第12話
ミリアナはギルバートにアロイスへの伝言を頼むと、シフルティアの私室へ向かった。
部屋に着く頃には王女の涙は止まっていたが、表情はまだ浮かなかった。可憐な花のようだった笑みは日陰に落ち、色鮮やかさを失っている。
けれど、それでもシフルティアは美しかった。
それどころか、残っていた幼さが、憂いを帯びた大人の女性の魅力に換わっている。
女性をここまで変化させるもの。同性として、ミリアナには見当がついた。
「ひょっとして……殿下には、想いを寄せる殿方がいらっしゃるのではありませんかぁ?」
何も言えずにいたシフルティアが、驚いて顔を上げた。リリーシャもまた。
「ど、どうしてそのことを……」
「リリーシャ様に訊ねられたことがあるんですぅ。〝人の心を変える魔導具はあるか〟……と。リリーシャ様にお心を変えたい誰かがいるのかと思いましたが、それはシフルティア様の想い人のことだったのではありませんかぁ?」
「リリーシャ、貴女そんなことを……」
主に見つめられ、リリーシャは黙して目を伏せた。
シフルティアは王族だ。いずれ、国に有益な相手と婚姻することになるだろう。
想い人が同じ王族や有力貴族なら、愛情とともに嫁げるかもしれないけれど、身分が釣り合わなければ、その想いが叶うことはない。王女ともなれば、相手も気後れするだろう。
「……ミリアナ様のおっしゃる通りです。
アロイスほどではないかもしれないけれど、シフルティアも自分の意思で伴侶を決めることはできない。
「けれど、成人の儀が近づくにつれて、どうしても想いを秘めていることができなくなってしまいました。成人すれば、すぐにでも他の方との婚姻の話が進められるでしょう。もう〝あの方〟を想い続けることはできない……。その前に少しでも
諦観の笑みが哀しく浮かぶ。ふと、ミリアナは夜会の夜のことを思い出した。
あのとき林で見かけたのは、やはりシフルティアだったのだろう。想い人を追ってか林へ向かった。リリーシャはその事実を隠した。
近衛騎士は、主が幼い頃から仕えているものだ。出過ぎたこととは思いつつも、リリーシャはシフルティアの恋が成就することを願っていたのだろう。
自分がなんとかできることではないと、ミリアナもわかっている。
だが、この状況は、ある意味で利用できることもわかってしまった。
都合がいい状況のはずだ。
なかなか全貌を見せない、〝侵入者〟にとっては――。
「申し訳ありません、ミリアナ様。このようなことに巻き込んでしまって。お兄様のところへいらっしゃるつもりだったのでしょう? どうぞ、
「――う~~ん……」
ミリアナは腕を組むと、難しい顔で考え込みはじめた。
妙な反応に、シフルティアは首を傾げる。
「ミリアナ様……? どうかなさいまして……?」
シフルティアはとてもいい王女だ。国のため、民のため、尽くそうという意思を持っている。
彼女が〝利用〟されるとしたら。
「黙ってはいられませんよねぇ……」
話が見えず、シフルティアとリリーシャが顔を見合わせる。
意を決して、ミリアナは腕を
「この、アーティファクトなんですがぁ」
「それは……お兄様がミリアナ様に鑑定を依頼したという、あの? 鑑定が終わったのですか?」
「はいぃ。そういえば、シルフティア様とはお約束していましたよねぇ。このアーティファクトの能力がわかったら、きっとお教えすると」
「ええ、そうでしたわね。無事に終えられたのですね。どのような能力を持っているのかしら」
話が世間話に取って代わり、ホッとしたようにシフルティアは明るい声を出す。まだ失恋の痛手から逃れられないだろうに、ミリアナに気を遣って。
「とても興味深い能力でしたぁ」
好奇心の浮かぶ瞳でシフルティアが続きを待つ。
その心をどうしても変えたい相手のいる娘の前で、ミリアナは言った。
「――『人の心を操る能力』……なんですけどね?」
***
夜の大広間を月明かりだけが照らす。
静かな、静かな、青白い空間。
何もかもが眠ったようで、人の息遣いも感じられない。
けれど、大広間の中央には男が一人いた。
「――よぉ。お姫さま」
ショートヒールの音を忍ばせながら現れたシフルティアに、男は気安く声をかけてきた。下町で女の子に声をかけるかのように。
「……貴方が、王宮へ
「あぁ。名乗るつもりはないけどな」
男は、飄々とした口調で続ける。
「オレは魔導をかじってんだが、あのアーティファクトについちゃお手上げでね。だから、王族様の権限を使っていい研究者を連れてきてもらおうと思ったのさ」
ふてぶてしい態度で、悪びれる様子もない。
「さて」
男が前に出てくると、大窓から射し込む月光に照らされ、その全貌が明るみになった。中性的な痩せた体つきで、伸ばした後ろ髪を猫の尻尾のように背で細長く束ねている。抜け目なさそうな切れ長の目。肩まで剥き出しになった動きやすそうな服装は、さながら盗賊のもののようだ。
「その王族である王女殿下は……例のものを持ってきてくださったんでしょうか?」
表情を強張らせているシフルティアを逃がさないと言うように、ぐいと顔を近づけてくる。その瞳は、闇夜で淡く光っていた。猫の眼のように――。
シフルティアは息を呑むと、腕輪型のアーティファクトを差し出した。
「起動式は」
問われて紙片も渡すと、男は確認しはじめた。暗いところでも文字が読めるらしい。淡く光っている瞳の能力だろうか。
「……本物みたいだな」
そう言うと、満足そうに唇の端を吊り上げた。
「どうも、お姫さま。アンタなら、兄殿下が仕舞ったアーティファクトと起動式を持ち出せると思ったんだ。期待以上に優秀で助かるよ。これで――」
「あの!」
言葉を遮られて、男の片眉が上がる。
「……本当にこれで、そのアーティファクトを
男の口元が意地悪そうに嗤った。
「……もちろん」
腰をかがめてシフルティアの顔を覗き込む。眼には嘲笑が含まれていた。彼女の願いを「くだらない」ものだと見下していることがありありと伝わってくる。
「もちろん、殿下には一番にお使いいただきますよ? 凄いよなぁ、人の心を操るアーティファクトなんて初めて見たぜ。これを使って、意中の殿方を自分のモノにするといい」
そう。初めて見るから――〝実験台〟は、あったほうがいい。
「貴方は何者なのですか?」
「おっと、そいつは聞かないほうがいい。知らないほうが身のためだ。アンタは、これを使って欲しい男を手に入れるだけでいい。コイツと起動式さえ手に入れば、オレは王宮になんか用はないんでね」
すると、大広間に誰かが入ってきた。
男はその人物の訪れを知っていたため、驚くことなく迎え入れる。
「――さぁ、王女殿下」
アーティファクトを手渡す。
「起動式は覚えただろ? ……これであの男をアンタのものにするんだ」
シフルティアは思い詰めたような目で腕にアーティファクトを装着すると、背後の相手に向かって踵を返した。
相手の顔はまだよく見えない。
けれど、シフルティアには〝彼〟であることがわかっていた。
わからないはずはない。物心ついた頃からずっと見てきたのだから。
髪が色を失い、顔に皺が刻まれるようになっても、優しく微笑みかけてくれた瞳の涼やかさは変わらない。
「ヴラル様――……」
〝宰相ヴラル〟は、厳しい眼でシフルティアを見下ろしていた。
「……殿下。何故、このような時間に私をお呼びになられたのです。貴女はこの国にとって大事なお方。不用意なことをするべきではありません」
「わかっています。けれど想いを告げたときから、貴方は
「このような……? ――それは、あのアーティファクト!? いけません殿下、そのようなものに頼っては――!」
「申し訳ありません、ヴラル様――」
シフルティアが起動式を唱えはじめると、アーティファクトが起動しはじめた。
アーティファクトから淡い燐光が溢れる。青白いそれはシフルティアとヴラルを包み込み、旋回する。
ポッ、ポッと、特に強い光が灯ったかと思うと、それはヴラルの身体に入り込んでいった。それは、起動者であるシフルティアの〝願い〟。願いを受けて、ヴラルの瞳から感情が抜け落ちていく。
やがて光が鎮まると、感情を映さない瞳のヴラルが佇むだけとなった。
シフルティアは眼下から彼を見上げる。
「……ヴラル様。
「〝――……〟」
ヴラルの指がシフルティアの髪をひと房すくい取った。長く艶やかなそれに口づけし、その唇で愛の言葉を紡ぐ。
「〝……もちろんです、シフルティア殿下。私は貴女をお慕いしております……〟」
「――……!」
シフルティアの目からぼろぼろと涙が零れ落ちた。
言ってほしくて。聞きたくて。でも、彼は国のことを一番に考える人だったから。
思い出に。嘘でもいいからと頼んでも、決して言ってはくれなかったひと言だった。
シフルティアは嗚咽の洩れそうになる口元を押さえ、長い睫を伏せた。
「すげぇ……堅物の宰相さまがキスさえしたぜ。原理はさっぱりだが、本当に相手の心を操ることができるみたいだな」
これさえあれば、誰をどうとでも動かすことができる。国に能力を売れば、争いを引き起こすことだってできる。
すべてが己の意のまま――こんなに滑稽で面白いことはない。
「さて、これでその宰相さまはアンタのもんだ。アーティファクトをこっちへ寄越しな。……変なことは考えるなよ? 頭でっかちの宰相さまとお姫さま一人くらい、こっちはどうとでもできるんだからな」
シフルティアがそろそろとアーティファクトを渡すと、男は存外整っていた顔で皮肉っぽく笑った。
「宰相さまとお幸せに」
――ま、いつまで効果があるかは知らないけどな。
心のなかで呟いて、踵を返す。
そのままコツコツと靴音を響かせて大広間を出ていこうとしたが――。
「――では、黒獅子騎士団の精鋭が揃っていたらどうですかぁ?」
のんびりとした女の声がしたと思ったら、男を取り囲むように黒獅子騎士団の精鋭たちが槍を構えていた。
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