第11話


   ***


 古代魔導式の解読作業が、追い込みに入った。

 見ていても面白いものではないからと、ミリアナはギルバートとイドットに外で警備してもらうよう頼んだ。そのため、二人は廊下側の扉の前で、石像のように直立不動の姿勢を保ちながら作業が終わるのを待っている。イドットは見るからに、ギルバートは無表情を取り繕いながら、気を揉んでいた。

 出入りするのは、ミリアナに用件のある人間とオリビアだけ。前者はいないに等しいため、出入りする者は実質的にオリビアだけとなった。

「失礼いたします。ミリアナ様」

 オリビアがティーセットと焼き菓子の載ったワゴンを押しながら入室すると、中は紙の海となっていた。

 ワゴンと人が通れるだけの道はあるけれど、それ以外の床は書き損じや資料の写しなどで埋め尽くされている。どこに何があるのかミリアナにはわかっているらしい。オリビアは紙を動かさないよう気をつけながら、浅瀬のように残っている細い道を通っていった。

 書斎机の近くには、サービングカートが置かれている。

 そこに用意された紅茶と焼き菓子には、手をつけられた様子がなかった。

 オリビアは手早く紅茶と焼き菓子の皿を取り替えた。ミリアナは姿勢を崩さない。――少しお休みになってくださいと言ったところで、聞くことはないだろう。

「――失礼いたしました」

「オリビアさぁん」

 扉の前で退室の辞を述べて頭を下げたオリビアに、声がかけられた。

「はい」

「これが終わったら、みなさんでお茶をしましょうねぇ」

 ミリアナは紙の上に走らせる目も羽根ペンを動かす手も止めないまま、笑ってそう言った。

 気を抜いたら倒れそうなほど辛いはずだ。顔色もあまりよくない。

 けれど、止めることはできないのだろう。

 だからオリビアも、努めて笑顔を保った。

「――はい。最高のお茶とお菓子をご用意しておきます」

 オリビアが退室すると、室内は羽根ペンを走らせる音と紙を捲る音だけの空間に戻った。

 だが、ミリアナの頭の中は騒がしいくらいだった。

 絶えず古代魔導式の列があり、正しい解読を待っている。解読の済んだものと済んでいないものは分けられ、新しい式の解読に前のものが必要になったら頭の隅から引っ張り出してくる。急にずっと前の式が必要になると、記憶をさらうより先にそれを書き記した紙が欲しくなる。

「リズちゃん、四王の段の二五七番目の式を――」

 つい呼びかけてしまってから、ミリアナはハッとした。

 あまりにせわしないものだから、思わずリズの名を呼んでしまった。

 ここは王城で、リズはいないのに。

「……さすがに疲れてきちゃってるみたいですぅ」

 苦笑して、目に留まったサービングカートを見つめた。

 焼き菓子の山をバババッ!と口の中に放り込み、中温の紅茶をゴクゴクゴクッと飲み干す。甘さと香りのコラボレーションが、疲れた脳を一気に癒した。

「もう一息ですぅ」

 オリビアは優秀にも、紅茶のおかわりのポットとキューブシュガー砂糖の山とミルクも置いていってくれた。空になったカップにミルクを注ぎ、紅茶、それに砂糖を五個くらい投入し、甘ったるくなったミルクティーを片手に追い込みを続けた。

 最後の没入からおよそ二時間後。

 空が夕暮れに染まる一歩手前で、ミリアナの手は止まった。

「……、……」

 考えても、考えても、これ以上はない。

「……解けましたぁ~」

 思わず机に突っ伏すと、力の抜けた手から羽根ペンが滑り落ちた。借り物の魔導具で、魔力を注げば無限にインクが出る。高価な代物だが、机からは落ちていないのでいいということにする。

「――って、落ちてる場合じゃありませんでしたぁ」

 がばりっと起き上がり、壁際に備えつけられている金庫へ向かった。

「《開錠》」

 ミリアナの声と魔力に反応して、重そうな金庫が開いた。ミリアナとアロイスだけが開けられるように設定してある。

 中には宝石箱が一つだけある。その中に腕輪型の古代魔導遺物アーティファクトが収められていた。

 ミリアナは腕輪型のアーティファクトを左手首に装着し、長い式を述べはじめた。

 ミリアナが古代魔導式から読み解いた「起動式」だ。

 高度な技術の結晶体であるアーティファクトには、例外なく起動式がある。これは、一度古代魔導式に変換されている。これを解読し起動式を明らかにしなければ、アーティファクトを起動させることはできない。

 ゆえにアーティファクトを起動させるためには、古代魔導式の解読が必要不可欠だった。

 解読を誤り、起動式を間違えれば、アーティファクトは起動しない。

 その場合、解読を一からやり直さなければならない。

 解読を担う魔導研究者にとって、起動式を唱える時間が一番緊張すると言えた。

 しかし、ミリアナは確かな手応えを感じていた。

 起動式を述べるにつれて、アーティファクトが鳴動しはじめている。何百年と眠り続けていた古代の遺物が、永い眠りから目覚めていくのを感じる。

「――《起動せよ》」

 最後の言葉を発した瞬間、アーティファクトが熱を帯び、目も開けていられないほどの白い光を発した。

 光がゆっくりと消えていく。そろりと目を開けると……古ぼけて見えたアーティファクトが、往時のような美しい色彩を取り戻していた。

「……成功ですぅ」

 ミリアナは女神の如き微笑みを零した。何者にも侵すことのできない、天上に住まうものだけが到達できる域。このときが一番満たされる。

「さて、このコにはどんな能力があるんでしょうかぁ~♪」

 ミリアナは声を弾ませた。起動式はあくまでアーティファクトを起動させるためのもの。起動させるまで能力はわからない。

「《其が能力を眼前に示せ》」

 永い眠りから目覚めさせてくれた主人の声に応え、アーティファクトが空中にその能力を映し出した。

 古代語で説明が連ねられている。

 読み進めるほどに、ミリアナの顔色が変わっていった。

「…………これはぁ」


〝――ちょぉっと、マズいですぅ〟


 ミリアナはごく小さな声で呟くや否や、胸元から自作の魔導具を取り出した。ギルバートにも貸し出した、懐中時計型の魔導具だ。

「――《起動》」

 ヴン、という起動音とともに、魔導具が起動する。

「《〝此れ〟と起動者を繋ぎ、いかなるものからも〝此れ〟を守れ》」

「此れ」とはアーティファクトのこと、起動者とはミリアナのこと。この二つを引き剥がすことができないよう一体化させ、攻撃が加えられるようなら撥ね返す。

 非現実的な願いにも、ミリアナの魔導具は難なく応える。

 だがその代わりに、ミリアナの中から魔力がごっそりと吸い取られていった。

「うっ……、結構食べられましたぁ……」

 この魔導具を、ミリアナは【クロノス】と名づけた。

 【クロノス】はあらゆることを可能にするが、代償に起動者の魔力を要求する。願いが大きいものであればあるほど大量の魔力を求められるため、指定は慎重に行う必要がある。それでも、今はこのアーティファクトの安全を優先する必要があった。

「ギルバート様!」

「!」

「ヒャッ!?」

 ミリアナが扉から飛び出してきたので、ギルバートとイドットは驚いて振り返った。

「どうなさいましたか」

「至急、王太子殿下にお目通り願いたいんですが、できますかぁ?」

「アロイス殿下に?」

 ギルバートは目を走らせた。ミリアナの左手首にアーティファクトが装着されている。それを見て、研究に関する火急の用だと理解した。

「今の時間であれば執務室にいらっしゃるはずです。先触れを出して我々も向かいましょう。イドット、お前はここの警備を続けろ。念のため第三騎士団に追加要員を出してもらえ」

「了解しました!」

「行きましょう、ミリアナ様」

 ミリアナは頷き、ギルバートとともに小走りに歩き出した。



 騒がしくならないよう細心の注意を払いながらも、できるだけ早くアロイスの元に着くよう小走りに移動しながら、ミリアナとギルバートは情報を共有しはじめた。

「解析が終わったのですか」

「はいぃ。ただ、予想以上に危ない代物だったんですぅ」

「ミリアナ様がそこまでおっしゃるということは、国を滅ぼすこともできそうですね」

「ある意味では、そうかもしれませんねぇ」

「まさか……」

 半ば冗談のつもりだった発言を肯定されて、ギルバートは言葉を失った。

 思わずミリアナの左手首を見る。そんなものを身に着けていて大丈夫なのだろうか、と不安に思ったように。

「なのでぇ、一刻も早く安全なところで保管しなければいけませぇん。アロイス殿下なら、最も安全な保管場所を用意できるはずですぅ」

 庭に面した外回廊に出て棟を変われば、アロイスの執務室はもうすぐだ。

 いっそ走ってしまいたい気持ちを抑えながら、前へ前へと急ぐ。

 しかしそのせいか、ミリアナもギルバートも、曲がり角の向こうから同じように急いてくる人物がいることに気づかなかった。

 外回廊に出る曲がり角から、フッと人影が現れた。

「え?」

「……!」

 相手側もこちらの存在に気づいたが、もう遅い。

 ミリアナと駆けてきた人物は、思い切り衝突してしまった。

「わぁッ……!」

「あッ……!」

「ミリアナ様!」

 ぶつかった反動で後ろ側にはねのけられたミリアナを、ギルバートが咄嗟に支えて抱き止めた。小柄なミリアナはしっかりと抱き止められケガはなかったが、不意打ちということもあって頭がぐらぐらする。

「大丈夫ですか!」

「あ、ありがとうございますぅ、ギルバート様……。って、お相手の方も大丈夫で――」

 倒れ込んでいる人物を見て、ミリアナは目を剥いた。

「シフルティア様!?」

 アロイスの妹、王女シフルティア。

 しかもただ倒れ込んでいるだけではない。

「どうして泣いていらっしゃるんですかぁ!? 今の衝突でおケガでも!?」

 頬が涙で濡れていた。アメジスト色の瞳から、それこそ宝石のような涙をはらはらと溢している。

「なんでもありません……っ、なんでも……っ」

 大慌てのミリアナに気を遣うように、シフルティアは顔を伏せる。

 しかし、指で拭っても拭っても涙は止まらず、嗚咽ばかりが続く。

「とてもそうは見えませんがぁ……」

 どうしたものかと困っていると、遠くから激しい靴音が駆けてきた。

「殿下! どちらにいらっしゃるのですか、殿下!」

 焦燥に染まった声でシフルティアを呼ぶのは、彼女の近衛騎士であるリリーシャだ。

「リリーシャ様ぁ……?」

 リリーシャがシフルティアと、ミリアナとギルバートに気づいた。

「殿下――、と、ミリアナ様とギルバート殿……」

 リリーシャは、ミリアナたちを見ると苦い顔になった。シフルティアと接触しているとは思わなかったのだろう。

 ミリアナとギルバートは顔を見合わせた。

 一刻も早くアロイスの元に行きたいところだが、こんな状態の王女を放ってもおけない。

(そういえばぁ――)

 ミリアナはふと、かつてリリーシャにされた質問を思い出した。

 そして、この状況。

「もしよろしければ……お話をお聞かせ願えませんかぁ?」






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