第14話
***
美味しい紅茶が骨身に沁みる。
「……いいお天気ですねぇ~」
ミリアナは、上階のほうにあるバルコニーにガーデンテーブルセットを持ち込み、
ザイィが捕縛されてから四日が経った。彼自身の協力もあって調べは順調なようだ。
アーティファクトは、フルーレ王国を通してグロア帝国に献上されることになった。その能力の危険性を鑑み、起動式は一部のみ、残りはミリアナが管理する。それら
明日には、城を発つことになっている。
見納めにと、王城の中庭が一番よく見える場所を選んだ。
「ミリアナ様。お茶ははかどっていらっしゃいますか?」
気を利かせて一人にしてくれていたギルバートが、様子を見に戻ってきた。
のんびりしているミリアナの様子が微笑ましいのか、どことなく口元が緩んでいる。
「はいぃ~。一人の時間を作ってくださって、ありがとうございましたぁ。ギルバート様もご一緒にいかがですかぁ?」
「頂戴します」
ギルバートは対になっているガーデンテェアに腰を下ろすと、紅茶のカップを受け取った。
「……本当に、明日にはもう発たれるのですね」
「はいぃ。ここでのわたしのお役目は終わりましたからぁ」
「寂しくなります。イドットもオリビアさんも、名残惜しそうでした」
「そう言っていただけるのは、嬉しいですねぇ」
「もちろん、私もですが」
「……あらぁ」
まっすぐな青い瞳が眩しくて、ミリアナははにかんだ。
護衛の任務がもうすぐ終わるからか、ギルバートはここ数日で本音というか素の言葉を聞かせてくれることが増えた。嬉しい反面、
「ギルバート様のような素敵な騎士様にそんなことを言われるなんて、わたしも捨てたものじゃありませんねぇ」
実のところ、ギルバートの人気は本人の認識を
例の、水をぶちまけた犯人も、彼に想いを寄せる令嬢の一人だった。公爵令嬢エリーダ・フォン・クロスフォードの取り巻きの一人、ルナンナだ。
初めて会ったとき、ギルバートと一緒にいる自分に複雑そうな視線を向けていたから、もしかして、とミリアナは思っていた。オリビアの調査では、その時間帯に現場近くを、ルナンナが走り去ったのを見た侍女がいたという。エリーダの取り巻きであり、礼儀作法には神経質なくらい気を使うはずのご令嬢が廊下を走るなんて珍しいと、見かけた侍女は思ったそうだ。
ちょっとした嫌がらせのつもりで被せようとした水が、好意を寄せているギルバート本人にぶちまけられてしまったのだから、きっと彼女は青褪めただろう。そんなところを追撃する気にはならなかったので黙っているつもりだったが、言わなければいつまでも心配されそうだったので、先日伝えた。
ギルバートは、ミリアナの命を狙う輩の犯行でなければそれでいいようで、納得だけしてくれた。それ以上は、きっと誰にも何も言わないだろう。
冗談めかした言葉に、ギルバートも嬉しそうに目を細める。
「シフルティア殿下も、感謝しておいででした」
「ヴラル様とのことは……」
控えめに訊ねると、ギルバートは小さく笑う。
「国王陛下と王妃殿下にはお話しされたそうです。どうなるかはわかりませんが……良い形になることを願っています」
「そうですねぇ」
シフルティアの想いは一方通行ではなかった。アーティファクトを使うまでもなく、ヴラルの心はかねてから彼女にあった。今回の件でヴラルもシフルティアと向き合うことを決めたようで、それも含めて話をしたのだろう。だとしたら、良い結果が出る可能性はあるかもしれない。
安堵したからだろうか。しばらく、静かで穏やかな時間が流れた。
「……そういえば」
「はいぃ?」
「ザイィにおっしゃっていた言葉。あれはどういう意味だったのでしょうか」
「言葉……ですかぁ?」
「〝宿命〟と」
「あぁ……あれですかぁ」
〝自分の境遇を、宿命以外のせいにしないでもらえますかぁ?〟
普段、穏健なミリアナが、あのときだけは怒りをあらわにしていた。だが、その言葉の意味をギルバートは理解しかねていた。
「大した意味があるわけではありませんけどねぇ。う~ん……人は生まれたときから平等ではありませんよねぇ。公爵令嬢のように裕福な家に生まれる人もいれば、ザイィさんのように貧民街で育つ人もいますぅ。なんの力も持たない普通の人に生まれることもあれば……わたしのように、特殊な〝瞳〟を持って生まれることもありますぅ」
魔眼。虹色の瞳。ミリアナの心を長く押さえつけてきたもの。
「それを『運命』と言ってしまうことはできるでしょう。でもわたしは、どんな境遇も、自分ではどうしようもない運命ではなく、その人が乗り越えるよう与えられた〝宿命〟だと思うんですぅ。ハードル的な? 人によっては、乗り越えられないような厳しいものを与えられることもあるでしょう。でも、もし、それを乗り越えることができたら……その人にとってのいい人生は有り得る。そう思うんですぅ。だから、わたしの肩書きがザイィくんの宿命を乗り越える一助になるのなら、と思って、提案させていただきましたぁ」
「そういうことでしたか……」
ミリアナにとって、宿命に苦しめられている者は、手を差し伸べたくなる存在なのだろう。同胞のように思えるから。
「ミリアナ様は……乗り越えられたのでしょうか」
痛いところを突かれて、ミリアナはちょっと苦笑した。
「そうですねぇ……前よりはずっと良くなったと思いますぅ。わたしの瞳を見ても動じないリズちゃんやハルマさん……ギルバート様に出会ってから、楽になりましたぁ。これからも、魔導の正しい知識や使い方を広めるため、諸国を巡りながら研究に
ふと顔を上げると、青い瞳がじっとミリアナを見つめていた。
微笑むこともなく真剣な顔で見つめられて、虚を突かれる。
「……えっ、とぉ?」
見れば見るほど、ギルバートは男前だ。世のご令嬢たちが騒ぐのもわかる。
「ギルバート様……? どうなさいましたかぁ?」
「……以前も申し上げましたが、私はミリアナ様の瞳は美しいと思います」
「あ、ありがとうございますぅ……?」
「だからというわけではないのですが……あの、もう一度、ミリアナ様の瞳を拝見させていただけないでしょうか」
「ふぇっ!?」
思わず変な声を上げてしまったが、言った当人も恥ずかしくなってきたのか、頬を染めて顔を俯かせた。年下っぽくて可愛い。
「ま、まぁ、減るものではありませんからねぇ……」
分厚いグルグル眼鏡のツルを持ち、ガーデンテーブルに置く。
「……どうぞぉ」
パッチリとした目の中心で、虹色の光彩がオパールのように輝いている。
顔立ちは幼いが、目元は利発そうで、相手をまっすぐに見つめる瞳には力がある。人を引き寄せるような、引力が。
それとも、そこに抗いがたい力を感じるのは、相手が彼女で、見ているのがギルバートだからだろうか。
「……失礼いたします」
ギルバートはガーデンチェアから立ち上がると、ゆっくりと顔を近づけてきた。
ミリアナの頬に触れるか触れないかのところに指を添え、貴重な宝石を間近で見るかのように瞳を覗き込む。その距離がゆっくりとだが確実に狭まっていくのを感じて、ミリアナはどぎまぎとした。
(……ええっとぉ、この距離はちょっと近すぎるのではぁ……。い、いえ、瞳を見るためですから、このくらい近いのは当たり前かもぉ……。とはいえ近すぎませんかギルバート様ぁ!? ううっ、わたしよりもずっと綺麗なお顔が近づいてきて心臓に悪いですぅ……。顔が赤くなってないといいのですがぁ……)
「……ミリアナ様……」
吐息が触れあうかと思われたそのとき――
「失礼しますっ! ミリアナ様! ギルバート先輩!」
イドットが、バルコニーのガラス戸を壊しそうな勢いで駆け込んできた。
二人ともビクッ!として慌てて身を離す。一体何が原因で
「ど、どうしたんですかぁ? イドットくん」
全速力で走ってきたのか、イドットは息が上がっていた。体力はかなりあるはずのイドットがそこまで息を切らしているのは珍しい、とギルバートは思った。何があったのだろうか。
「お……お寛ぎのところ申し訳ありません。その、今、城に、ミリアナ様に会わせてほしいというか……その……〝返せ〟と怒鳴り込んできた方がいまして――……」
「あぁ~……とうとう来ちゃいましたかぁ」
見当がついて、ミリアナは曖昧に笑った。
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