第三十九話 悠斗 過去

 隣で寝ている女性は目を覚まさない。

 だけど、おそらくドバイアン伯爵だと思われる男性は、ファビアンの手によって殺された。

 ファビアンは口に当てていた手を放し、首に突き刺していたナイフを一気に引き抜くと同時に、後ろに飛んで下がった。

 男性の首からは、血が噴水の様に噴き出していた…。

 僕はそれを見た途端、過去の記憶が蘇って来た!


『あああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』

 僕の頭の中は血で真っ赤に染まってしまい、何も考えられなくなった。

『おい!どうしたんだ!大丈夫か!』

 ファビアンが何か声を掛けてくれているみたいだけれど、僕の頭の中に入ってくる事は無い。

 僕は、ただひたすら叫び続けていた…。


 その後の記憶はなく、気が付いたら僕は宿屋のベッドの上で寝ていた。

 周りは暗く、そんなに時間は経っていないのかもしれない。

 まだ頭の中では、あの時の様子が鮮明に浮かんできている…。

 克服したと思っていたんだけどな…。

 呼吸も荒く、心臓も激しく脈打っている。

 何とか気持ちを落ち着かせようと、深呼吸を繰り返した…。


「ふぅ~」

 落ち着きを取り戻したころ、ファビアンが心配して話しかけてきてくれた。

『大丈夫か?』

『はい、落ち着きました…』

 まだ頭の方は混乱しているけれど、呼吸と心臓の鼓動は落ち着いてきたし、これ以上ファビアンに迷惑をかけられない。

 もう一度深呼吸をして、ファビアンと話をすることにした。


『ファビアン、迷惑をかけてしまい、ごめんなさい』

『あぁ~まぁ~、大変だったが何とかなったから気にするな。それより本当に大丈夫なんだろうな?』

『はい、大丈夫です!それで、あの後は無事に逃げられたのですか?』

『そうだな…』

 ファビアンは少し戸惑いながら、あの後の事を話してくれた。

 ドバイアン伯爵を暗殺した後、僕が叫んだせいでファビアンが動揺し、寝ていた女性に気付かれて大声を出されてしまったそうだ。

 ファビアンは慌てて逃げ出したが警備の者に追いかけられてしまい、何とか振り切ってここまでたどり着いたらしい。

 顔は布で覆っていたので捕まる事は無いだろうから、安心しろと言う事だった。

 ファビアンが捕まらずに済んでよかったと思うけど、僕が混乱して迷惑をかけたのは事実なので、改めて謝罪した。


『過ぎた事だ、それよりも、どうしてあのような状況になったのか教えてくれないか?

 今後同じような事になって貰っては困るし、話せば楽になる事もあると思うが?』

『はい…少し長くなりますが、お話しします…』

 誰にも話した事が無かったし、話したくも無かった事なのだけれど、異世界にいるファビアンになら話しても良いかと思い、記憶を思い返しながら、僕の過去について話し始めた。


 僕の家族は、お父さんとお母さんと僕の三人暮らしで、お父さんは真面目に働く公務員で、職場での評判はとても良かった。

 お母さんは専業主婦で、毎日家事を頑張ってくれている。

 週末には三人でよく出かけていて、周囲からはとても仲の良い家族だと思われていた。

 しかし、それは表向きだけの話で、家の中は地獄だった。

 家の中でお父さんは王様のように振舞い、お母さんを奴隷の様にこき使っていた。

 僕も態度や学校の成績が悪かったりすると、暴力を振るわれていた。

 毎日のようにお母さんと僕はお父さんから暴力を振るわれ続け、毎日怯えながら過ごしていた。

 でもそれは、お父さんが躾だと言っているように、お母さんや僕の態度が悪いからなのだと、子供ながらに思い受け入れていた。


 だけど、僕が小学二年生の時に事件が起きた。

 お母さんが買い物の途中で同級生の男性と偶然出会い、少し話をしていただけなんだけれど、それをたまたま近所に住む人に見られてしまっていて、お父さんにその話が伝わってしまった。

 お父さんはお母さんが不倫をしたと激怒し、お母さんは「不倫なんでしてません」と泣きながら訴え続けていたのに、お父さんは聞く耳を持たずに暴力を振るい続けた。

 僕はその光景を怯えながら、お父さんの怒りが収まるのをじっと待ち続けていた…。

 でも、お父さんの暴力は止む事は無く、むしろどんどん酷くなって行っていた。

 このままでは、お母さんが死んでしまう!

 そう思った僕はお父さんの背中にしがみついて、お母さんに暴力を振るわないようにとお願いした。


「うるさい、お前は引っ込んでろ!」

 僕は背中から引きはがされて、振り飛ばされた!

 それでも僕は諦めず、何度もお父さんの背中にしがみ続けたけれど、お父さんはお母さんに対する暴力を止めてくれなかった。

 どうにかしてお父さんの暴力を止めさせないと、このままではお母さんが本当に死んでしまう。

 当時の僕は必死に考え、台所から包丁を持ち出し、僕は力一杯お父さんの背中に振り下ろした!

 だけど、子供の力では服の上から少しだけ切れただけだった。

 そしてお父さんは、僕が包丁で切りつけた事に驚き、お母さんから離れて今度は僕に暴力を振るって来た!

 でもこれで、お母さんが死なずに済む。

 本当はお父さんを殺してお母さんを助けるつもりだったけれど、お父さんの暴力が僕に向けられた事で、その願いは叶った。


 僕に対しての暴力は、長くは続かなかった。

 お母さんが僕が使った包丁を拾って、お父さんの背中を刺したから…。

 お父さんは直ぐに動かなったけれど、それでもお母さんは刺す事を止めなかった。

 それはまるで、僕がお父さんに付けた傷を消すかのように何度も何度も何度も何度も…。


 お母さんは刺すのを止めると、血まみれになった顔で僕に優しく微笑みかけてくれた。

「悠斗、お母さんを守ってくれてありがとう。

 悠斗、強く生きてね」

 お母さんは僕にそれだけを伝えると、持っていた包丁を自分の喉に突き刺した…。

 僕は、倒れたお母さんの首から流れ出る血を止めようと必死に手で押さえたけれど、お母さんはそのまま動かなくなってしまった…。

 僕は、お母さんに抱きついて大声を出して泣き叫び続ける事しか出来なかった…。


 その後の事はよく覚えていない。

 気が付いた時には病院にいて、お父さんとお母さんの葬式にも参加していない。

 僕は叔父さんの家に引き取られ、その時にお父さんとお母さんのお墓参りをしただけ…。

 僕にもっと力があってお父さんを殺せていれば、あの時お母さんが死ななくて済んだんだ。

(悠斗、強く生きてね)

 お母さんが残してくれた言葉通り、僕は強く成ろうと心に決めた…。

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