7話 動き出す刻2-山雨来らんと欲して風楼に満つ-

駒葉こまば高校の生徒を乗せたバスは、遠足先である山梨県のキャンプ場内の駐車場に到着した。晴れていれば湖と共に富士山を目の前に望めるはずだったが、灰色の厚ぼったい雲に覆われている。

「ふぁ・・・」

バスから降り立った永遠とわは大きく伸びをした。出発直後に隣の席だった大石華奈おおいし かなと話をしてから到着するまで、ずっと眠ってしまっていたのだ。

「永遠、眠そうだね」

バスの後部から降りてきた眞白ましろが声をかけた。

「爆睡してたわ。昨日の夜あんま寝れなかったから」

「遠足楽しみだったの?」

眞白の言葉に永遠の動きが一瞬止まった。

「違ぇよ。子供じゃねぇんだから。変な夢見て目が覚めちまったんだよ」

「変な夢?」

「あれは変というか―――いや、何でもない。移動するみたいだから行くぞ」

永遠が他の生徒に続いて歩き出してしまったので、眞白は「待ってよ」と言いつつ後を追いかけた。

3組担任で学年主任の青山大輔あおやま だいすけの先導で5分ほど歩くと、遠足の目的地であるキャンプ場に到着した。屋根付きのバーベキュー場が点在しており、料理スペースにはカレー作りに必要な材料や調理器具一式が準備されている。作ったカレーは中央センター近くの休憩所で食べられるようだ。担任の青山から注意事項の説明を受けている時にポツポツとしていた雨は、班に分かれて料理を始める頃には本格的に降り始めた。

「降って来ちゃったね」

しゅうと約束してたけど湖畔で話すのは難しそうだな」

「橘くん!やっと見つけた!」

永遠と眞白が声のした方に目をやると、ロングヘアーをなびかせながら平沢美沙ひらさわ みさがやって来た。

「陸上部への入部、考えてくれた?」

永遠が返答に詰まっていると、吉川葵よしかわ あおいがポニーテールを揺らしながら慌てて追いかけて来た。

「美沙ったら、またたちばなくんを困らせて!」

「葵、今日は報告だけだから」

「報告?」

「私、高校は選手じゃなくてマネージャーをやることにしたの」

「え?平沢走んないの?」

「そう。元々選手志望じゃなくてアナリスト志望だから。そういう意味では橘くんへのサポートもバッチリよ」

美沙によると近年ではスポーツ界でも分析のスペシャリストであるアナリストを配置するケースが増えており、スポーツアナリスト専門の学部を置く大学も増えているとのことだった。

「平沢はもう進路考えてるのか。すげぇな」

「今日は陸部メンバーで同じ班なんだけど、よかったら橘くんも遊びに来て!きっと入りたくなるから!」と言って美沙は目を輝かせている。

「俺は入部するとは一言も言ってねぇからな」

感心したのも束の間、永遠は勝手に話を進める美沙を牽制けんせいした。

「おい!そこに集まってるやつ!早くカレー作りに取り掛かれ!自由時間なくなるぞ!」

担任の青山の声がこちらへ飛んで来た。

「見つかっちゃった」

「美沙!ほら戻るよ!」

葵が美沙の腕をつかむ。

「じゃあ私戻るから考えておいてね!」

美沙は葵に連れられて仕方なく、自分の班に戻っていく。

「なんだったんだ・・・」

永遠は疲れた様子でため息を漏らした後、準備されていた一式からピーラーと野菜を取り出した。じゃがいもや人参の皮を素早く剥くと、慣れた手付きで切っていく。

「橘くんすごい!」

「どこで習ったの?」

周囲の女子生徒から声が上がるが、永遠は不機嫌そうな顔をしている。

「あ、永遠の家は定食屋さんなんだ。怪我するといけないから集中させてあげて」

普段は社交性のある永遠だが、料理のことになると途端に職人堅気で無口になる。料理中に声をかけられることを嫌うため、眞白がフォローに入る事態となった。そしてほどなくして全ての野菜を切り終えると、いためる担当の男子生徒に引き渡して、料理スペースの奥に設置されている椅子に腰をかけた。

「永遠お疲れ様。相変わらず早いね」

「まぁな。だからって、野菜切ってるだけであんな騒ぐことねえだろ?」

永遠があっけらかんと言うので、眞白は苦笑するしかなかった。

「それより平沢さんのことだけど・・・入学してから2週間経っても永遠を勧誘し続けるなんて、本当に陸上部入ってほしいんだね」

「俺よりもモチベーションが高いんだよな・・・」

そのとき、背後から「おーい」という声がしたので2人は振り返った。

一之瀬いちのせ、橘。ちょっと良いか。一応伝えておいた方が良いと思って」

同じ班の井上遥大いのうえ ようたが申し訳無さそうにやってきた。井上は眞白と出席番号で前後のため、クラスの中でも交流があるクラスメイトだ。今回の遠足では眞白が班長に就任している。

「大丈夫だけど、何かあったの?」と眞白が心配そうに尋ねた。

「炒める担当だったやつが火傷しちゃって・・・火傷自体は大したことなさそうなんだけど、俺が先生のところに連れて行くから、悪いんだけど炒める係を頼めるか?」

「あぁ、構わねぇけど」と永遠が快諾した。

「ありがとう。助かるよ。女子にも相談しようと思ったんだけど他の班に遊びに行っちゃって誰もいないんだ。まぁ初めてのイベントだし、みんな話すのに夢中でカレー作りは勝手にやってくれってことなんだろうけど・・・」と言って、井上はぐったりしている。

「井上大変だったね。ごめん気づかなくて」と眞白が申し訳なさそうにしている。

「いいって。じゃあよろしくな」

井上は同じ班の男子生徒に声を掛けると、先生のいる中央センターへ出発したので、2人も慌てて調理スペースに向かった。そこには誰もおらず、なべの火は消されていた。

「こりゃ、火の調整からやり直しだな・・・」

永遠は鍋を移動させて、薪を組み直し始めた。空気の通り道が出来るように高さを作りながら薪を入れ、新聞紙に火をつけて薪を近づけた。少しずつ薪に火が灯り始めるのを確認し、カレーの鍋を元の場所に戻す。

「なぁ、火傷といえば・・・大石が言ってた言葉だけどさ」

「珍しいね、料理中に永遠から話しかけてくるなんて・・・そんなに大石さんが言ってたことが気になるの?」

眞白が驚いた様子で声を上げた。

「柊が右腕にしているサポーターは昔の火傷のあとを隠すためだって。柊が火傷したのっていつだったか覚えてるか?」

「えっと・・・柊が火傷したのは3年前じゃなかったっけ?ほら、中1の夏休みに3人でお祭り行った時にサポーターしてて、驚いて聞いたら春に火傷したって言ってた気がする」

「あー、あいつ俺達に聞かれるまで言わなかったんだよな。でも、なんで夏まで会わなかったんだっけ?」

「ほら、中学へ上がる時に永遠の引っ越しとお店の移転があったでしょ。3人とも中学慣れるの時間かかったし、それぞれ落ち着いたのが夏だった気がするけど」

「そうだっけか・・・全然覚えてねぇな」

「永遠は怒涛どとうの日々を送っていたからね。陸上部の朝練と休日の練習が大変って言ってたし」

「それは覚えてる。練習がハード過ぎて、授業中によく居眠りしちまって怒られてたもんな。だからか・・・?」

永遠は中1の春から夏までの自分の記憶が曖昧あいまいなのがに落ちなかったが、一旦カレー作りに集中することにした。ほどなくして永遠は野菜と肉を炒め終わると鍋に水を投入してふたを閉めた。

「――よし。あとは煮込むだけだな」

「永遠ありがとう。結局永遠にやらせちゃったね」

「俺が好きでやってるんだから気にすんなって」

――ゴロゴロゴロゴロ・・・!

辺りが一瞬明るくなると、雷鳴が鳴り響いた。永遠は音がすぐ聞こえたことに内心驚いたが、努めて冷静に言った。

「とうとう雷まで鳴り出したな」

「これは氷穴見学も怪しいね。雷が収まるまでここで待機になるかも」

眞白が残念そうに言ったその時、永遠は森に向かっていく人影を目撃した。顔は見えなかったが、左手に黒い物を巻いている。走り方のフォームにも心当たりがあった。

「柊・・・・?!」

「え?どこ?」と、眞白は驚きを隠せず、必死になって周囲を見回している。

「あいつ、この間校長室に呼び出されたばっかなのに、何やってるんだ」

永遠は咄嗟とっさにフードを被るとキャンプ場を飛び出した。

「ちょっと永遠!どこに行くの!?」

「すぐ戻る!」

眞白の制止を振り切り、永遠は人影を追って森の中に入っていった。

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