孤独なエトランゼ

渚 雄咲

暗躍する思想

プロローグ ある洞窟にて

鬱蒼とした森を歩く男が要る。


男の足取りは既に目的地が有るのか余りに淀み無く迷い無い。


するとそう遠くない場所から聞くに耐えない、喋り声と呼ぶのも烏滸がましい音の雑音が聞こえてきた。

男はするとその場で足を止めその音がこちらに来るのを待っていた。


程なく草陰からぞろぞろと小鬼どもが駄弁りながら出てきた。


まず小鬼の中でもさらにみすぼらしい斥候が気が付いた。自分達の目の前に見知らぬ人間が立っていることを。


その男が余りにも近くに立っているものだから驚いたのだ。

まず男の装いは普通ではない。ボロボロの異様に長い黒いマントを羽織っていた。

これ程の、いくら鬱蒼と言える森の中でも目立つ装いを、自分が逃したことなど無かったから驚いたのか。

そして次の瞬間には『敵襲!』と叫ぼうと息を思い切り吸い込んで...


その言葉が出ることはなかった。



何故なら既に頭と胴が泣き別れていたから。


故に斥候の最後に見た景色は何処にでもあるショートソードを横薙ぎに振り終えた、生物とは思えないほど暗い目をした男だけであった。


ゴブリンの6匹からなる一個分隊は先頭の斥候の首が落ちた時に初めてその男を認識出来た。それほど陰が薄くまた本来ならこのような距離に近づかれるまで気付かない訳のない存在感をしている人間であった。


それゆえに不気味で恐ろしかった。


そして一番再起が早かったのは後ろの弓兵であった。

驚くほど早い2連射、小鬼の一生にあって間違いなく一番の早打ちである。

それは出会ったことの無い死に対する生への発露であったのか...


男の頭と心中に真っ直ぐに延びる弓矢、小鬼は獲った!と思った次の瞬間、男の手がブレたかと思うと弓矢に一瞥もなくどちらも掴んでいたのだ。


『あり得な』そう思想する頃には目と心中に自分が放った筈の弓矢が刺さっていた。

この時間、わずか瞬きの間であった。


そうして弓兵と男だけの時間が終わる頃に分隊長らしき小鬼のウォークライの響きと共にもう一匹の小鬼と同時に迫ってきた。

もう一匹は此方を一瞥もせず巣へと駆けていく恐らく伝達係と思われた。


ならばこの分隊長達は殿なのだろう。


「見事」


この世界では何の意味もない言葉の羅列、『日本語』がつい、口からこぼれでた。


そうして男は懐のショートソードへと手を掛けた。


故に決着は一瞬であった。





伝令係である小鬼は無我夢中で走っていた。

こんなに走ったことなど奇術が得意な耳長に斥候部隊の大部分が壊滅させられた時以来であった。

だがその耳長でさえ頭領との戦いで孕袋にされたはず...


だがあの男はそれ以上の脅威に伝令は感じていた。


早く我らの拠点にこの襲撃を報せなければ...!

そう意思を固く限界を超えて足を動かすとその伝令に並走してくる二つの影があった。


それはウェアウルフに跨がる人に迫ろうかと言う程のゴブリンであった。

人里の人間がその姿を見たら英雄ゴブリンと顔を青ざめさせたであろう。

其ほどまでに小鬼と英雄ゴブリンでは体格も装備も一線を画していた。


『どうした、ここは哨戒地域では無いだろう?』


二人の内の一人がそう言う


『見テッ...はッ!...わから...ないのかッ!』


『内の分隊がッ...一瞬でッ...はぁヤラレタ!!』


『後ろからッヤバイ人間がいるッ...この情報を拠点に...伝えないとッイケナイ!!』


本来ならこの無礼な言葉使いを咎めるところなのだろう、事実もう一人の新たに誕生した英雄ゴブリンは眉をひそめていた。


だが余りにも伝令の必死な姿にそれどころでは無いとリーダーがもう一人を睨んだところで後ろから感じた事の無い悪寒を感じた。


『来たッ!!』


伝令が青ざめたで様子で全力で走りながら後ろを振り向く、それにつられるように二人も振り向いた。


原初の恐怖を呼ぶ起こされる黒が迫っていた。


其ほどまでに黒いマントの印象的な男がそこにはいた。

余りにも生気を感じられない顔と目は今から起こる死を幻想させた。


二十間はあった距離がどんどん縮んで行く。


森に不馴れな人間があれほどの速度で駆けてくることなど異常であった。


『オォォオぉぉぉおおおお!!!』


『オイ!!』


その雰囲気に呑まれた若い英雄ゴブリンが隊長の制止を振り切りウェアウルフと共に突貫する。


そのゴブリンの獲物は此方の世界で言えばフランベッジュと言われる蛇腹の剣であった。

高い技量と膂力が必要になるこの武器は英雄ゴブリンが持つに値する剣であった。


もし斬られれば傷が治りにくくその場所は腐り落ちるであろう。


防具も冒険者から奪ったのか軽量の印刻さえ刻まれたミスリルの胸当てと甲冑に身を包んでいた。


ウェアウルフの上背と自分の上半身を合わせれば二メートルはあった。


それ故に上段からフランベッジュを振り下ろせば誰だって叩き切れた...そうそれが常の相手で有れば、彼のゴブリンは何一つ間違えてはいなかったのだ。





隊長が見たのは上段に構えた部下が今にも振り下ろそうした瞬間に男の手が煌めいたかと思うとウェアウルフは斜めに部下は上半身と下半身がズレていく光景であった。


そうして部下とウェアウルフが後ろでズレ落ちていく光景を見ることも無く迫ってくる男の得物をみた。


それは何の変哲もないショートソードであった。


その事実が先の異常な結果をさらに不気味な物にしていた。


ならば奴は剣技のみであの結果を出したと言うのか、ミスリルにさえ身に包んでいた部下を!


そしてつい、自分の得物に目をやった。

それは魔具と呼ばれる特殊な効果が付与された無限の魔力矢と追尾性能を持った弓であった。

あの耳長の仲間を殺したことで進化し、その褒美として下賜された物であった。

既に半身とも言うべき自分の得物を見て先程までの動揺は無かった。

その顔は己が死地を決めた戦士の顔であった。


≪エワズ≫


そう、呟くと伝令の体は風の様に軽くなり、先程までの心臓が張り裂ける程の苦痛が何処かへ消えていった。


『その足で必ず、あの男の情報を届け、最大戦力にて迎撃を備えるよう衛士長ハダルが言っていたと近衛に伝えろ』

『それで事態の重さが伝わるであろう』

『俺はその迎撃の準備の時間をこの体が首だけに為ろうとも稼いで見せる...頼んだぞ』


伝令は衛士長の顔を見た。

その顔は穏やかで目は湖の様に凪いでいた。


すると後ろからバツン!!と言う聞いたことも無い音が聞こえると人間が走りながら木を握力だけで毟っている音であった。


そうして走りながら投擲の構えを取り...

『早くイケ!!!!』

その衛士長の言葉に伝令は我に帰るのと男が放つ木の散弾と衛士長の魔力矢が衝突するのは同時であった。


ズバン!!と言う驚くほどの音と共に伝令はそれから後ろを見るのを辞めた。

それよりも一秒でも早く何よりもまず拠点へと足を動かした。


『うぉぉぉぉぉおおおおおお!!』


その間、衛士長の叫び声が頭から離れはしなかった。





拠点前、森を拓いた場所にて近衛長の魔道ゴブリンは憤っていた。



伝令から、ハダルの言葉を聞き、こうして大隊を編成し待ち構えるのも良い。


ここまでの対応を人間高々一匹にするのも、まぁ良い。


だが何よりも腹立たしいのは先程から5部隊目となるゴブリンライダーを中心とした斥候部隊が誰一人として送った森から帰って来ないことであった。


その為か眼前の我らが森が今は、暗い暗い不気味な森に感じて仕方がなかった。


『くそッ一体どうなっているのだ』


そう、悪態が口をつく


最悪、敵が何処まで進行しているか掴みたかったのにこれでは現れてから時間の掛かる陣形魔法を展開しなくてはならなくなった。


それだけで後手に回るしその時間を稼ぐ大楯部隊の損傷も多大なものに成るだろう。


そう考えていると、森から一人の人間が出くるのは同時であった。





大楯部隊のホブゴブリンの一人であるゴームはその人間が出てきた瞬間...


否、その人間が左手に持っている生首を認識した瞬間に脂汗をかいた。


それは自分が生まれたときにはゴブリンの英雄であったハダルの苦悶に満ちた生首であったから。


その首にゴームの回りのましてやベテランと言われた隊長までにも動揺が広がる、ザワザワと。


その人間はこの近衛長率いる大隊を見ても動揺も恐怖もしていなかった。


『ドン!ドン!ドン!ブォォォォン!』


その異様な雰囲気に息も忘れ目を逸らさぬ事しか出来ない前衛部隊を正気に戻したのは戦端の合図である大槌の音と後方の弓部隊への一斉照射の法螺笛の音であった。


その合図と共に雨と見紛う程の弓矢が男に殺到するも男はハダルの生首をおもむろに後ろに放り散歩でもするかの様に弓矢の中を歩いていた。


男はなにか魔術を使った様子も特別なことなどなにもしていない、ただ歩き、当たりそうな矢を手で払い或いはそのショートソードで払っているだけであった。

忌まわしきバンシーの群れにさえ壊滅的な被害を出して退けた我が弓兵部隊の弓を。

それはどれ程異常な光景なのだろうか ...


『ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!』


それからすぐ効果が無いと見るやメイジゴブリン達による集団陣形魔法の詠唱と大楯部隊の前進の足並みが揃うように一定間隔の大槌の音が響く。


『うぉおぉぉぉぉぉぉお!!!!!』


それは恐怖を克服せんとした大楯部隊の絶叫であった。

土埃をあげ、弛まぬ訓練によって、足並みを揃えながら走り、前進する度に死の気配が濃くなるのをゴームは感じていた。

ホブゴブリンと下級ゴブリンからなる上下の大楯部隊はさながら巨大な壁であった。


そうして男をそのまま壁が引き潰すかと言うときに...


ドン!と一際大きい音がなり『応!』と新米だろうとベテランだろうと声を一つにし盾と盾の上下の盾の隙間から必殺の槍が殺到する!


が気づけば上下無数の槍が半ばから叩ッ切れていた。

その光景を茫然と見ることが出来ずオデは...


そうしてオデの方へ男はおもむろに近付いて...


『なにぼさっとしてやがるゴーム!!!』


そうして防具の襟足をグッと後ろから引っ張られ必殺の間合いから逃れると同時にその場へ躍り出たのは訓練で一番厳しかったニグ隊長であった。


そうして隊長は何人もの訓練兵を吹っ飛ばしてきた渾身のバッシュ放つも男がショートソードを振ると赤い花が咲いたみたいに、隊長が文字通り縦に別れた。


その隊長の命をかけた隙を縫う様に、暗殺部隊の上級ゴブリン二体が後ろからホブゴブリンの肩を経由する軽業で人間に迫り、二刀にてその首を跳ねようとするも人間はどんな力をしてるのか縦に割った隊長の半身を掴むと無造作に振り回し、上級ゴブリン二体を只の地面の赤い染みに変えた。


そうした壁の隙間から後ろのゴブリンメイジ達が集団陣形魔法の展開をしているところが見たのか男は迎撃から進攻への姿勢を見ようとしたところで、左右から叫び声をあげながら大楯部隊と前方から暗殺部隊が迫る。

そこから先は乱戦でありながら虐殺でもあった。


まず左右の大楯部隊の同期の陽気なグルとホブゴブリンとしては珍しい神経質なザザが盾もろとも真っ二つにされる。

そこに続いた名も知らない上級ゴブリンが足の隙間から地を這うように迫るも頭を蹴られ無惨に破裂した。


一番体格の良いノーイルは腕を捕まれ男に振り回さる度に上級ゴブリンもホブゴブリンも冗談みたいに撥ね飛ばされる。




こんな事があって良いのか俺たちはただ懸命に生きているだけなのに...こんなゴミみたいに...

悔しさと怒りと、仲間が死に行く悲しみでゴームはどうにかなりそうであった。


その怒りに呼応する様に筋肉が蒸気をあげる。

無我夢中で地面に落ちている血まみれの槍を拾う。

いまだ男を中心に大楯部隊と暗殺部隊が入り乱れながら虐殺の光景が広がっている。


『オデらはお前なんかに殺される為に産まれてきたんじゃない!!』


それは優しさ故に本来の力を出しきれなかったゴームの、種族の限界を超えた槍捌きであった。


その余りの早さに槍の周囲の空間が歪む程であった。


そうして男の頭を貫くと行ったところで急に男が首を傾け後頭部からの槍を避けた!

だが避けきれなかったのかその頬には赤い切り傷と驚愕の表情が浮かんでいて...

ゴームはざまあみろと頬を歪める。

更に追撃しようと槍を引こうとした所で...体に力が入らないことに気が付いた。


気付けば、自分の体を見下ろしている異常事態に頭を混乱させた。


そう頭の無い自分の体が...


その光景が自分が今首を切られている事を気づかせた。


だが、自分の体は、首は、絶対ショートソードが届く所では無かったのに...


すると火の粉の様な鱗粉が周囲を漂い始める。

魔道部隊の多重陣形魔法が詠唱完了間近なのか...


故に前衛部隊全員が近衛長の意図を汲み取っていた。


そうして男が空中の幾何学魔法陣へ斬撃を飛ばそうとした所で、死体に扮していたホブゴブリンも応戦していた上級ゴブリンもその阻止がこの化物への勝機と言わんばかりに殺到する。


その行為が、血反吐を吐くほど鍛えた武芸が通じないこの化け物から、生まれ育った場所を守る為に自分たちが出来る唯一の行為だったからか...





そうしてゴームが最後に見た光景は男が斬撃を飛ばしながら、近くに死兵として張り付く前衛部隊を切り刻み、大五節からなる一つの魔方陣を男が斬った所で...


瞬間、閃光が大地を覆う





『放て!!』


あの化物が前衛部隊の捨て身の特攻を受けてさえ空中の一節分の魔方陣を斬るにも構わずに魔道ゴブリンのジャバンは号令を放つ


放つそれは、神話の時代、大陸の一つを焼き滅ぼしたと言われる聖別の光。


どうやら人間が信じる神とやらは魔力と正しき魔方陣さえ在れば誰にだってケツを振るらしい。


その証拠に目の前には業火の地獄が広がっていた。


轟々と広がる黒煙と仲間達が焼ける臭いがした。

前衛部隊の仲間たちの臭いが...

若いメイジゴブリンは極度の魔力欠損と臭いで嘔吐していた。





『すまないお前たちに私は故郷の為に死ねと言ったのだ』




心の中で前衛部隊への深い敬意と謝罪がジャバンの中に浮かんでは消えていく。


そう黒煙の中を動く人影を見るまでは...


『そんな...馬鹿な...』


もはや呆然とそう呟く事しか出来なかっ

た。


何かが悪かったのではないゴブリン達は常に最善手を選び続けたのだ懸命に...


ただそれをものともとしない怪物が往々にして世界にはいると言うだけ。


その人間は、命を徒して故郷を守ろうとした英雄の亡骸を四、五人抱えながら黒煙から出てきた。


男は歩きながら、その肉壁を無造作に落とし体周りの煤を手で払い落としていた。


その亡骸は余りの火力に防具は半ばから溶けており、一番の上の亡骸は肉が炭化さえしているにも拘わらず男は黒マントが焦げて穴だらけになっているだけであった。


確か、魔道メイジが音に聞こえし聖別の光は当たれば跡形もなく燃え尽きる程であった筈...

五節在れば亡骸は消滅させ男に届き得る程の熱量を届ける事が出来たのに...



火力が足りなかったのだ。




そうして悠然と魔道ゴブリンの元へ男は歩みを止める。


呆然と膝を着き空を見上げる者とすべてを呑むような暗い瞳で地を睥睨する者...


既に決着はついていた。


だから描写される事も無いだろう。

死を体現する者と魔力が欠損した50余りのゴブリンの結果など只の殺戮と相場は決まっている。









男が洞窟の中を進む。

男の予想に反してゴブリンの抵抗も、罠も無かった。

先の戦場にてこの洞窟の全ゴブリンが自分を殺す為に出払っていた為だろうと思われた。


そうして食材貯蔵庫やゴブリンの住居穴を通りすぎると比較的広い空間に出た。

そこは昔の神殿の跡地なのか石作りの建造物が鎮座しておりなんとも荘厳な雰囲気を醸し出していた。


その神殿の大階段前にはその神殿には不釣り合いな華美な王座にはこれまた、金細工が散りばめた民族衣装に身を包んだ筋肉隆々なゴブリンが目を瞑り座っていた。


「我ガ、兵達ハ強カッタでアロウ」


そう口にしながら目を開きゴブリンの王が立った。


(大陸共通語か)


男はゴブリンが大陸共通語を喋るのを初めてみた。

そして立つゴブリンの目は荒々しさは無く武人の目をしておりその華美な金細工の格好は周りから半ば強制で着させられたようなアンバランスさがあった。


「ああ、特にウルフに乗った魔弓使いと大楯のホブゴブリンには手を焼いた」

「ソウダロウ、ソウダロウ、ハダルなど随分嫌ラシイ手を使う」


そう戦士を誉めると、ゴブリンの王は本当に嬉しそうククッと顔を歪め笑っていた。


そうして男はゴブリンの体に目をやった。

ゴブリンの全身二メートル半在ろうかと言う巨体に、巌の様に鍛え上げられた腕と顔には無数の切り傷があり、潜り抜けた修羅場の多さを否応なしに連想させた。


そしてその武具は自分の身長ほどもあり、そのまま岩から切り出したかの様な巨大な棍棒であった。

男が武具に目をやっている事に気が付いたのかゴブリンキングが棍棒を軽くあげる。


「様々ナ武器を試したガ、俺には叩き潰す事しか出来ヌしそれしかシラン」


そう棍棒を軽く振るだけで此方にまで風が来るほどであった。


「あんたの名を知りたい」


ショートソードを抜き、そう自然と口にしていた。


ゴブリンキングは虚をつかれた様な顔をしたあと破顔させ筋肉を隆起させながら言った。


「ドゥーガ」


「オノノキ」


ぶつかればどちらが死ぬと分かっていたから...

この勇士には本当の名前を知って貰いたかった。


既に戦士の流儀は済ました。

だからもう...言葉も要らなかった。


踏み込む音はどちらの音であったのだろう。

瞬きの間に両者の距離は殺戮の間へと成り下がる。

王鬼の鉄塊の様な棍棒の横凪ぎが男に迫る、

その鉄塊を男は小手にて弾き返した。

その余りの衝撃に男の籠手は粉々になるも、奥の生身に傷ひとつ無い。



王鬼の思考が驚愕に染まる、我が棍棒が弾かれるなどましてやこの感触...!と、思考するよりも早く死に神の断頭が振り下ろされる。

その剣速、先の戦場の物とは比べるべくもない。


「フンッッ!」


全身全霊の拳にて刀身を辛うじて逸らす、その斬撃の威力足るや洞窟を半ば切断して余りある。


振り下ろした態勢の男に容赦なく棍棒の嵐を見舞うも即座に合せられ、逸らす白刃。

その絶技に王鬼の口角は無意識に上がっていた。


更に速く、更に強く振る棍棒の一撃にて僅かに剣戟の均衡が崩れる。


すかさず空いた男の鳩尾に前蹴り放つも、巨大な岩壁を殴ったかの様な固さと重さに、王鬼はこの人間が見た目通りの質量では無いことに確信をもった。


現に前蹴りを放った此方の方が足を痛めている始末である。


この様な醜態では先にヴァルハラへと旅立った 同胞へ顔向け出来ない。

何より先程から涼しげな顔の戦士に己の全てをぶつけたかった。






制限突破現象オーバードか」


男はそう自然と口にしていた。


王鬼の体からは赤黒い蒸気が立ち昇り、あまりのオドの迸りにより王鬼の周囲の空間が歪んで見えた。


人間や知性の高い魔物の誰しもが持つとされる制限突破現象。

親しい者を失った悲しみや怒り、極度の生存本能によってごく稀に起こる現象だったはずだが意図的に起こす者など聞いたことすらなかった。

それ故か、本来暴れ狂うだけの存在になるはずの常識は王鬼が静かで隙の無い構えを取った瞬間に崩れ落ちた。


自分の体の全身を駆け巡る、慣れ親しんだ死の予感。


故に此方も力を解放した。





突如、男のショートソードから稲妻が走り出す...否

王鬼にはそれが稲妻を魔術にて出しているものでは無いことを本能的に看破していた。


あれは、あまりにも強すぎるエーテルによって、本来見るのに魔眼が必要なマナが可視化されているのに過ぎないと言うことを。

あれは文字道理マナと空間の悲鳴であった。


一体どれ程の力を持っているのだろう。


王鬼は只々誇らしかった。


この強大な男に一歩も退くことの媚びる事も無かった我等が戦士達が。




そうして男から光の束が振り下ろされる。


洞窟にて轟音が響き、融解する地面、残像さえ発生させる速さで回避し迫る王鬼に男も当然の様に反応。


横凪ぎの二連撃を王鬼に放つも地を這うように回避する。

男を中心にして絶え間なく放たれるプラズマを伴う斬撃は容易に洞窟の壁面を溶断する。

それはあたかも、何物の命も赦さない荒れ狂う恒星が放つ光の渦であった。


神殿が建てられるほど地盤が安定している洞窟も、男から光子が放たれる度に音をたて崩れ堕ち、温度も上昇しているのか洞窟の内部が空気が揺らめいて見えた。




此方は光の斬撃かわす度に皮膚が高温で爛れいく。

既に制限突破現象の驚異的な治癒能力が間に合っていない。

此方の攻撃は近づこうにも近づけず、時折墜ちてくる瓦礫を蹴り、空気を殴り飛ばすも斬撃の余波で相殺され、あまつさえ此方にまで斬撃が飛んでくる始末である。


これではジリ貧だ...時間が味方しているのは彼方の方か...


ならばと王鬼はおもむろに岩盤を掴みその驚異的な力で裏返す。


突然、男の眼前に現れる岩壁に迎撃の構えをとり三つの光の斬撃を瞬時に飛ばす。

それだけで瓦礫の岩壁の大部分を消し飛ぶも王鬼の姿は何処にも無く...


瞬間、上からの殺気に意識よりも体が先に反応した。

ズドン!!と音と共に訪れる衝撃、地は呆気なく陥没し強化されてある筈のショートソードも歪みきる。


「うぉぉぉおおぉおおおおおお!!」


黒い流れ星となり男を押し潰さんとする、それに拮抗する男にオーガは吼えた。


だが男のショートソードがより一層光ったかと思った時、棍棒もろともオーガに衝撃波を放つ。

拮抗する間もなく消し飛ぶオーガ、だが男の横から驚異的な速度の影が躍り出る。

それは先程消し飛ばした筈のオーガであった。


男は驚きをもって口にした。


「思念体ディアル


そう呼ばれる技術がある。

本来、エーテルの核心に触れた者がたどり着く高等技術の一つであるそれは、何より水面の様に静かな集中力が必要なはず。


この戦闘中に、しかも制限突破現象中に行える者など此の世に居るのであろうか?


オーガは才能に選ばれた者であった。


「ッ!!」


オーガの拳は男に近づく度に黒く焦げ爛れていくよりも速く届こうとしている。




男は確かな驚きを顔に称えるだけで迎撃の軛から解放されるよりも速く飛来する拳を見ることしか出来ない。




だが、だが...オーガはその張りつめた時間の中、驚愕する男の更に背後に...確かに見た。



色鮮やかな星々を仰ぎ見た...



『ガンマレイ』


ブォバッ!!と余りの熱さに膨張する空気。


そう男が宣告するだけで回避も迎撃も赦さぬあまりにも細い光が放たれ、オーガの体もろとも洞窟までも細切れにし瞬時に炭化させた。


そうして意識が閉じる狭間、オーガの胸に去来したものは相手への賛辞でもなく、自分への悔しさでもなかった。




己を倒した男の顔を死ぬ前に見ておきたかった。


だが男の顔には敵に勝った喜びも、闘争が終わった興奮も、何も浮かんで居なかった。


只、虚無だけが広がっていてそれが...

これだけ闘いの才能に恵まれた男が闘争を楽しめない...


それだけが...


これより辿るで在ろう男の道行きが...


何より哀れであった。















半壊した神殿の奥に噎せ返る様な獣臭と精臭を漂わせその部屋はあった。


粗悪な牢の一つ一つには人間の女達が繋がれている。


だが男の予想が正しければ...

そう思い牢獄の奥へ行けばそれは繋がれていた。


元は美しく強いエルフだったのだろう、だが今は見る影もなくやつれ腹は大きく膨らみ両目は横一文字に切り裂か閉じている。


何体産めばそうなるのか部屋の床は血のような何がヌラヌラと怪しく光っていた。


そんなエルフの後ろにはゴブリンに手をつけられていないエルフの少女が一人、壁から錠が伸び両手首を拘束され、半ば吊られている様であった。


「もし...そこに...そこに誰かられるのではなかろうか...」


そう、掠れた声でエルフが問う。

「助けにきた」

男は、錠を素手で引きちぎり檻の中に入り、エルフの錠を外そうとし...エルフが拒否するかのようにほんの僅かに身をよじった


「私はもう良いのです...それよりも後ろの妹は...ゴブリンの手付きになって居ないだろうか」

あまりにも不安そうな声であった。

何よりそれだけが、このエルフが正気を保つ理由であるかのように。


故に、男も腰を屈めエルフに見えるはずも無い目線に合わせ...


「妹には傷ひとつ着いていない、あんたは十二分に妹を護りきれていたよ」

聞き間違えも起こさぬように静かにハッキリと、そう口にした。

「そうか...私は約束を果たすことが出来たのか」

そう言うと女の体から急激に体温が抜けて行くのを感じた...死期が近いのか。


「最後に頼みがある」

「妹を...姫様を、南東にある境界森林の奥にあるエルフの国、太陽の沈まぬ国アメン・ラーへ送ってほしい」

「なら、最後にあんたの名前を教えてくれ」

「...エルザだ」

「誇り高き戦士エルザよ、戦神の流儀に従いあんたも一緒に連れていく」



「ああ...本当にかたじけない」



僅かに瞠目した後本当に安心した様な顔をして、長い...長い息を吐いた。


そうして、エルフの女の胸は完全に動かなくなった。




その瞬間、エルザの腹が動き出す。

母体が死んだことを感じとり、今すぐにでも胎盤から出ようとしているのか。




...これ以上、この戦士の死体を辱しめさせる訳には行かなかった。


そうして静かに額に指を置き、聖句を唱える。

『誇り高き戦士よ、何時か又、ヴァルハラにて...


その瞬間、洞窟内にも関わらず天上から光の柱がエルザへ優しく降り注ぐ。

風も無いのにエルザの金糸が優しく舞い、体を光の粒子へと変えていく。

逆に肚の中のゴブリンは光が降り注いだ瞬間聞くに絶えない叫び声をあげ肚の中でもがき苦しむ。


当然である、この光は偉大なる戦士へしか安息を与えぬ。


この詩を受ける戦士は、死して尚自分を看取る者へと共に根付きその者の死と共にヴァルハラへと旅立つと信じられていた。



故に、どんな畜生であれ聖人であれアレス神を信仰する戦士ならば強化魔法より最初に習得する一小節からなる聖句であった。





エルザの体は跡形も無く消え去る、繋がれていた鎖だけを残して。


銀髪のエルフの少女はエルザがいた場所をただ虚ろの瞳で見つめていた。

男に手錠を外され連れ出されるまでずっと...ずっと







洞窟から離れた場所、ある程度開けた場所にて男とエルフの少女は焚き火を囲んでいた。


他の、洞窟にいた人間の女たちも例外なく自死を選び、男は痛みも感じる間もなく心臓を一刺し、そのショートソードに付着した血を火の光を頼りに丁寧に拭き取っている所であった。


「お前、名前は何て言うんだ」


これで何度目かに成る問いにもエルフの少女は虚ろな目で焚き火を見るだけで何の反応も無い。


その様子に男は思わずため息を吐いた。



これでは身を犠牲にして守ったエルザがあまりにも報われないが為に...


荒療治するしか無さそうであった。


故に少女の襟首をつかみ持ち上げた。

グッ!?

そこで初めて少女は生き物らしい反応をした。

「お前は、お前を身を挺して守ったあの女を馬鹿にしているのか」

「え...る...ざ」

「そうだ、お前には救われて助けられた者の義務が存在する」

「そんな、お前がこの様ではあの誇り高きエルフが余りにも浮かばれねーだろうが!」


そうして少女を投げ飛ばす、少女はろくに受け身も取れずに地面に転がる


「ガッ!...ゴホッゴホッ」


えずく少女に近付く、俺を見上げる少女の瞳には虚無とは別の感情の発露が僅かにあった。

「エルザ、死んじゃった」


そうして少女は俯く何かを堪える様に


「弱い私を最後まで庇ってた...一人ならゴブリンの集団が襲ってきても...逃げ切れる筈なのに」

「そうだ、お前とエルザがあのゴブリン達より弱かったから負けた」


「エルザを馬鹿にするな!!」


そう言うと先程の無気力な様子とはかけ離れた涙と怒りでぐちゃぐちゃの顔で、男の襟首に掴みかかった。


「お前さえ!お前さえ速く来ていればエリザは死なずに...!」

そこまで言って何かに気付いた様に絶望に顔を染める

「違う...私だけが...私だけが弱かったから...」


「そうだ、あの誇り高きエルフは最後までお前を守っていた」

「足手まといのお前を」


「私が...エルザを殺した」

そこまで言うと少女はへたりこんで涙をざあざあと流しながら

「私がッエルザを殺しちゃたよ~」

そう叫んぶことしか出来なかった。

そこで幼い心を傷つけ無いように目を反らしていた感情が爆発する。

「ごぉめんなさい...ごぉめんなさい!産まれて来てごぉめんなさい!」






「弱いままで良いのか」


そんな少女に男は静かに問う。


「私ッ!強くなりたいよ~!強く...強くなりたい...強くなりたいの...」


「そうか」


そう泣き叫び踞まる少女の声が暗い夜の森に響いて焚き火の煙と共に昇っていく。


ただその様子を男は黙ってみていた。


ただ静かにその様子を...



































































































































































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