第6話



 シフルティアの部屋は、甘さと清楚さを兼ね備えていた。清潔に整えられ、慎ましくも華やか。王女の人柄をそのまま表しているかのようだ。

 純白の総レースのカーテン越しに、迷路のように垣根を巡らせた広大な庭が見えた。

「拭くものを持ってこさせましょう」

 部屋や庭に気を取られていたミリアナに、シフルティアが言った。ミリアナは首を横に振る。

「お気遣いなくぅ。場所さえあれば、すぐに乾かせますからぁ」

「すぐに……?」

 どういう意味かしらと、シフルティアが細い首をかたむける。

 ミリアナは首からかけていたチェーンを手繰り寄せると、懐から懐中時計のようなものを取り出した。金細工で緻密な葉模様が施されている。少女の手で握り込めそうなくらい小さなものだが、出来は素晴らしい。

「――《起動》」

 ミリアナの声に応えるかのように、懐中時計が

「《着衣、髪より余分な水分を除去。のちにもう一度これを繰り返せ》」

 直後、ミリアナを白い光が包み込む。

 そして、彼女の濡れていた服や髪を一瞬のうちに乾かした。

「まあ――」

 シフルティアは驚きに口を覆った。

 ミリアナは白い光とわずかな風を掃ってにっこりと微笑むと、近くの侍女に懐中時計を差し出す。

「お手数ですが、これをギルバート様にお渡しいただけませんかぁ? わたしが使っている魔導具で、握れば服や髪を乾かしてくれるとお伝えください~」

「か、かしこまりました」

 同じように驚きを隠せないでいたシルフティアの侍女は、レースのハンカチ越しに魔導具を受け取ると、うやうやしくお辞儀をして別室へ出て行った。

「今のは特別な魔導具ですか? あのようなことができるなんて……」

 シフルティアが興味津々といった様子で訊ねる。

 フルーレ王国における魔導具といえば、高温での調理を可能にする魔導コンロや食材を冷やして保存する魔導冷庫が知られている。しかし、火を熾したり、水をろ過するといったものはともかく、人の全身を乾かす魔導具などは見たことも聞いたこともないだろう。あったらもっと世の中に浸透しているだろうし、国にとっては莫大な富を生み出す技術になる。

「わたしの研究結果をまとめるために造ったものなんですぅ。実用化できたらいいんですが、もんのすごぉおくお金がかかってしまったので、あれひとつしか完成しなかったんですよねぇ。羨ましがられると困ってしまうので、他言無用でお願いしますねぇ」

「まぁ……」

 茶目っ気たっぷりに言われて、シフルティアはくすくすと笑った。

 直後、ミリアナの背中に鋭い視線が突き刺さった。

 部屋の扉を守っている、シフルティアの護衛のものだった。エンジ色の長い髪を頭の高いところで結わえ、簡易甲冑を身につけた女騎士で、凛とした雰囲気を纏っている。

「護衛の騎士さまも、お願いしますねぇ」

 と、声をかけられると、女騎士はハッとしてうなずくように頭を下げた。

「彼女はリリーシャといいます。わたくしの近衛騎士です。お見知りおきくださいませ」

「よろしくお願いしますぅ」

 あからさまではあったけれど、女騎士の反応は正しいと言えた。

 ミリアナが造ったあの魔導具には、国ひとつをひっくり返すくらいの技術が詰まっているからだ。自分が巻き込んだ手前、ギルバートにも貸し出したが、本来なら人目に触れさせていいものではない。

 リリーシャには、それがわかったのだろう。

〝こんなものを持ち歩いているこの娘は何者だ〟と、そういう警戒心が緑色の瞳にあらわれていた。

「どうぞ、おかけになってください」

 シフルティアが窓辺に備えつけられたティーテーブルセットを示した。オーク材の丸テーブルにレースのテーブルクロスがかけられ、花と蔦の刺繍が施された椅子が二脚、向かい合う形で用意されている。

「せっかくですから、研究についてお聞きしたいわ」

 そう言って、シフルティアがさり気なくリリーシャに目配せすると、女騎士は目礼して、音も立てずに部屋を出て行った。――ギルバートに、二人の話が終わるまで別室で待機しているよう、伝えに行ったのだろう。

 続いて、王女は別の侍女に声をかける。

「お茶の準備をお願いね」

「かしこまりました。王女殿下」

 王女殿下にそこまで気を遣われては、断るのも失礼だ。ミリアナは仕方なそうに苦笑し、テーブルについた。

「ミリアナ様は、お兄様の推薦で王宮に配属されたとか。先日見つかった古代魔導遺物アーティファクトの調査にいらしたのですか?」

「はい、そうですぅ。まだまだ解析途中ですが」

「では、まだどのようなものなのかも、わかっていないのですね?」

 シフルティアは、兄が担当することになったアーティファクトについて、基本的な情報を持っているようだ。王宮内で見つかったということもあり、王族内で情報が共有されているのだろう。

 まもなく成人するシフルティアは、両親譲りの端正な顔立ちに、少女のような清純さを残していた。素直に興味を示す顔には初々しさがあり、まだまだ可愛らしい印象を受ける。

「王女殿下は、アーティファクトに興味がおありですかぁ?」

 そうミリアナに訊ねられると、好奇心を露わにしていたことを恥じらうようにはにかんだ。

「お兄様ほどでは……。けれど、先ほどのミリアナ様の魔導具は素晴らしいと思いましたわ。あのようなことができるのなら、国ももっと魔導研究を推奨すべきなのかもしれませんわね」

 ミリアナは、シフルティアに好感を抱いた。素直で、真っ直ぐな姫君だ。

「失礼いたします」

 届いたお茶とお菓子がテキパキと二人の前に並べられていく。

「そうですねぇ。でもぉ、急激に魔導研究を推し進めることは、専門家としてはあまりお勧めしません~」

「どうしてですか?」

「……アーティファクトが、関わってくるんですがぁ……」

 ――古代魔導遺物。

 その響きから、それは旧人類の古く稚拙な技術と思われている。

 しかし、実際には、アーティファクトは現代ではありえないほどの高度な技術の塊だった。

 ミリアナが開発した先ほどの魔導具は、その技術の一部を応用している。

 古代魔導技術は底が知れない。現代の知識では起動できないものもある。魔導研究者としてその一端を担っているミリアナはよく実感する。魔導技術を突き詰めれば、世界そのものを壊滅させるおそれがあるということを。

 実際、旧人類が滅んだ原因は発展しすぎた魔導技術の暴走とも言われていた。

 そこまでは、この無垢な王女には話せないけれど。

「――……とまあ、要するに、ちょぉっと危なっかしい分野なんですねぇ。少し遅れているくらいのほうが、わたしはいいと思いますぅ」

「そんなにも大変な技術なのですね……」

 危険性を理解し、シフルティアが思案気になる。

 素直で、聡く、美しい。王女の鏡のような王女。国民に愛されているのも頷ける。

 愛らしい妹王女は、パッと笑顔になって顔を上げた。

「ですが、今回見つかった魔導具は、ぜひミリアナ様に解明していただきたいわ。どのようなものなのかわかったら、きっと教えてくださいませね」

「はいぃ。頑張りますぅ」

 朗らかに微笑みあう二人の娘たち。

 それから二人は、お茶を飲みながら他愛のない話に花を咲かせた。


   ***


「貴重な魔導具を貸していただき、ありがとうございました」

 王女とのお茶会が終わったため、ミリアナとギルバートは作業部屋へ戻ることにした。

「いいえ~。きっと、巻き込んでしまったのはわたしのほうですからぁ」

「そのようなことは……」

 ギルバートは、ミリアナが貸し出した魔導具について触れてこなかった。

 門外漢の自覚もあるのだろうが、機密が多いことも察してくれたのだろう。深く訊かれると困るところもあるため、ミリアナはその気遣いをありがたく頂戴することにした。

「水の件は、団長にも報告し、騎士団で調査します」

「お願いしますぅ」

 頼みながら、ミリアナは心のなかで呟いた。

(多分、アーティファクトの件とは無関係だと思いますけどぉ……)

 ミリアナは、水をぶちまけた犯人と、アーティファクトを井戸に落としていった人間は別人だと踏んでいる。

 何故なら、アーティファクトを解析してほしい人間がミリアナに嫌がらせをするわけがないからだ。解析が終わる前に王宮を出て行かれたら、わざわざ外から連れてこさせた意味がなくなってしまう。

(実はちょぉっとだけ見当がついてるんですけどぉ……、見つからなかったら見つからなかったでいいですし、今回のことはあちら犯人にもダメージが行ってそうですからねぇ……)

 予想通りの相手が犯人だとしたら、これ以上の実害は出ないだろうし、あえて追撃することもないだろう。そう思い、静観することにしたのだった。

 まもなく、作業部屋のあるフロアに着いた。

 廊下の先から、侍女がシーツのかかったワゴンを押しながら歩いてくる。

 侍女の制服は、王宮内共通のセピア色の侍女服にフリルのついた白いエプロン、髪を束ねておくためのキャップでひと揃いだ。オリビアのような上級侍女になると生地が変わるが、歩いてくる侍女は下級侍女のようだった。

 彼女は、ミリアナとギルバートに気づくと、サッと廊下の端に寄り、二人が通り過ぎるまで頭を下げ続けた。

「…………」

 侍女としては、普通の行動だ。不審な点は見当たらない。

 かける言葉も見つからなかったためそのまま通り過ぎたが、ミリアナは何故か一瞬、その侍女に違和感を抱いた。



 解析用に借りている作業部屋が近くなってくると、部屋の中がにわかに騒がしくなっていることがわかった。

 扉が開いていて、慌てた声が聞こえてくる。イドットの声だ。

「……騒がしいですね」

「どうしたんでしょうかぁ」

 ややして、扉からイドットが飛び出してきた。

「あっ! ギルバート先輩! ミリアナ様!」

 二人の姿を見つけると、イドットは泣きそうな声を上げた。

「何があった、イドット」

「おれが、おれが少し目を離した隙に……ミリアナ様の書類が……!」

「! ミリアナ様を頼む!」

 ギルバートがミリアナをイドットに任せて部屋に飛び込むと、狼狽うろたえているオリビアの姿があった。

「ギルバート様――」

 室内が荒らされた形跡はないが、書斎机の上に

「――あらら。持っていかれちゃいましたかぁ」

 遅れて部屋に入ったミリアナは、ギルバートの背後から机の上を覗き込んでのん気な声で言った。――書斎机の上から、書き上げたばかりの魔導式を写した書類の束がなくなっていたのだ。

「きっと、さっきの侍女さんですねぇ」

「犯人を見たんか!?」

 イドットが身を乗り出した。誰のことか、ギルバートも気づいた。

「先ほどすれ違った侍女ですか」

「はいぃ。さっきは気づかなかったんですが、あの侍女さん、前髪が長かったんですよねぇ。目が見えない……つまり、顔がわかりにくいくらい長かったんですぅ。そんな侍女さん……いませんよねぇ?」

 つまり、犯人の〝変装〟だった、ということか。

「ッ……!」

「無駄だと思いますぅ。今頃、変装をといて別人に変わってますぅ」

 廊下へ取って返そうとするギルバートを、ミリアナが止める。

「しかし、書類が……」

「それも大丈夫ですぅ」

「え?」

 ミリアナは目を見張る三人の前で、書斎机の一番上の引き出しを開けた。中には厚手の紙袋があり、さらにその中から――ミリアナが書き上げた書類一式が出てきた。

「えっ……!」

 イドットもオリビアもギルバートも、驚きに目を見開いた。

「すみませぇん。お二人の警備を疑うわけではなかったんですが、念のため偽物ダミーを置いておいたんですぅ。机の上にそれらしいものがあったら、あえて机の中を探ることはしませんからねぇ」

「で、でもあの書類も、式がたくさん書かれていましたけど……?」

 だから相手もそれが本物だと思い、持っていったはずだ。

 ミリアナはいたってのんびりとした口調で言った。

「あれは、の束ですぅ」

「途中」までは確かに「本物」な分、下手な偽物より本物に近いかもしれない。

「よ……良かったぁ……」

 安心して、イドットはへろへろとその場に座り込んだ。

「…………」

 しかし、ギルバードの顔は険しいままだった。警備上の失態であることは間違いない。自分も怪しい人物を見抜くことができなかった。

「ギルバート様、ギルバート様ぁ……」

 ミリアナはギルバートに声をかける。

「今回のことは、内緒にしておきませんかぁ?」

「……私とイドットのことを案じてのお気遣いなら、不要です。警護しきれなかった責は我々にあります」

「でもぉ、目立った被害はありませんでしたし、持っていかれそうになったのは書類ですしぃ……」

「ミリアナ様のご判断がなければ、ミリアナ様が何日もかけた成果が奪われるところでした。水の件も、薬剤だったら……赦されていいことではありません」

 頑として聞きそうにないギルバートを見て、ミリアナは苦笑した。

 根が真面目というか、融通が利かないというか……。

 そんなギルバートを好ましくは思うが、今回のことでギルバートとイドットが任務から外れることになったら、そちらのほうがミリアナは困る。

「……では、報告はお願いしますぅ。でも、団長様には警護の担当は替えないでほしいとわたしが言っていたとも、伝えてもらえますかぁ?」

 ギルバートは重くなっていた頭を上げた。ミリアナと視線が合った――気がした。グルグル眼鏡のせいで彼女の瞳は見えないけれど。

「ギルバート様とイドットくんのためじゃありません~。わたしのためですぅ。だって――……次の警護の人が、一緒にお茶を飲んでくれるとは限らないですよね?」

 ミリアナが自分たちに気を遣ってくれていることが、気づかわしげな笑みから感じ取れた。――言外に赦されていることも。

 次は、などという言葉は、使うべきではない。

「……御身は必ず、お守りします」

「そんなに気負わないでくださいぃ。ちゃんと水から庇ってくれたじゃありませんかぁ」

 軽やかな声で、ミリアナが笑う。いつもと同じ、明るい声で。

 この声が沈むことのないように――守りたい。ギルバートは心からそう思った。

「――お待ちください。〝水〟とはなんのことですか?」

 二人のあいだにずいッ、と、オリビアが割って入った。

「え? ええっとぉ……かくかくしかじかぁ……」

 話を聞くに連れ、オリビアの気配が淀んでいく。

 聞き終わる頃には、無表情でありながら怒りのオーラを纏うという、器用なことになっていた。

「淑女に水を被せるとは……ドレスを切り裂くにも等しい卑劣な行為。このフロース城でそのようなことを起こすなど、許せません! お任せください、ミリアナ様。侍女仲間から情報をかき集め、必ずや犯人を御前に突き出しましょう。口が堅く情報通の者を何人か知っておりますので――……」

 オリビアはやる気に満ちた目で宣言する。

「犯人」が可哀想になるくらい、その背中は燃えに燃えている。

「……なんだか、オリビアさんにお任せしたほうが早い気がしてきましたぁ」

「……遺憾ながら同感です」






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