第10首 蝉丸(後撰集)
これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関
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これがあの有名な、(東国へ)下って行く人も都へ帰る人も、ここで別れてはまたここで会い、知っている人も知らない人も、またここで出会うという逢坂の関なのだなあ。
(出典:百人一首.com)
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えっ・・・。
マジィ?
ここ。
逢坂の関なんだぁ・・・。
まてまてまて。
冷静になろうよ。
ここで、イケてる歌。
いっちゃおうか?
いっちゃおうよぉ!
バイ。
蝉丸。(笑)
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蝉丸(せみまる)は、平安時代前期の歌人。古くは「せみまろ」とも読む。
人物
『小倉百人一首』にその歌が収録されていることで知られているが、宇多天皇の皇子敦実親王の雑色、光孝天皇の皇子[1][2]など諸伝があり、その人物像は不詳。
盲であり琵琶の名手という伝承から、仁明天皇の第四宮人康親王と同一人物という説もある。『平家物語』巻十「海道下り」では、醍醐天皇の第四宮として山科の四宮河原に住んだとあり、平家を語る琵琶法師・盲僧琵琶の職祖とされている。
後に皇室の御物となった琵琶の名器・無名を愛用していたと伝えられる。生没年は不詳であるが、旧暦5月24日およびグレゴリオ暦の6月24日(月遅れ)が「蝉丸忌」とされている。
『今昔物語』によれば逢坂の関に庵をむすび、往来の人を見て「これやこの 行くも帰るもわかれつつ 知るも知らぬも逢坂の関」の和歌を詠んだという(百人一首では“行くも帰るもわかれては”となっている)。このため、逢坂の関では関の明神として祭られる。和歌は上記のものが『後撰和歌集』に収録されている他、『新古今和歌集』『続古今和歌集』の3首を含め勅撰和歌集に計4首が採録されている。
※ウイキペディア フリー百科事典より
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