第2話

 戦いの喧騒が止むと、ルーデットはゆっくりと馬車を前進。

 火の手がまわる商隊を眺めながら、鋭い目つきを更に細める。

 

「ふむ、やはり盗賊だったか……白昼堂々、ご苦労なことだな」


 言いながら黒い前髪をかきあげて、周囲を見渡す。


「水は、近くには無いか。なら風だな」

 

 言って、浅く目を瞑ると右手を天に掲げる。

 太陽を掴むように伸ばす手。その五本の指には、それぞれ異なる宝石のはめ込まれた指輪が輝いていた。

 そして、ルーデットが祈る様に口中で静かに呪文を呟く。


 刹那。

 街道に突風が吹き荒れた。

 遥か彼方に見える山脈より吹き降ろす地風。それが平野へと寄り道をするように、強く吹きつけたのだ。


 突風は商隊を飲み込む勢いで吹き荒れ――そして、燃え盛る炎を攫って行く。

 土埃が周囲に舞い、商人たちが驚きに目を閉じている数秒間。

 その間に、炎は綺麗さっぱり吹き消されていた。


▽▼▽


 炎が鎮火したことを確認すると、ルーデットは商隊に接近。

 自分が医者であり、負傷者の治療を行うと申し出た。


 商隊のリーダーで遍歴へんれき商人のルベンは当初、女性であるルーデットが医者だと言っても信じなかったのだが、素早く傭兵の一人を手当てしたことで、すぐに態度を軟化。


 ルーデットは傷の深い者から順に手当てを行う。

 幸い、死者や重傷者はいない。ペルーシュカが迅速に事態を収めた証拠だった。


「それにして、災難でしたね」


 言いながら、ルーデットはルベンの手に包帯を巻く。


「いやぁ、派手にやられました。奴ら、物を盗むよりも先に、積み荷に火を放ちまして……商品の半分近くが売り物になりませんよ」


 ルベンはぽっちゃりと太った、顎髭を生やしたおっさん。

 脂肪の垂れ下がる顎をさすりながら、何とも無念そうにうつむく。

 聞けば、ルベンは街道の先にある自治都市アマルセアまで、羊毛を加工した衣類を運んでいるとのことだった。


 港が発展し、王国より自治を得たアマルセアは、大陸でも有数の繁栄を見せる都市。

 ルーデットと同じ目的地。

 もしかしたら自分が盗賊に襲われていたかもしれないと考えると、どうも他人事には思えなかった。だから、手当の費用も格安で請け負っている。

 

「ルベン殿、そう気を落とさないで。よければ素晴らしい薬をお譲りしましょうか。私が調合したのですが」

「は、はぁ」

「この薬を塗れば、完治に10日かかる怪我が――なんと、9日で治るんです!」

「それはすごい……ん、ですかね?」

「ええ、すごいですよ。その代わり、塗った瞬間、死ぬほどの激痛と痒みが襲ってきますけど。しかも、毎日塗らないと効果は消えます」

「だったら塗らないで10日間安静にしてますよ!」

「まぁまぁ、この薬があれば切り傷とおさらばですよ。独特の臭さと粘性を持ったこの軟膏を、私は”老婆の涎”と名付けました」

「怪我の前にネーミングセンスがおさらばしてますけどね!」


 自分の怪しい薬をゴリ押しするルーデットに、ルベンは手当てが終わると礼を言って、急いでその場から走り去ってしまった。


「ちっ、やっぱり簡単には売れないな。成分が悪いのか? いや、やっぱり臭いか……この薬、作った私が言うのもなんだが、めっちゃ臭いからな」


 そもそもルーデットは外用治療の医者ではない。この軟膏は研究の副産物。

 捨てるのももったいないので、適当な薬草をぶち込んで作った、効果も怪しい傷薬だった。

 

 と、”老婆の涎”の小瓶をしげしげと眺めていると。


「ルーデット様、ルーデット様! 大変です!」


 商隊の様子を見に行ったきり、姿を消していたペルーシュカが慌てて駆け寄ってきた。

 短い金色の髪がぱたぱたと宙で踊っており、なかなか緊急事態らしい。


「どうした、ペル。大変って、狼でも出たのか」

「すごい! 近からず遠からず、です!」

「はぁ?」


 呆れて首を傾げるが、ペルーシュカはルーデットの腕を掴むと、強引にひっぱる。

 連れて来られたのは、最後尾の馬車。

 ペルーシュカはその荷台を指さす。「登れ」と言っているらしい。


「なんだ、面倒くさい。こんな場所に怪我人でも隠れているのか?」


 と、荷台に上ったルーデットは、物陰に隠れる少女を見つけて、表情を少しだけ引き締めた。


 それが、ただの幼い女の子では無かったから。

 頭に「ぴょこん」と立った耳。

 スカートからはみ出す尻尾。


「獣人の娘か……」


 ルーデットが知る限り、獣人とは海を挟んだ隣の大陸――そこに存在するグルギア帝国に住まう種族。

 草原と山岳が広がるグルギアにおいて、獣人は大地を駆け狩猟を行う野性的な一族である。

 

 それが、どうして人間が住まう土地――しかも、商人の馬車に隠れていたのかが分からなかった。


 気になるのは、それだけではない。

 

 ルーデットは顎に手を当てながら思案。顔をグッと少女に近づける。

 同時に、切れ細の目――右の瞳が、青白く怪しく光った。

 太陽の下、寒々とした深海色の輝きがルーデットの瞳から溢れる。


 しばらくするとルーデットの瞳は輝きを鎮め、かわりに小さく嘆息。


「お前、目が悪いんだろ」


 言われ、獣人の少女が動揺するように瞳を震わせた。


「わ、分かるんですか?」


 初めて聞く獣人の少女の声は、幼さの残る甲高いもの。

 ルーデットはまず、彼女を安心させるため緩く笑って頷いた。

 

「あぁ。体内を廻る魔力、その流れに偏りがある。私の目はちょっと”特殊”でね。魔力の流れに敏感なのさ」


 ルーデットは自身の右目を指しながら、薄く笑う。


 獣人とは、かつて大陸に存在した”魔物”の遠い末裔。

 その常人離れした身体能力は、全身に魔物より受け継いだ強力な魔力を巡らせていることが原因。

 けれど、獣人の少女は瞳に集まる魔力が極端に弱い。

 それは強靭な身体を有する獣人にとって、その部位が脆弱であるということ。


 目の悪い獣人が、商人の馬車に隠れていた――これはいったい、どういう状況なのか。

 ルーデットは顎に手を当て、思案しながら獣人の少女をジッと見つめる。


「あ、あの……」


 緊張感に耐えかねたのか。

 獣人の少女が、おっとりした瞳を伏せ、ルーデットに頭を下げた。


「お願いします、私のことを見逃してください……」


 言われ、ルーデットは小さくかぶりを振る。

 

「見逃すって、このまま馬車に隠れてどうするつもりだい。いずれ、他の人に見つかってしまうよ」

「大きな街に――アマルセアに入ったら、馬車から抜け出します。誰にも迷惑はかけません……お願いします」


 どうやら、彼女はアマルセアに――大陸最大の港湾都市に向かいたいらしい。

 けれど、それはきっと不可能。


 都市部に入る際の検問では、全ての積み荷をほどき、中身を確認する。

 自治都市を良く思わない、周辺貴族の嫌がらせ対策だ。


 まして、海を挟んで反対の大陸にしか住んでいないはずの獣人が潜んでいたとなれば、誘拐、奴隷、人身売買――遍歴商人のルベンにはあらゆる疑いがかけられるだろう。


 それを告げると、獣人の少女は瞳を震わせ、声を殺して静かに泣き出してしまった。

 ルーデットはめんどくさそうに嘆息した。

 子供は嫌いだ。すぐに泣きだす。

 泣かれてしまうと、話が出来なくなるから。


「ねえねえ、ルーデット様」


 ルーデットの白いシャツ。その裾を控えめに、ペルーシュカが引っ張った。

 振り向くと、スカイブルーの瞳が困ったように左右に垂れている。


「あの、この子なんですけれど――」

「助けてやれというのか」


 先にルーデットに言われ、ペルーシュカが低く「こくん」と頷く。

 数年来の付き合いだ。ペルーシュカの言いたいことは、聞かなくても分かってしまう。

 が、ルーデットは首を横に振った。

 

「あのな、ペルーシュカ。この娘はどう考えても訳アリだ。そして、私はそんな面倒ごとに首を突っ込むつもりは無い」

「お願いします、ルーデット様……可哀そうですよ」

「だからって、連れて帰れと言うのか? 馬鹿らしい、小娘の家出につきあうほどのお人好し見えるか、私が」

「そ、そうなんですけれど……」


 うるうると瞳を瞳に涙をためて視線を上げるペルーシュカ。

 そんなペルーシュカの隣で、獣人の娘もきらきらした瞳でルーデットを見つめてくる。


 視線が、痛い。


 ルーデットは対抗するように持ち前の目つきの悪さで二人を睨むけれど――徐々にその目から険しさが薄れていく。


「やめろ! そんな目で見るな! 私は嫌だぞ、自分から厄介ごとに首を突っ込むなんて!」


 ふん! と鼻息荒くそっぽを向くルーデットだが――獣人の娘とペルーシュカは、ルーデットの側面に回り込み、強引に目を合わせてくる。


「お、お前ら……私に泣き脅しが効くと思うなよ!」


 と、怒鳴ってみるが。

 獣人の娘とペルーシュカは、さらに瞳を潤ませてルーデットを見つめる。

 そうして、一分くらい見つめ合った結果。


「……………………くそっ」


 ルーデットは、諦めたように首を横に振った。

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