当然、正面扉には守りを固めるために多くの兵が集まり、騒然としていた空気に満ちていた。


「よぅ、邪魔するぜ」


 そんな兵の集まる中。

 ふらりと現れたのは、ガラ。


「こんにちは~」


 その背後から続くおっとりした声は、銀鎧に身を包んだレジェである。


 爆撃の直後。

 いきなり現れた謎の男と大鎧に、兵士たちは殺意を剥き出して武器の切っ先を向けた。

 

「おうおう、自己紹介すらさせてもらえねェのか。そうとう怒ってるじゃねーか」


 むき出しの殺意に、ガラが焦って肩をすくめる。

 けれど、それでいい。


 相手は頭に血が昇り――同時に不意の爆撃で恐怖している。

 もう、敵の注意はガラ達に一点集中。

 他に屋敷に忍び込もうとしている者がいることなど、ここに集まる兵士には考える余裕すら無いだろう。


 ガラは押し寄せる殺意に応じるように、自身の右腕を掲げる。

 手首から先の無い、丸く太い腕。

 その先端から、白銀色の刃が飛び出す。


 肉厚の刃は、”特殊義装”。

”スレードボルグ”と名付けられた両刃の騎士剣である。


 腕から剣が伸びだした様子を見て、兵士たちがどよめき立つ。

 けれど、抜き身の武器は敵対心の証し。

 兵士たちは互いに顔を見合わせると、一斉に斬りかかってきた。


「んじゃ、おっぱじめるか。レジェさんよ、危なくなったら下がりな」

「お気になさらず、これくらいの相手なら大丈夫よ」


 互いに短く声をかけあうと、戦闘開始。


「いくぜェえええええ! 雑魚がいくら集まっても、俺様の敵じゃねェんだよ!」


 ガラは兵士たちの群れに突っ込むと、存分のその右腕を振るう。


 右腕の”特殊義装”には、叡晶石が組み込まれている。

 ガラは普通の人間。体内に魔力は有していても、それを魔法という形で発現することは出来ない。

 しかし、”叡晶石”の力により、魔力はガラの体内を駆け巡り、その身体能力を大きく強化。


 敵兵が振り下ろす無数の刃。それを紙一重で避けると、右腕を一閃。

 ”スレードボルグ”の肉厚の刃が、兵士たちの武器だけを的確に狙い、破壊。

 

 ガラは魔力による強化によって常人の数倍を誇る動体視力と圧倒的な怪力を手にしていた。

 ただの一撃で、複数の武器を破壊――敵兵からしてみれば、戦う気も失せる化け物的な強さである。

 武器を失った兵たちは、格の違いを悟りあっさりと後退。

 金で雇われているだけの忠誠心など、こんなものか。とガラは鼻で笑った。 


▽▼▽

 

 暴れまわるガラの少し後方。

 そこで、レジェも武器を構える兵に囲まれていた。

 

 レジェを取り囲む兵士たち。

 その表情には怒りが浮かんでおり……全員が、弱く震えていた。


 武者震い――では、無い。

 震えの原因は、単純に『寒かった』から。


 今から数年前。

 レジェは王都で魔術を研究する魔導士だった。

 けれど、事故か策謀か。

 得意とする冷気魔法の実験中、手違いにより魔力を暴走させ、手足に重度の凍傷を負ってしまう。


 一命は取り留めたが、代償として彼女は両腕と両足を失い、魔力の制御が効かず、冷気魔法を垂れ流しにしてしまうという重度の魔術障害まで負ってしまった。


 周囲の者を全て凍らせる氷結の力は、とても日常生活が送れるレベルでは無かった。

 

 そんな彼女を救ったのが、ルーデットの祖父、エルムンドが開発した魔力を閉じ込める鎧牢。


 内部に叡晶析を宿し、レジェの暴走する魔力を鎧内部へと押し留めるそれは”ケルバロン”と呼ばれる”特殊義装”である。

 

 ”ケルバロン”は大型ゆえに多機能。

 魔力を宿した特殊繊維を筋肉代わりとし、レジェが纏うことで鎧の手足を我が物同然に動かすことの出来る義肢としての役割も兼ねていた。

 

 大型にして堅牢。レジェの冷気魔法が合わされば恐ろしい兵器と化す。

 けれど……レジェはもともと魔術の研究を中心とする、学者筋の人間。

 

 だから戦闘においても、自分から攻撃する、ということは無い。

 現に今も、剣を持った兵士たちに囲まれているというに、ボーッと立ったままで戦いの姿勢すら見せていなかった。


 そんな無防備な姿に、兵士たちは容赦なく剣を振るう。

 専守防衛。

 そこで初めて、レジェが動きを見せた。


「あら、危ない」


 呑気な声と共に。

 レジェの白銀の篭手が、振り下ろされる剣を『ガギンッ!』と硬質な音と共に受け止める。

 

 飛んできた落ち葉でも受け止めるような気軽さだった。

 そして、レジェが少し力を込めて剣を握りしめると……鉄の刃に霜が走り、白く濁る。

”ケルバロン”から漏れる冷気。それが鉄の剣を氷柱の如く冷却。


 そのまま「えいっ」と掛け声とともに手首を返すと。


 鉄の剣がぼきんっ、とあっさりと折れた。


 過冷却により、金属の靭性が失われ強度が大きく低減。

 レジェがちょっと力を入れただけで、小枝のように鉄剣が折れたのだった。


「ごめんなさい、剣、折れちゃった。はい、返すわね」


 レジェが剣の刀身を差し出す――けれど。


 夜の闇が恐怖心を助長したのか。


 闇夜から現れた鎧女。

 背筋を凍らせる冷気を放ち、剣をへし折る姿はもはや人間とは思えなかったのだろう。


 先ほどまで戦意と殺意を漲らせていた兵士たち。

 その大半が、悲鳴を上げてその場から逃げ出していた。

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