38話 交錯する思い1-人と屏風は直には立たず-

補講のために駒葉こまば高校に登校した永遠とわは、中学の陸上部の先輩・笠原かさはらの恋愛トラブルに巻き込まれた。高校に乗り込んで来た他校の生徒を退散させて帰宅の途につく頃には、空は雲が広がり夕立が来そうな雰囲気になっていた。

(なんかすげー疲れた・・・)

玄関先で大きな溜息ためいきをついて中に入ると、父・とおるが新聞を読みながらリビングでくつろいでいた。自らが営む定食屋「たちばな」が定休日だったこともあるが、自室にこもりがちな父がリビングにいること自体珍しい。すぐ自分の部屋に直行しようとしていたものの、脳裏に芝山しばやまの言葉が浮かんだ。

――『雇用契約書だ。中身は以前とあまり変更はない。気になるなら冴木さえきに聞くと良い。未成年だから親御さんの署名が必要になるが、昨日親御さんのサインは取り付けてある』

(そういえば、アルバイトを始めてから親父と2人きりになるのは初めてだな・・・)

永遠は一呼吸おいてから、父親に声をかけた。

「――なぁ、親父」

「・・・なんだ?」

父は新聞から目を離すと、永遠のことをじっと見つめた。

「なんでバイトOKしてくれたんだよ。勉強に支障が出るからやめろって、絶対言われると思ってた」

永遠が言い終わると、父は再び新聞に目を落とし、2人の間にしばしの沈黙が訪れた。

(え?俺の言葉聞こえてたよな・・・?なんで無視・・・?)

「・・・お前は将来何をしたいと思ってるんだ?」

「は?」

「高校の3年間なんてあっという間だぞ」

「まだ将来までは考えてねぇけど・・・」

「芝山さんって言ったか、あの人は若いが大した人だ。陸上しかやってこなかったお前にとって、良い社会勉強になるだろう。それに・・・茅野かやのさんのところのしゅうちゃんと一緒なんだろ?」

「は?!」

突然出てきた柊の名前に永遠は変な声を上げた。

「柊・・・?あぁ、一緒にやってるけど・・・」

「なら、お前が手伝ってやれ。散々世話になってるだろ・・・だが、留年はするなよ。お前の選択肢が狭まるだけだからな」

「お前はって・・・?」

「俺は高校の時に不登校の時期があって留年した」

「俺に厳しく言ってたのって自分の経験があったから・・・?」

「――お前には後悔してほしくないんだ。俺が本当に後悔しているのは、出席日数が足りなくて留年したことじゃないがな・・・」

「留年以上に後悔していることってなんだよ・・・?」

「それは――」

父は新聞紙を折りたたむと、永遠に真剣な眼差しを向けた。

――バタン!

「ただいまー!」

玄関の扉が開く音と、千羽ちわの威勢の良い声がした。父は小さく息を吐き、再び新聞紙を読み始める。

勢いよくリビングの扉が開いて、千羽がリビングに入って来た。

「あ!お兄ちゃん!補講終わったの?」

「あぁ、今日は数学だけだからな」

「大丈夫?卒業できそう?」と言いながら、千羽はニヤっとした。

「・・・お前な」

ここで、永遠の母・陽子ようこが紙袋を両手に抱えながらリビングに入ってきた。

「千羽!合宿用に買ったものを自分の部屋に運びなさい!」

「はーい!」

千羽は母から紙袋を受け取ると、階段を上がって自分の部屋へと向かった。

「あら、永遠。帰ってたのね。雨が降ってきたから洗濯物取り込むの手伝ってくれない?」

「母さん、今日は病院の日じゃなかったっけ?」

「そうよ。調子が良かったから、帰りに千羽の合宿の買い物を済ませて来たの」

「今日変わりやすい天気だって言ってたじゃん。身体強くねぇんだから、雨が降りそうな日に買い物まで行かなくても・・・次に肺に穴が開いたら手術って言われただろ・・・?」

永遠は母の身を案じたが、母は「そんなこと言ってたら買い物に行けないじゃない。もう7月なんだから」と笑いながら言った。

「そりゃそうだけどさ」

永遠の母は2年前に肺気胸はいききょうを経験した。肺気胸は肺に穴が開く病気だ。開いてしまうと最悪呼吸困難になり、命を落とすこともある。永遠の母の場合は左肺に穴が空いて肺がしぼんでしまい、歩行困難になって救急車で運ばれた。特に台風が近づいている季節は体調を崩しがちで、千羽の件と合わせて永遠がシェアハウスに移り住むことを拒む大きな要因となっていた。

永遠と母が会話をしていると、父が立ち上がって部屋を後にしようとしていた。

「お父さん、どこに行くんですか?」

「・・・ちょっと野暮用にな」

そう言って父は玄関を出ていった。

「そうそう。永遠、明日は夕飯いらないのよね?柊ちゃんと眞白くんと夏祭り行くんでしょう?」

母に尋ねられ、永遠は「そうだけど」と応えた。

「大変!浴衣出すの忘れていたわ!」

慌てふためく母を、永遠は「ちょい待ち」と制止した。

「俺、浴衣着ていくなんて言ってねぇけど」

「そうなの?せっかくのお祭りなのに?昔は柊ちゃんと眞白くんと3人で浴衣着ていったじゃない」

「いいよ。身動き取りにくいし」

怨霊おんりょうや神官が出ないとも限らねぇしな・・・)

「そうなの・・・」

母が悲しそうな顔をしたので、居心地が悪くなった永遠は「ちょっとトレーニングに行ってくる」と言ってリビングを後にした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る