第4話
王宮は広く、散歩をする道には事欠かない。
立ち入り禁止の場所などに入り込まないようギルバートに案内してもらいながら、ミリアナは王宮の中を散策することにした。
アーティファクトは室内の金庫に保管。イドットは、現在研究室となっている作業部屋に入り込む者がないよう、扉の前で見張りを続けている。
「さすがフロース城。どこも立派ですねぇ」
白鳥の羽のような白い壁面と群青色の屋根が太陽に映える。今日は天気も良く、外回廊からは庭も見渡せた。春の花々があちこちで花色を競い、目にも美しい。
「あっ、ルビネッツの花ですぅ。これは魔導具を造るときの材料にもなるんですよぉ」
垣根に咲く真紅の花に駆け寄り、ミリアナが花を観察する。散歩をしていても魔導のことが頭から離れないらしい。
「魔導がお好きなのですね」
ギルバートが訊ねると、ミリアナは少し言い淀んだ。
「そうですねぇ……。嫌いではありません。わたしにとっては、大事なお仕事ですからぁ。でも、好きだから魔導の道に進んだわけではないんですぅ」
「そう、なのですか?」
ギルバートはやや意外に思って、青い瞳を丸くした。好きが高じて研究者になった、という話が、ミリアナには当てはまると思っていたからだ。
ミリアナはルビネッツの垣根の前にしゃがみ込むと、花に話しかけるように顔を近づけ、その丸い花弁を指先で弄った。横顔が見える。正面からは見えない瞳が、ほんの少しだけ見えた気がした。
「わたしは魔力持ちですからぁ。自身の力を追う過程で、この道に入ったんですぅ。もちろん今では研究も好きですし、楽しいですぅ。でも……魔導自体が好きかどうかと訊かれると……ちょっと、微妙かもしれませんねぇ」
何故かその横顔が少し寂しそうに思えて、ギルバートはかける言葉に迷った。
しかし、その前に外廊下を歩いてくる貴族の女性たちがいることに気づいた。
ミリアナがアロイスに登用されたことは、王宮内に知れ渡っているほどではない。無用ないざこざは避けたほうがいい。
「ミリアナ嬢、道を変えましょう。こちらへ――」
「――あら? ギルバート・ベオグラム様ではありませんこと!?」
ハリのある女の声が、少し離れたところから聞こえた。
外廊下を談笑しながら歩いていた貴族の女たちは、ギルバートの姿を見つけるや否や、素早く近寄ってきた。
数は三人。ひと目で先頭の女性が筆頭格だとわかる。一番華美で、生気に満ち、自信に溢れた笑みを浮かべていた。
豊かにうねる黄金色の髪に真紅のドレスが映える。真紅のレースで仕立てられた豪華な大扇で口元を覆うと、エメラルドを思わせる緑の瞳が目を引く。それには獲物を狙い定める猛禽のような猛々しさがあった。
彼女の背後に従うように女性が二人。どちらも貴族令嬢で美しいドレスを纏っている。右手側に控えている女性は青いドレス、左手側に控えている女性は黄色のドレス。髪も化粧もドレスも、中央の女性を引き立てるかのように控えめでありつつ、しっかりと華やかだった。
ギルバートは恭しく頭を下げた。
「ご機嫌麗しく。エリーダ・フォン・クロスフォード公爵令嬢」
「そんなにかしこまらないで。アロイス殿下と親しい貴方は、わたくしにも劣らないお方なのですから。殿下はお元気? 政務がお忙しいとかで、最近お姿を拝見できなくて寂しいですわ」
エリーダ・フォン・クロスフォードは、三大公爵家のひとつクロスフォード家のご令嬢だ。アロイスの婚約者候補の最有力候補であり、この王宮内において彼女以上に目立つことは許されない、とまで言われるほど影響力を持つ。
最有力候補でありながら、アロイスがいつまでも婚約者を決めないことに業を煮やしている。そのため、隙あらばアロイスに会おうとしていた。
「次の夜会にはお出になるとおっしゃっていました」
「まああ、そうですの! 良かった。今、殿下のために新しいドレスを仕立てていますの。一番美しいわたくしを見ていただかなくてはいけませんからね」
エリーダが興奮気味に喜ぶと、後ろの二人もサッと口を開く。
「きっと、夜会では注目を攫いますわ。エリーダ様以上に美しい令嬢など、いるはずがありませんから」
「そうですわ! 私もエリーダ様のドレス、楽しみです!」
「まああ、ルナンナ様もピニエッタ様もお上手ね。もちろん貴女たちも新しいドレスを仕立てるのでしょう? よろしければ、メゾン・リュエフのレース生地をお贈りするわ。ドレスにお使いになって」
「あ、ありがとう存じます!」
「ラッキー☆ ……じゃなかった。謹んでいただきますー!」
そこでようやく、エリーダはギルバートの隣に佇んでいるミリアナの存在に気づいた。
「……あら? ギルバード様、そちらの方はどなた? 女性……ですわよね?」
グルグル眼鏡の弊害で顔立ちがわかりにくく、地味なローブ姿のミリアナは、一見しただけだと野暮ったい文官に見える。
ギルバートとしては、できれば気づかずにいてほしかったのだが、見つかった以上は紹介しないわけにもいかない。
「――アロイス殿下が登用なさった、魔導研究者の方です」
「まああ、殿下が!?」
アロイスの名が出ると、エリーダは色めきだつ。
「そういえば、使用人が見つけたという魔導具が、殿下に一任されたという話を聞きましたわね。そのために魔導研究者を呼んだとか。そちらの方のことかしら? ……ふうん、そう……女性でいらっしゃったの」
アロイスが差配しているのだから、ミリアナは当然アロイスと接触している。それが面白くないのだろう。エリーダはジロジロとミリアナを見回す。
「まあ、女性と言うにはいささか……わたくしの侍女のほうが華やかかもしれませんわね」
エリーダが嘲笑すると、ルナンナとピニエッタも笑いを堪えるように口元を歪めた。
王宮内における貴族女性の、こういったところがギルバートは苦手だった。
美を競い、格を競い、何かと優劣をつけたがる。男たちにもそういったところはあるのだから、お互い様かもしれないが、女性のそれは強すぎる香水のように鼻につく。
強すぎれば毒のようだということに、彼女たち自身が気づいていない。
ミリアナは気分を害していないだろうか。
そっと横を窺う。
魔導研究者の娘は――朗らかに笑っていた。
「お初にお目にかかりますぅ、エリーダ・フォン・クロスフォード様。魔導研究を
「あ、あら――」
「美」を褒められ、エリーダの態度が弛む。
「随分と可愛らしい方ですわね。……そんなにもわたくしの美しさは、市井でも有名ですの?」
「もちろんですぅ。アロイス殿下に相応しい、美しく〝お優しい〟公爵令嬢ともっぱらの評判ですぅ」
エリーダの背後で、ルナンナとピニエッタが目を丸くしている。
美しさはともかく、エリーダが〝優しい〟とはとても……。無闇に他人につっかかるなと言っているようなものだが、当の本人だけが気づかず、上機嫌になっている。
「まぁ……わたくしも王都で買い物をしたりしますもの、どこかで見られていたのかしら。殿下に相応しいなんて……本当のことですけれど、市井の民も高貴なるものの価値がわかるのですね。ミリアナ様でしたわね。貴女も女性ながら王宮に招かれるほどの研究者とは、ご立派なものですわ。是非、殿下のお役に立ってくださいませ。そして、エリーダが殿下のことを案じておりましたとお伝えください」
「はいぃ、もちろんですぅ」
「ほほほ! では、ごめんあそばせ!」
バサリッ!と真紅の大扇を広げ、首筋をあおぎながらエリーダが退場していく。
「あっ、お待ちください。エリーダ様!」
「置いていかないでくださいー!」
取り巻きの二人も、後を追う。
途中、足元をさばくため青いドレスの裾を持ったルナンナが一瞬振り返り、ギルバートとミリアナを交互に見た。その目はどこか不安そうだった。
場に静けさが戻り、ギルバードは安堵の息をついた。
「エリーダ様をご存知とは思いませんでした」
ミリアナは意外と王宮のことに明るい。エリーダの顔を知っていたとは思えないから、ギルバートとの会話からクロスフォード家のエリーダ嬢と推察したのだろう。しかも、貴族としては王族に次ぐ地位にある公爵令嬢を前にしても気後れしない肝の太さ。そういえば、王宮の偉容にもひるんでいなかった。
「市井の人は、意外と上の人たちのことを気にしているものですぅ。特にエリーダ様は三大公爵家のご令嬢で、殿下の婚約者候補の筆頭ですから、何かと口に
ということは、一部はエリーダを持ち上げるためのお
「では、わざと……」
「ああいうお人は、味方につけておくに限りますからぁ」
くっくっくぅ、と変な笑い方をしながら肩を揺らすミリアナ。
……世の多くの女性よりも、この方のほうが
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