第10話



 国王陛下と王妃殿下のお言葉が終わると、夜会は自由行動へと移った。

 このあとは退場しても交流を続けても自由だ。多くの参加者はまだ大広間に留まっている。

 ミリアナは、外の空気を吸うためにバルコニーへと出た。

 初夏の近い涼しげな夜風が、人酔いぎみの頬に優しい。思わず吐息を零し、バルコニーの手摺てすりに触れた。

 大理石の手摺りは、ひんやりとしていた。

「ミリアナ様」

 ギルバートが声をかけてきた。

「……お加減はいかがですか」

 気遣いの滲む、控えめな問いかけに、ミリアナは笑って返す。

「うふふ。どうしたんですかぁ、ギルバート様? わたしは具合が悪くなったわけではありませんよぉ?」

 ちょうど周囲に人がいないからだろう。

 ギルバートが突然、頭を下げてきた。

「――先程は、侍女たちが失礼いたしました」

 ミリアナは、目を丸くしてギルバートを凝視した。イケメンは頭の旋毛つむじまでイケメン……ではなくて。

「えっ、どっ、どうしてギルバート様が謝るんですかぁ!? それに、わたしは侍女さんたちのことも怒っていませんよぉ? わたしのほうがもっとちゃんと、この眼鏡を外せないことを説明するべきだったんですぅ」

「しかし、そのせいでミリアナ様が隠したがっていたことを明るみにしてしまいました」

「別段、困るわけじゃありません~! むしろ、気味の悪いものを見せてしまって、申し訳なく思っているんですぅ」

 虹色に光る瞳。

 明らかに異質なもの。

「ギルバート様も気味が悪かったでしょう? 申し訳ありませんでしたぁ。忘れていただけると嬉しいですぅ」

「――私は」

「とにかく頭を上げてくださいぃ。ね?」

 ギルバートはゆっくりと頭を上げた。が、まだ気に病んだ顔をしている。真面目すぎるのも考えものだ。

「『魔眼』……とおっしゃっていましたが、どういったものなのかお訊きしてもよろしいでしょうか」

 雰囲気が普段のものに戻ってきたことにホッとしつつ、ミリアナは夜空を見上げた。

「よろしいですよぉ。と言っても、単なる特別変異なんですけどねぇ。魔力が強い者に稀に現れるんだそうですが、強すぎる魔力が目に集中することでああいう色になるそうですぅ。魔導式の見える魔導眼とはまったくの別物で、特別な力があるかどうかは、今のところわかっていませぇん。迷惑な話ですよねぇ」

「もしかして、以前おっしゃっていた〝自身の力を追う過程〟とは、魔力のことではなくて……」

「はいぃ。どちらかといえば、この魔眼のことを知るためでしたぁ。この〝眼〟は、最初から、私を普通にはしてくれませんでしたから……」

 ミリアナは孤児院で育った。生後数か月の赤ん坊だった頃、孤児院の前に籠に入れて置いていかれたのだ。

 孤児院の院長は、魔眼のことも魔力のことも特別には知らなかったけれど、稀有な瞳を持つミリアナを他の子と同様に可愛がってくれた。このグルグル眼鏡をくれたのも、院長先生だった。

 しかし、周囲まではそうもいかなかった。孤児院の手伝いの人の中にはミリアナを気味悪がる人もいた。子供はもっと正直で残酷だった。入ってきたばかりの男の子に面と向かって『バケモノ!』と言われて、木の枝を持って追いかけ回されたこともある。

 そもそも、ミリアナは生後すぐに捨てられたわけではなかった。

 生後数か月経ってから……目が開くようになり、その色彩の異様さを恐れて、捨てられたのだろう。

 この「眼」さえなかったら。

「普通」でいられたのだろうか。

「もっともぉ、今の生活に満足しているので、もう気にしていないんですけどねぇ」

 ただ、あまり他人には見られたくなかった。

 ミリアナの眼を見て声を上げた侍女たちのを思い出す。

 それまで親しく話をしてくれていた人の眼が、一瞬でおびえに変わる。その度に自分が異質であることを、普通ではないことを突きつけられる思いがした。

 しかも、ギルバートにまで見られてしまった。

 優しく笑いかけてくれていた彼も、きっと自分とのあいだに一線を引くだろう。

 そう思ったら、目の奥がジン……と酸っぱくなってきた。

 せり上がってくるものを覆ってくれる眼鏡の存在が、皮肉にも今はありがたい。

(情けないですぅ……。もうですのにぃ……)

 不意にギルバートが隣に並んだ。

 高い背が夜空に映える。漆黒の正装を纏い、王太子のアロイスにも負けないくらい立派だ。

「淑女の隠しているものを暴いてしまったことはお詫びします。しかし、ミリアナ様がそうおっしゃるのであれば、私もこの件はこれで忘れることにします。もちろん口外もいたしません。それでお許しいただけるでしょうか?」

「……もちろんですぅ」

 ミリアナはぽかんとギルバートを見つめた。あまりにも、いつもと変わらなかったから。

 もっとよそよそしく、距離を取られると思っていたのに。

 気になってしまい、もじもじしながら訊ねた。

「……あのぅ。ギルバート様は気味が悪くないんですかぁ?」

「? 何がでしょう」

「わたしの『眼』のこと……。虹色に蠢く瞳なんて、不気味じゃありませんかぁ……?」

 心底不思議そうな顔で、ギルバートが小首を傾げた。

「私は、綺麗だと思いましたが」


――私は綺麗だと思いますよ、ミリィ。


 一度だけ、同じことを言ってくれた人がいた。

 お世話になった孤児院の院長先生だった。誰もが不気味だ、恐ろしい、と言う瞳を、院長先生だけは綺麗だと言ってくれた。

 もう、誰もそんなことは言ってくれないと思っていた。だから隠してきたけれど。

 その言葉を、もう一度くれる人が現れるなんて。

「……うふふふぅ」

 いつの間にか涙は引き、代わりに笑いが込み上げてきた。

 急に笑い出したミリアナを見て、ギルバートがきょとんとなる。

「ミリアナ様? どうかなさいましたか」

「いいえぇ」

 ギルバートは、素直な人間なのだろう。美しいものは美しいと言う。周囲の評価など関係なく。

 それはある意味で真実を見つめる〝眼〟だ。真実を見つめる曇りなきまなこ。自分たち研究者にもそれがある。

 それが妙に、嬉しかった。

「ギルバート様は、お優しいですねぇ」

 嬉しくて微笑みかけると、一瞬、シャンデリアの光を反射して、ギルバートの目に分厚いガラスの向こう側が透けて見えた。愛しむような虹色の瞳が、隠されていたミリアナの素顔が、垣間見える。

 それは、魔導研究者としてでも、国王にまみえるだけの力を持つ存在としてでもない、ただのミリアナ、ただの一人の娘としての顔。そしてその微笑みを――ギルバートは素直に可愛らしいと思った。

「……あらぁ?」

 ミリアナは階下に人影を見つけて、目を見張った。

 建物に沿うように林が広がっている。夜に沈む木々が城から洩れる光に照らされ、視界は悪いものの、動く人影くらいは視認することができた。

 夜会に乗じて逢瀬を愉しむ紳士淑女も多い。ただの人影なら気にしなかったが、目に入ったそれは、確かに知っている人の姿だった。

「シフルティア様……?」

「殿下がどうかなさいましたか」

「今、そこの林の中にシフルティア様が向かっていかれた気がするんですぅ。こんな時間にどうなさったんでしょう?」

 成人前のシフルティアは、夜会に出席していない。

 だからといって、夜に出歩くこともないはずだ。

「確かですか? このような時間に殿下が部屋からお出になることはないと思いますが……」

「見間違いでしょうかぁ? 確かにシフルティア様だったと思うんですがぁ……」

「……少し気になりますね。殿下がお部屋にいらっしゃるかだけでも、確認しておきましょうか」

 二人は会場から、王族の私室がある棟へと向かった。

 この先は、許可の下りた者しか入ることができない。ましてや夜だ。

 そこで、紙片を使ってシフルティアの近衛騎士であるリリーシャに伝言を頼むと、間もなくしてリリーシャがやってきた。

「夜分に私になんのご用でしょうか」

「申し訳ありませぇん。実は、先ほど林の傍でシフルティア様をお見かけした気がしましてぇ……」

 リリーシャの吊り上がりぎみの眉が、ピクリと動いた。

「見間違いかもしれないんですが、念のためシフルティア様が私室にいらっしゃるかご確認いただけませんかぁ? 何かあっては一大事ですからぁ」

「……少々お待ちください」

 嫌な顔をされるかと思ったが、近衛騎士は存外あっさりと従ってくれた。

 待っていると、リリーシャは特に急いだ様子もなく戻ってきて、淡々とこう述べた。

「殿下はお部屋にいらっしゃいました」

「本当ですかぁ?」

「私が嘘をつく理由があるとお思いですか」

「いいえぇ」

 リリーシャを疑っているわけではない。しかし、疑念は消えなかった。髪色といい顔立ちや背格好といい、あの人影の主はシフルティア以外では考えられない。

 とはいえ、リリーシャが嘘をつく理由もミリアナには思い浮かばなかった。これ以上は確認するすべもない。その言葉を信じて戻るしかなさそうだ。

「……わかりましたぁ。夜分にお手数をおかけして、申し訳ありませんでしたぁ。失礼いたしますですぅ。戻りましょう、ギルバート様」

「……はい」

 ギルバートも頷いてミリアナの後に続く。

 立ち去ろうとするミリアナの背に、声がかけられた。

「――あの」

「え?」

 驚いて振り返ると、リリーシャが棟に引き返すことなくその場に留まっている。

 やけに真摯な目でミリアナを見ていた。

「何かぁ?」

「貴女は、優秀な魔導研究者のようですね。魔導具や魔導について、様々なことをご存知なのでしょう」

「えぇっとぉ……まぁ、そうですねぇ」

「お訊ねしたいのですが……〝人の心を変える魔導具〟は、存在しますか」

「――人の心を操る魔導具、ですか?」

 わざとニュアンスをずらしたにも関わらず、リリーシャは肯いた。

 この女性の近衛騎士は、初対面のときからミリアナを警戒していた。

 正確には、シフルティアに害を及ぼすかもしれない存在すべてを警戒していたのだろう。だから、彼女が〝誰のために〟そんなことを問うたのか、ミリアナには察することができた。理由まではわからないが、魔導という学問に興味があるからということではないだろう。

「今のところ、存在していませんねぇ」

「……そうですか」

 わずかな落胆の色が、女騎士の柳眉に見えた。

 彼女はそれを一瞬で払う。そしてまた憮然とした近衛騎士の顔に戻ると、二人に向かって頭を下げた。

「お引き止めして申し訳ありませんでした。お気をつけてお戻りください」

 リリーシャが踵を返す。

 そこに今度は、ミリアナが声をかけた。

「ですがぁ」

 硬質な音を響かせる足が止まった。

「もしかしたら、古代魔導遺物アーティファクトの中には存在するかもしれませんねぇ。でもぉ……人為的に歪められた心は、欲したものと本当に同じものでしょうかぁ?」

 リリーシャが振り返る。建物の陰になって表情がよく見えない。

 鋭い光がミリアナを見据えた。どこに在っても、強い光は存在感を放つ。

 それは瞳の光。敬愛する主君のために研ぎ澄ました刃のような。

「……なんのお話か」

たとえ話ですぅ」

 ミリアナがドレスの裾をひるがえして、回廊を遠ざかるまで。

 背には、ずっと刃のような視線が向けられていた。






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