第28首 源宗于(古今集)
山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば
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山里はいつの季節でも寂しいが、冬はとりわけ寂しく感じられる。尋ねてくれる人も途絶え、慰めの草も枯れてしまうのだと思うと。
(出典:百人一首.com)
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一人で暮らしていると。
それほどの寂しさは感じません。
貴方が去った、今でも。
いさかいの毎日よりも。
平穏な日々が愛おしい。
たまに訪ねてくれる。
子供達もいるし。
だけど。
冬枯れの、この季節。
人も途絶えた静けさが。
私を。
寂しさに置き去りにするのです。
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源 宗于(みなもと の むねゆき)は、平安時代前期から中期にかけての貴族・歌人。光孝天皇の孫で、式部卿・是忠親王の子。官位は正四位下・右京大夫。三十六歌仙の一人。
逸話
『大和物語』には、宗于が自分の官位があがらないことを宇多天皇に嘆く話が載せられている。宇多天皇が紀伊の国から石のついた海松という海草を奉ったことを題として、人々が歌を詠んだとき、宗于は「沖つ風ふけゐの浦に立つ浪のなごりにさへやわれはしづまぬ(=沖から風が吹いて、吹井の浦に波が立ちますが、石のついた海松のようなわたくしは、その余波によってさえ波打ちぎわにもうち寄せられず、底に沈んだままでいるのでしょうか)」という歌を詠んで、自分の思いを伝えようとした。しかし、宇多天皇は「なんのことだろうか。この歌の意味が分からない」と側近の者にお話になっただけで効果はなかったという。
※ウイキペディア フリー百科事典より
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