第1話 残された者と残してきた物

「お前など、あの時死んでしまえば...!」

ある男がそう言った。


「貴方なんか産まれて来なければ良かったのに」

ある女がそう言った。


「私達は誰が何と言おうと家族だ」


果たすべき義理があって。


「うっ...うっ」


部屋で静かに涙を堪える誰かが居て、俺は...



「助けて...誰か助けてよッ...お兄ちゃん」





急に浮上する意識。

周りは既に朝なのか眩しい太陽が木々の隙間から此方を灯す。

焚き火はその役割を終えるように灰と僅かな火種を残すのみとなっていた。

男はおびただしい汗をかきながら座りながら寝ていた自分を知覚して...


魘されていたのか...


何とも不甲斐ない自分への嘲笑が漏れそうになって袖に違和感があった。

みると俺のマントを寝袋代わりにくるまった、銀のエルフが昨日の涙を未だに浮かべながら俺の袖を僅かに掴んで眠っていた。


その様子が余りにも眩しくて...男にはそれが人が犯してはならぬ聖域に思えた。


そうして、小さな手をそっと袖から放すと男は静かに立ち上がり周囲の気配を探る。


どうやら近くに小川が有るらしい、今日の朝食を取りに向かうとしよう。


小川へ歩く最中、男は洞窟の方角へ目をやると未だに黒い煙が微かに立ち込めている。

それはたしかにこの場所を支配してきた者達の終焉を告げる狼煙のようであった。


木へ跳躍し洞窟へ視点を飛ばすと、どうやら焼けたゴブリンの死体に群がるものとそれを追ってきた魔物とで混沌としており、中にはサイクロプスまで暴れている始末であった。


やはりあのゴブリンの軍団はかなりのテリトリーを持っていたのだろう。

今はその空いた席の取り合いと言ったところか...


だが此方の方の森は静かで良かった。

時折手頃な枝を拾いながら小川へとたどり着く。

この深さなら魚の一匹や二匹位居るだろうと思いながら。







適当に魚を採った後、焚き火まで戻ると既に少女は起きておりマントを胸に掻き抱きながら 不安そうに周りを忙しなく見ている。 男を見つけると瞠目し、ほっと息を吐きそれを誤魔化す様にキッと睨みながらいった。

「置いていかれたと思った」

その抗議の目線を無視しながら脇から魚を3匹取り出し、順に枝に刺しながら焚き火に近づける。

「魚...」

「そうだ、朝食を取りに行っていた、昨日は何も食って無かったしな」

「お前も腹は減ってるんだろ、なら食える時に食っといた方がいい」

「...うん」

それから、二人で魚がだんだん焼けていくのをただ見る...静かな時間だけが流れる。

「イリウ」

「あぁ?」

魚がそろそろ焼けるかと言うとき少女は口を開いた。

余りにも唐突だったため男が咄嗟に聞き返す。

「だから私の名前、お前じゃなくてイリウ」

「あぁ名前か、俺は...異邦人エトランゼって此方じゃ勝手に呼ばれてる」

エトランゼ異邦人?」

少女が聞き返す。

それはなんと言うか人間の名前に使わない。どちらかと言うと二つ名の様な響きがあった。

「ああ、黒髪も殊更に珍しいが何より黒い瞳何て見たこと無いらしい、故に異邦人だと勝手につけられた訳だ」

焚き火の火を整えながらそう口にする男の瞳や髪は黒色でエリウでさえ見たことが無い。

だが最も特出すべきは顔だろうか余りにも美しく、そして険しい。

誇り高き狼がそのまま人の形を象っているかのような...

「綺麗...」

「____?」

余りにも小さな言葉に男は聞き取れなかったのか目線を送る。


「う、ううん何でもない!えっと、じゃあエトランゼじゃ長いからエトって呼んでもいい?」

思わず漏れた言葉に赤面し誤魔化す様に話題を変える少女。

「勝手にすればいい」

様子の可笑しい少女に特には触れず、そう言いながら男は魚に塩をまぶして行くと一本に取りかぶり付いていく。



それを見た少女も魚を手に取り恐る恐るかぶりつく。

少女の顔が僅かに驚いて。

「...美味しい」

「魚は初めてか」

「うん、川魚なんて市井の人達の食べ物だったから...子供が家族と一緒に食べてるのを見て羨ましいって思ってた...」

「...そうか」


そうして昨日よりはマシな顔して二匹目を頬張ろうとしている少女を見て、男は少しだけ安心した...





そうしてどちらも腹拵えを済ませ、此処から程近い村へ向かっている最中、男の背中へ少女は声をかけた。

「私を強くしてほしい」

「どうして」

男は背を向けたまま少女に問いかける。

「それは...自分の弱さで誰かを失わないために、自分の力で守りたいものを守れるようになりたい」

それは、震えた声でありながら決意に満ちた声でもあった。

齢10位の子供がどれ程考え、男に師事しようとしているのか...

その少女の言葉に男は少女へ初めて体を向けその暗い暗い瞳で少女をみた。


瞬間、体を襲う強烈な圧力。


体が細胞が全身全霊でこの男から逃げろと絶叫する。

その瞳から逃れたい本能に少女は必死に抗う。

この瞳をから自分の目を逸らせば少女の願いは聞き届けられないと分かっていたから...


一瞬とも永遠とも思われた男からの圧力は男が瞳を閉じ口を開いた事で幕を閉じる。

「分かった、エリウお前を鍛える」

その言葉にやった!と体を跳ねさせる彼女は、先程の決意の様子とはかけ離れ年相応の女の子に見えた。

「ただ、俺もそこまで魔術に詳しい訳じゃ無い」

喜ぶ少女に釘を指すように言う。

「どちらかと言うと武器の使い方や戦闘の心構えになる」

「それでも良いのか?」

少女は跳び跳ねるのをやめて、今度は震えもせず男の目を見てハッキリと言った。

「それでも私は、私とエリザを救ってくれたエトに教えてほしいの」

男にはそれが、重なるはずも無い誰かに似ていて...

「...分かった、為らばこれはお前に渡す」

そう言って男はイリウに魔弓を渡した。

「これは...」

それは見紛うこともないエリザの魔弓であった。

「その弓にはお前の名が刻まれていた」

「え」

その言葉にイリウは驚き、弓の側面にナイフか何かで自分の名が刻まれているのが見えた。



「その部分は厳重に布に隠されていた、俺も夜の整備で気がついた位に...」

「うん」

「どんな気持ちでエリザがお前の名前が刻んでいたのかは知らん」

「うん」

「だがエリザきっと自分の得物をお前に使って貰いたかったんだろうな...気の早い事だ」

「...うんっ」

少女は自然と涙が止めどなく溢れるのを感じた。


だって少女は知っていたから...


城でエリザが自分に事ある毎に弓を教えようとしてメイド長に怒られてきたこと。

または、狩りに出て私がユル鹿を射ぬいた時は誰よりも喜び、影で手元の魔弓を見てはクスリと笑っている所を...


エリザが私を本当に大切に思っていたことを知っていたから...


だから少女はもう二度と魔弓を放しはしないようにグッと両腕で抱いて泣いた。

嗚咽は無い...だって戦士になった私が声を出して泣いては、ヴァルハラのエリザに心配をかけてしまう。


だから少女は静かに、静かに涙を流し続けた。

もう一生分の涙を此処に置いて、共に...


エリザの分まで共に歩むとと決めていたから...




村が見えてきた頃、晴れやかな表情のイリウが口を開く。

「エリザが森を抜けたら一度此処に泊めて貰うって言ってた場所だ...」

「でもその前に小鬼の集団に襲われちゃったから」

「ん?俺はこの村から出発したのかと思っていたが?」

「どうして?」

「いや、ここの村の村長がエルフがゴブリンに捕まったかも知れないと王都へ依頼を出していたからだ」

「だから俺はお前たちがあのゴブリンの巣を襲った側だと思っていた」

「違うよ、だって私達はイリウ山脈を越えて此方に来たんだもん」

「なに...?お前の故郷は太陽の沈まぬ国アメン・ラーでは無いのか」

「ううん、私達はユミル山脈の更に奥、エルフの古都月翳ぬ国ヘカトスから此方へ出てきたのだもの」



いや...だがそれでは辻褄が合わない。

なぜならだ。

じゃあ村長が言っていたゴブリンに捕まったと言われるエルフとは誰の事だ...?



男の中で疑惑が急速に膨らむ


そうして近くの村にたどり着く二人。

ここは何処にでもある開墾村。

ユミル山脈に隣接する森林からお化けスギと言われる高く太い木材を切り出し建材として様々な都市へ送られる。


その内の一つでしか無い名前もない村であった。


そんな村に少女の方は兎に角 、男は入った瞬間に誰かに見られている感覚が男の考えを断ち切らせる。


村の周囲には人の気配が無い、憩いの場である広場にも...だか村人の家からは人の視線を感じる。

窓の僅かな隙間からは親子が此方を伺う様に見ているも視線が合うとすぐに窓を閉られた。


だが気持ち悪い視線の正体は村人からでは無いような気がした。


いやそもそも最初から可笑しかった気がする。

俺がこの地へ来たのは王都のギルド長からの指名があったからだ。

たしか...オーガが率いているとされるゴブリンの巣にエルフが捕らえられた可能性が有ると...顔に傷があり子供に良く泣かれるギルド長の、珍しく納得のいっていない顔が印象深かった。




何かを見逃している様な...

最初に来たときも異様に村から人影が見えずその依頼を出した村長としか喋っていない。

その中で、自分の中に生じた疑問をこの姫様と呼ばれた少女に問う


「なぜお前たちはアメン・ラーへ行こうと?」

「お母様の産まれ故郷なの、エリザはお母様の護衛官で...」

そこで少女は一瞬声を詰まらせるも言葉を続けた。

「私を生んだ瞬間に亡くなってしまわれたみたい...だから産まれた時からエリザと一緒だった」

「お父様もお祖父様もお城の皆もとてもいい人達...でもある集団が来てから皆少しづつおかしくなっていったの。」

「だから、エリザは私をアメン・ラーへ連れていこうとしてた」

「ある集団?」

「うん、その集団はお祖父様にこう名乗ってた約束の地へ向かう者カナンの民って」

「カナンの民...」


少なくとも男はそんな集団の心当たりは無かった。


そう言うとちょうどこの村で一番立派な家屋の扉に着いた。


村長の家である。


「イリウ、俺から離れるな」

「え?」


そう言うと男はイリウの肩に手をやり、男と半ばくっつくように扉を叩いた。

いきなりの事にイリウは困惑し男を見上げことしか出来ない。


「少々お待ちください!」


家屋の奥から村長の遠い声がして扉が開く


「お待ちしておりました、ささっお入りください」

そう言うと四十代位でどちらかと言うとなよっとした白髪混じりの村長は脂汗をかきながら男たち招き入れた。



男と少女は村長に居間のテーブルへと案内され半ば強引に席へ座らされる。

男も長居する必要も無いのか、早速村長へ話を進めた。

「では、依頼の進捗の前に聞いておきたいことがある」

「村長が言っていたエルフとは金髪のエルフ隣にいるこのエルフで間違いないか?」

なぜ村長はそんなことを聞かれているのかわからない様な顔で肯定を示す。

「たがこのエルフはこの村に入る前に襲われたと聞いているが」

「それは...うちの若いのがエルフたちがゴブリンの集団に襲われいるのを見たと言っていましたので...」

そう言う村長の顔には明らか変化は無い。

「それでは其方の方がゴブリンに襲われていたエルフなのですね」

「そうだ、もう一人の方はこの少女を最後までゴブリンから守り亡くなった」

「そうですか...」

そう言うと村長も痛ましげに顔を伏せる、少女も男を握る手が強くなった。


「ですが、少女だけでも無事でよかったです」

「ここは、エルフの村が近いのかたまに団体方が食料の補給などで立ち寄りますのでそこでエルフの少女を故郷へ送ってもらえると思うのです」

「提案なのですがその時まで村に滞在してはどうでしょうか?」

村長はそれが良いと一人で納得しているのか何度も頷く。


その言葉に少女は不安な目を男に向けた。

その目線にそんなことはしないと目を送る。

それで意図が伝わったのか少女少し安心していた。


そうしていると、冒険者様も喉か渇いたでしょうからと村長が奥へ声をかけ村長の妻だろう人がハーブティーをコップに注ぎ二人の前に並べた。

そのハーブティーは色が良く程よい温度なのか湯気もたっていた。

少女は何の警戒も無くそれを飲もうとしたので、テーブルの下でその手を男が何食わぬ顔で止めた。


「おや、飲まないので?」

村長が聞いてくる。

「いやその前に聞いておきたい事がもう1つあった」

「なぜ村の住人はゴブリンの巣がオーガが率いていると分かったんだ?」

その言葉に村長の顔も紅茶を勧めた笑顔で固まる。

「戦ったから分かるがあのオーガは部下にある程度は任せ、どうしようも無くなった時にしか出てこないタイプだった」

「それを一介の村の連中が突き止めたとは考えられない、いやそもそもこの村の住人ではあの哨戒区域を越えられるとは思えない」

「一体誰に教えられた...」


「いや...若い衆も...大袈裟に報告してしまわれたかもしれません」

「権威ある王都のギルドが指名依頼を出すほどにか?」

「...」

今度こそ、村長は黙る。

そうだ本来ならその報告が正しいのか調査隊を先ず出すのが常識だからだ...が調査隊抜きに討伐指令を出せるのだ。

一介の、それこそ開墾村の村長が出せる代物では無い。


「それに、この出されたハーブティーは飲めない」

「な、なぜでしょうか色が悪いでしょうか、ならば早速と、取り替えましょう」

そう言って妻へハーブティーを入れ換えろと怒鳴ろうとして。

「ソレシオの花か...」

その男の呟きに村長は完全に青い顔をし、口をパクパクと開くことしか出来ない。

少女も青い顔をしてハーブティーを凝視した。

それは回復薬に使われるシロナ草に非常に似通っている花であり。

その強い睡眠作用は誤って傷口に塗り込めばたちまち大の男一人を睡眠へと誘いその間、魔物に腹を貪られようが起きることも無く死んでしまう悪魔の花である。

その即効性とシロナ草と同様の分布率から子供の頃から誰しもが大人に教えられる毒草の一種である。


「匂いだ、匂いだけがシロナ草との見分け方だこのハーブティーからはソレシオの僅かな酸味の香りがした」


村長の顔は俯いて伺い知れない。


だが一介の開墾村の村長がこんなことをする理由が思い浮かばない何故こんな...


「何故こんな事を...?」


男は只々疑問だった。

「わたしは...なんてことを...」

すると俯いていた村長がボソボソと口を開き。

「おい」

様子の可笑しい村長を問い質そうと肩へ腕を伸ばしたところで...村長の涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔と妻の泣き声と思わしき声が俺に...

「神よ...娘を...どうかお守りくださいっ...」


ゴトッ


村長の上着から机の上に、は転がる。


それは、30年前の時代。

魔都エンデバランにて『』と言うコンセプトで作られたそれは。

マナとオドが反発し合う性質を利用し中のオドに周囲のマナをぶつける代物であった。

中に入れるオドは誰のでも良く、入れてさえ仕舞えば後は投げても設置してもよし。

その利便性故、リオナ戦役にてあってさえに民間人を殺害したそれは




「バカがッ!!!」


強化により急速に五感が引き伸ばされる感覚。


瞬間、大気を震わす爆音が家を包んだ____





















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