第22首 文屋康秀(古今集)

吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ


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山風が吹きおろしてくると、たちまち秋の草や木が萎れてしまうので、きっと山風のことを「嵐(荒らし)」いうのだろう。


(出典:百人一首.com)

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失恋なんて。

取るにならないこと。


そんな風に割り切っていました。

貴方に恋する前までは。


痛いです。

凄く、心が痛みます。


貴方は素敵な人なのに。

素敵すぎるから。


心が痛むのです。


ああ・・・。

なぁんだ・・・。


これが。

恋の嵐、なのですね。


納得です。(笑)


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文屋 康秀(ふんや の やすひで)は、平安時代前期の官人・歌人。文琳とも。官位は正六位上・縫殿助。六歌仙および中古三十六歌仙の一人。


経歴

官人としては、陽成朝にて元慶元年(877年)山城大掾、元慶3年(880年)縫殿助に任官したことが伝わる程度で卑官に終始した。


『古今和歌集』仮名序では、「詞はたくみにて、そのさま身におはず、いはば商人のよき衣着たらんがごとし」と評される。勅撰和歌集には『古今和歌集』4首と『後撰和歌集』1首が入集するが、『古今集』の2首は子の朝康の作ともいわれる。


小野小町と親密だったといい、三河掾として同国に赴任する際に小野小町を誘ったという。それに対し小町は「わびぬれば 身をうき草の 根を絶えて 誘ふ水あらば いなむとぞ思ふ」(=こんなに落ちぶれて、我が身がいやになったのですから、根なし草のように、誘いの水さえあれば、どこにでも流れてお供しようと思います)と歌を詠んで返事をしたという。のちに『古今著聞集』や『十訓抄』といった説話集に、この歌をもとにした話が載せられるようになった。


※ウイキペディア フリー百科事典より




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