魔女先生と調律の兵隊

@mikan556

第1話

 大陸最大の自治都市へと続く三十年街道は、今日も快晴だった。

 ガタゴトと幌馬車が奏でる車輪の音は規則的で、一定周期で眠気が襲ってくる。


 季節は夏。

 街道を囲む小麦はしっかりと実をつけ、天に向けて穂を掲げている。

 昨年の秋に種まきをした小麦も、そろそろ刈り入れの時期だ。

 麦の刈り入れは短期間に、一斉に行われる。そうしないと、麦の品質が落ちてしまうから。

 農家はこれから、富に忙しくなるだろう。


 とはいえ、単調な街道の景色は実に退屈。

 欠伸を噛み殺し、口に加えたパイプから肺いっぱいに煙を吸い込んで吐き出す。

 それで、少しだけ眠気が和らいだ。


 馬車の御者席に座るのは、長い黒髪の女性。

 名前は、ルーデット・フィルクラム。


 細い輪郭の上に、ツンと立った鼻と色素の薄い唇、尖った瞳が並んでいる。

 長い黒髪は暗幕のようで、吸い込んだ光をそのまま離さない。

 年齢は22歳。

 白いシャツの上に埃避けの黒い外套を羽織り、ズボンも黒色。

 男装を思わせる服装だが、それは彼女の仕事柄、女性物のひらひらした服が邪魔ですぐ汚れてしまうから着ていないだけ。

 

 どこか冷たく見える顔つきだが、今はそこに眠たそうな色を浮かべており、彼女の刃物的な迫力も幾分かなりをひそめていた。


 と、のんびりと進む馬車がゆっくりと速度を落とす。

 ルーデットが、弱く手綱を引いた。


「あれは……煙か」

 

 街道の先。

 そこに、ゆらりと立ち昇る黒煙を見つける。

 道端で旅人が焚火――なんて、しているわけがない。真昼間だ。

 この辺りには村も無いから、近隣の村人が何か催しているわけでも無いだろう。


 さらに近づけば、低く響く叫び声や悲鳴――喧騒が徐々に大きくなっていく。


「もしかして、盗賊か? こんな朝から、堂々と」


 額に手を当てると、ルーデットは短く嘆息。

 このまま馬車を進ませて、自分達も襲われるわけには行かない。


 けれど、回れ右をして引き返すつもりも無かった。

 盗賊が居るということは、戦闘が行われているということ。

 そうなれば、ケガ人が居る――それを前にして逃げるような真似は出来ない。


 ルーデットは医者である。

 恐らく王国に五人もいないであろう、大学を出て資格を所持した正規の女性医師。

 今日は街道を真っすぐ行った先にある自治都市アマルセアで週市が開かれる日。

 ルーデットは、そこで出張診療所を開くために移動中だった。


「おい、ペル。ペルーシュカ! 聞こえるか!」


 幌馬車の荷台に叫ぶと、「はーい」と快活な声が返ってきた。

 しばらくして、馬車の荷台を降り、御者席をひょいと小さな顔が覗き込んできた。


「なんでしょう、ルーデット様」


 現れたのは、白いナースドレス姿の少女。

 年齢は15歳くらい。

 稲穂と同じ金色の頭髪と、青空色の瞳を持った快活そうな女の子だ。

 頭にちょこんと乗せたナース帽を整えながら、透き通った視線がルーデットを見つめていた。

 

「あそこの煙、見えるか」

「え、煙……? あ、本当だ」


 ペルーシュカは大きなブルーの瞳をぱちぱちさせて、街道の先を見つめる。


「盗賊に旅人が襲われているのかもしれない。お前、ちょっと行って様子を見てこい」

「わっかりました!」


 ルーデットが命じると、ペルーシュカは大きく頷く。

 小さな看護婦は準備運動を開始。背筋を伸ばして、腕を回して、小さくぴょんぴょんジャンプ。


「じゃ、行ってきます!」

「ああ、頼むぞ。何も無ければ、すぐに帰ってこい」

「はーい!」


 ルーデットが言うなり、ペルーシュカは走り出した。

 小さな足底が大地を蹴り上げると、その体は打ち出された砲弾の如く加速。

 ドンッ! と地を踏み鳴らし、整備された街道を暴れ馬の速度で疾走した。


「……面倒ごとが起ってないといいけれどな」


 ルーデットは言いながら、のんびりとパイプをたしなむ。

 相手がただの盗賊ならば――ペルーシュカ一人でそこそこ戦えるだろう。

 何も心配する必要は無い。


 ルーデットは夏の暑さにうんざりするように、御者席に座ったまま大きく欠伸をした。


 ▽▼▽


 街道をダッシュで移動したペルーシュカは、喧騒に近づいたところで何が起こっているのかすぐに把握する。

 

「やっぱり、盗賊だ! 商隊が襲われてる!」


 黒煙の正体は、荷馬車に放たれた炎。

 そこに黒衣を纏った男たちを見つけた。


 金の眉をギュッと寄せ、ペルーシュカは顔をしかめる。

 争いごと。それは、彼女がこの世で最も嫌うモノ。

 

 馬車の数は五台、あまり大規模では無く、護衛の数も少なそうだ。


 商隊の護衛は七、八人。 

 対して盗賊は二倍近い人数が居る。


 護衛の傭兵達は商人や積み荷を守りながら戦っており、すでに押されはじめていた。

 このままでは、数分もしないうちに商隊は全滅してしまうだろう。


 倒れた商隊の護衛――その息の根を止めようと、剣を振り上げる盗賊。

 ペルーシュカは、そんな盗賊の前に飛び出すと、大きく手を広げて叫んだ。


「乱暴は止めて下さい! どうして、そんな酷いことをするんですか!」


 ペルーシュカの訴え。

 けれど、盗賊にとってはただの雑音。

 いきなり現れたナース姿の少女に少しだけ躊躇いを見せつつも、盗賊はペルーシュカに容赦なく斬りかかってきた。


 仕方がない、とペルーシュカは唇を噛みしめる。

 振り下ろされる剣。

 太陽の光を浴び、鋭く輝く銀光に向け、ペルーシュカは足を大きく振り抜く蹴撃を見舞う。


 ナースドレスから伸びる、ペルーシュカの細い脚。

 それが剣の刀身を直撃すると――剣が、中ほどからぼっきりとへし折れた。


 何が起こったのかと、盗賊が後退り、折れた剣を震える瞳で見つめる。


 対して、ペルーシュカは腰を落とし、いつでも蹴りを放てる戦闘態勢を維持。


「退いてください! 次は、あなたの腕か足の骨をへし折りますよ!」


 小柄な少女が見せる、獣の気迫。

 盗賊は折れた剣を手に背を向けると、脱兎のごとく逃げ出した。


 ペルーシュカは「ふぅ」と小さく息を吐く。


「大丈夫ですか? 立てますか?」


 襲われていた商隊の護衛を助け起こす。

 腕に浅い切り傷があるが、命に別状はない。 

 護衛を馬車の影に移動させると、ペルーシュカは励ますように力強く頷いた。


「ちょっと、ここで待っていて下さい。すぐに、お医者様も来ますから!」


 言うと、ペルーシュカは戦闘が続く商隊の列へと突っ込む。


「戦いは、止めて下さい! 人から物を奪うなんて、とっても悪い事ですよ!」


 叫びながら、ペルーシュカは目についた盗賊に、片っ端から飛び掛かる。

 

 チビナースの蹴りは、次々と盗賊の武器を破壊。

 武器を失い、逃げ出す盗賊たち。

 すかさず傭兵達が反撃に転じれば、徐々に形勢は逆転。


 けれど――血の気の多い輩は戦闘を続行。

 商隊の最後尾。ペルーシュカから離れた場所で、商人と思しき人物に斬りかかろうと、盗賊が血眼で躍りかかっていた。


 鋭い斬撃。

 間に合わない。


 咄嗟に判断すると、ペルーシュカは盗賊と商人の間に飛び込んでいた。

 

 そして、膝を曲げて盾のように自身の体の前に構える。

 盗賊の斬撃は真横に宙を滑ると、ペルーシュカの足を直撃。

 細く、色の白い脚があっさりと切断――は、されなかった。


 斬撃は、ペトルーシュカの脛。そこに深く刃をめり込ませたところで、止まった。

 それどころか、盗賊が慌てて引き抜こうとしても、剣は抜けない。

 まるで――巨大な大木に、刃を喰い込ませてしまったかのように。


「この義足、すごく高価なんですよ! あんまり傷をつけないで下さい!」

 

 驚き、困惑する盗賊にペルーシュカが叫ぶ。

 盗賊は剣の回収を諦め、あっさりと逃走。

 

 ペルーシュカは足を下すと、脛に喰い込んだ刃を引っこ抜き、地面に投げ捨てた。


「もう、大切な足が傷ついちゃいました。これ、直してもらえるかな……」


 傷ついた足をなでなで。

 魔力の加護を施した神木で作られた義足は、生半可な攻撃では切り裂くことは出来ない。

 けれど、それ故に恐ろしく高価な代物――きっと、ルーデットに怒られるだろうなと、ペルーシュカはちょっと眉を落とした。

 

 気を取り直して、尻もちをついて放心する商人に手を伸ばし、なんとかその場に立ち上がらせる。

 商人は何度も何度も頭を下げて、大げさなくらいお礼を言った。

 

 幸い、大きな怪我もない様子。ペルーシュカも安堵に笑みがこぼれる。


 と、商人がペルーシュカの元を離れ、商隊の被害状況を確認に向かうと。

 積荷を満載した馬車――幸い、火の手を免れた荷台で、何かが動くのを見つける。


「……もしかして、まだ盗賊が隠れている?」


 口を「むっ!」とへの字に曲げると、足音を殺し、こっそりと馬車に近づく。

 そして、


「隠れてもダメですよ! 出てきなさい!」

 

 バッ! と勢いよく荷台を覗き込む。

 けれど、威勢はすぐに鎮火。代わりにペルーシュカの瞳に動揺の色が浮かぶ。


 荷台に隠れていたモノ。

 それは、ペルーシュカよりもまだ年齢の低い、少女だった。


 たぶん、十歳とか、それより少し上くらい。

 身に纏うのは、貴族が着るような豪華なドレス――のおさがりみたいにボロボロで継ぎ接ぎだらけの粗末なもの。

 髪の毛の色はブラウン。長く、肩にかかるほどの長さだが、最近は洗っていないのか、ちょっと脂ぎって艶を失っていた。


 見た目は貴族のようだけれど、近くで見れば、乞食のように見えてしまう――不思議な格好の女の子だ。


 そして、ペルーシュカがじっと見つめるのは、彼女の足元。

 はだけるスカートからのぞく、白い足。

 そのすぐ隣で、ふさふさの尻尾が小さく震えていた。

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