第2話




 ブロウ村から王都ロゼッタリヤまでは、馬を走らせて三時間といったところだった。

 ギルバートはミリアナに馬車を用意するつもりだったが、時間もお金ももったいないという理由から断られた。そのためギルバートの馬に相乗りする形になったのだが……ロゼッタリヤに着く頃、ミリアナは己の判断を少々悔やんでいた。

「ううう……お尻……お尻が痛いですぅ……。騎士様のお馬さんの速度を侮っていましたぁ……」

 賑やかな王都の大通りに目を遣ることもできず、ギルバートの胸の前で、今すぐにでも馬から降りて倒れたいという状態になっている。小柄な体がプルプル震えているのを間近に見ていると、ギルバートもいたたまれない気分になってきた。後ろからついてくるイドットも、心配そうにしている。

「大丈夫ですか、ミリアナ嬢。休憩しましょうか?」

「王城も目の前ですから、大丈夫ですぅ。むしろすみません。身体強化の魔導をかけていたので、大丈夫だと思ったんですけどねぇ」

「身体強化の……魔導ですか?」

 あまり聞かない話なので、ギルバートはにわかに興味を持った。

 この国の魔導は、ミリアナが言っていた通り、「物」にかけられる形が一般的だ。魔導による付与、とも呼ぶが、騎士や冒険者が使う対・魔物用の剣にも魔導による付与が施され、威力が上げられている。

 しかし、人間のような生体に魔導を付与するという話は聞いたことがない。

「はいぃ。条件は限られますが、できるんですよぉ」

 興味を持ってもらえて嬉しいのか、ミリアナの声が少しだけ元気づいた。

「条件、ですか」

「まず、当人の魔力が高くなければいけません。体中に魔力が満ちている状態ですね。ですが、そもそも魔力の高い人が多くありません。古代の人は、魔導を使わなくても神秘の技が繰り出せるくらい魔力が高かったそうですが、今は魔力の高い人のほうが少ない時代です。ですがぁ、魔力の高い人は、体自体に魔導をかけて強化することができるんですぅ。もっとも、ちょっと頑丈になるくらいなので、お馬さんには勝てませんでしたけどねぇ」

 ミリアナはそう言うと、馬の首をそっと撫でた。ギルバートの黒馬は、まんざらでもない顔で首を動かす。

(ということは、ミリアナ嬢は魔力持ちでもあるということか。国にとっては、貴重な人材なのでは……?)

 何故、リズ・トワイライトの噂は聞いても、この娘の噂はとんと聞かなかったのだろう。

「王城が近づいてきましたねぇ」

 目の前に、群青色の頭に白亜の肌を持つ美城が見えてきた。

 フルーレ王国が王城、フロース城だ。




 ミリアナは、簡単な身体検査を受けたあと、城の貴賓室へと通された。

 ギルバートとイドットも付き添い、内扉の横で待機している。

 ミリアナは豪華な貴賓室を物珍しそうに見渡した。

 他国の賓客をもてなすためにも使われるのだろう。調度品、置物、絨毯、テーブルセット。どれをとっても一級品で非の打ちどころがない。一介の研究者に対して、大仰な対応に思えた。

(アロイス殿下は、身分をあまり気になさらない方のようですねぇ)

 身分によって客人を分けない。あるいは、身分によって部屋を分けるなど非効率的だと考えているのだろうか。どちらにしても、王族だからといって偉ぶる人ではなさそうだった。

 扉がノックされた。ギルバートが内側から開けると、貴公子然とした男性が両脇に伴の者を従えて現れた。

「待たせてしまったね。君がリズ・トワイライト女史の代わりに話を聞いてくれるという魔導研究者かい?」

 薄青色の髪にアメジストの瞳。フロース王国を治めるローズベルン王家によく見られる色合いの、すらりとして細身の青年だった。ミリアナは立ち上がり、スカートを持って礼を執る。

「ミリアナと申しますぅ。お会いできて光栄です、殿下」

「これは可愛らしいお嬢さんだ。トワイライト女史の後輩かな?」

「そんなところですぅ」

 お互いに、にっこり。その笑顔は似通っていた。笑顔以上のものは見せない、という強固で完璧な笑顔。互いにそれがわかるのか、二人はにこにこと微笑みあったあと、ミリアナはアロイスに促され着席し、アロイスはその前のソファーに座った。

「まずは名乗ろう。私はアロイス・クラウス・ローズベルン。この国の王太子だ。そして今回の依頼人でもある」

「ギルバート様から少しお聞きしましたぁ。魔導研究者の知識が必要となる事案が発生しているそうですねぇ?」

「そうなんだ。もちろん王宮にも魔導研究者はいるが、専門家と呼べるほどの知識を持っている者がいなくて、対処できなかった」

「普通、魔導研究者は知識の学び舎や自分の研究所で研究しているものですからねぇ。王宮での仕事といえば、魔導具のメンテナンスが主体でしょう」

 満足げな顔でアロイスが頷く。

「その通り。だから専門家を呼び出させてもらった」

「具体的なご用件は、なんでしょう? わたしにわかることだといいのですが~」

 アロイスが右手を挙げる、従者の一人がシルクの布を被せた台を持ってきて、テーブルの上に置いた。

 シルクを剥がすと、古めかしくも美しい腕輪が宝飾品用のクッションの上に鎮座していた。繋ぎ目がなく、つるりとしていて、中央に植物を模した細工が施され、紅い宝石が填め込まれている。

「……《古代魔導遺物》」

 呟き、グルグル眼鏡の向こうでミリアナの目が細くなった。

「やはり専門家なら、ひと目でわかるものかい?」

 アロイスがそれを興味深そうな眼で見つめている。

「わかりますねぇ。魔導式が全体に行き渡っていますぅ。今のところ式も欠けていないようですから、起動方法を解き明かすことができれば、動くでしょうねぇ。でも、おかしいですぅ」

「何がおかしいんだい?」

「今まで出土したアーティファクトにこんなものはありませんでした。新しく出土したものなら、どこかの研究所や学び舎で調べられるはずです。どうして王宮という、遺跡とは無縁な場所から、アーティファクトの解析依頼が来るんでしょうねぇ?」

 王太子殿下が依頼者ということは、これは王宮で見つかったもののはずだ。

「〝コレ〟……どこで見つかったんですかぁ?」

 アロイスは微笑みを崩さないまま答えた。

「井戸だ。使用人たちが使っている、ね」

 ある朝、使用人である侍女の一人が井戸で水を汲もうとつるべを落とし、桶を引きあげると、腕輪が引っかかっていたのだった。美しい細工なので貴人の誰かが落としたのかと思い、侍女は侍女頭に腕輪を見つけたことを報告した。

 侍女頭は腕輪を受け取ると、執事長に報告し、やはり腕輪を渡した。

 しかし、よく見ると腕輪はところどころに傷がついており、とても貴人が使うようなものではなかった。妙に思った執事長は宰相に報告し、その途中で王太子の耳にも入った。そして王太子は、これはアーティファクトではないかと考えた。

「どうしてアーティファクトだと?」

「微弱に魔力を感じたからだ。私も王族の一人として、それなりに魔力を持っているからね。傷のつき具合から見ても、新しいものではない。古いものなのに古びて見えないのは、それこそ魔導で造られたアーティファクトだからだろう、と考えたんだ」

「ご明察ですぅ。殿下は、アーティファクトをご覧になったことがあるんですねぇ」

「知見の一つとして、幼い頃から研究所などで見ているからな」

 そもそも、古代魔導遺物とは何か――。

 古代の人々が使っていたとされる、とても古くてとても便利な魔導具の総称。そのすべてが遺跡で発掘されている。

 材質からして現代の素材とまるで異なるが、最大の特徴は、「古代魔導式」と呼ばれる術式が組み込まれていることだ。

 魔導式は、現代でも使われている。魔導コンロ、魔導冷庫をはじめとする人々の生活に欠かせない便利道具は、魔導式なくしては動かない。

 しかし、アーティファクトに組み込まれている魔導式は、現代のものとまるで違う。材質と同じように。そのためこの術式は「古代魔導式」と呼ばれ、専門家でもなければ触れる機会もない。

 どちらの魔導式も、術式を研究し、解明できるまでに到達できた者の「眼」がなければ見えない。アロイスにもその「眼」はないはずだが、腕輪の帯びた魔力と感じられる古代のオーラから、確信したと思われた。

「ご依頼は、このアーティファクトの解明と起動、でよろしいですかぁ?」

「報酬は十分に用意しよう。護衛もつける。ギルバートとイドット従騎士で構わないかな?」

「恐れ入りますぅ」

「あとで侍女一人と、王宮内に君の研究室を臨時に用意する。他に入り用があったら、侍女を介してなんでも言うといい」

「休憩のときにおいしいお茶とおいしいお菓子があれば、文句なんてありません~」

 ミリアナが笑顔で答えると、アロイスは申し訳なさそうに苦笑した。

「最高のものを用意させよう。――。ミリアナ嬢」



 公務があるからとアロイスが退室すると、部屋と侍女が用意できるまでのあいだ、ミリアナには早速おいしいお茶とおいしい焼き菓子が振る舞われた。茶葉の芳醇な香りと焼き立ての菓子の甘さに、ミリアナは頬をゆるめている。

「ギルバート様とイドット様もいかがですかぁ?」

 扉の前で慇懃な面持ちで立っている二人に、そう声をかける。ギルバートはまったく表情を変えなかったが、イドットは驚いてあわあわした。

「じ、自分に『様』など、おそれ多いです!」

「あぁ、まだ従騎士様でしたねぇ。わたしから見れば、騎士様というだけでご立派に思えるんですが、先輩のギルバート様と同列のように扱われたら、恐縮もしますかぁ……。じゃあ、イドットくんとお呼びしてもいいですか?」

「はっ、はい! ミリアナ様!」

「わたしにこそ『様』なんて不要なんですけど、そういうわけにもいきませんよねぇ。ところで焼き菓子、いかがですかぁ? 皆で食べたほうがおいしいですからぁ」

「いえっ、その、そんな……」

 イドットは困った顔で先輩に助けを求めた。

 ギルバートはしばし考えた。

 任務中であることは確かだが、ここにはギルバートとイドットしか騎士はいない。それに、護衛対象からの誘いだ。自分はともかく、イドットだけならご相伴にあずかっても問題ないだろう。

「お言葉に甘えさせていただくといい」

 イドットは敬愛する先輩にトドメを刺されたような顔になったが、恐縮しながらもソファーに座り、「い、いただきます」と言って焼き菓子に手を伸ばした。

「はい、どうぞぉ」

 縁がフリルのように模様づいた白磁の大皿には、数種類の焼き菓子が盛られている。

 形も素材も違うクッキーやフィナンシェ、葉の形のパイ。客人に供されるものだけあって、どれも高級品だ。

 齧った瞬間、イドットはあまりのおいしさに目を瞬かせた。

 まだ従騎士のイドットは、嗜好品を買うほど懐に余裕がない。王都ならあらゆる菓子店で売っているクッキー一枚すらも食べたことがなかった。

「お、おいしいです。こんなにおいしいものは、初めて食べました!」

「それは良かったですぅ」

 嬉しそうな顔を見て、ミリアナまで嬉しそうに笑う。それを見ていたギルバートも、わずかに笑みをこぼした。

「ギルバート様もいかがですかぁ?」

「自分は結構です」

 イドットはともかく、ギルバートまで甘えられはしない。

「たくさんありますのにぃ……」

 残念そうに言われても、けじめはつけなければ。ギルバートは頑として誘いに乗るつもりはなかった。

「でも、依頼されたのがリズちゃんじゃなくて、結果的には良かったですぅ」

 紅茶のカップに口をつけながら、ミリアナがそんなことを言った。

 ギルバートは目を見張る。

「何故ですか?」

「王宮は特殊な場所ですし、肩が凝りますからねぇ。何かと忙しいリズちゃんがまとまった時間をとるのは、そもそも難しかったと思いますぅ」

 いくら王太子からの依頼でも、個人の職務を遮ってまで依頼をすることは、確かに難しかっただろう。

「それに……」

「それに?」

「真っ直ぐな子ですから、アロイス殿下の〝もう一つの依頼〟に、気づかなかったかもしれません」

「「もう一つの依頼?」」

 ギルバートとイドットの声が重なった。

 ミリアナはにっこりと笑って、ギルバートに向かって菓子の皿へ手をひらめかせる。

「お菓子、いかがですかぁ?」

 内扉の前で待機の構えをとっていたギルバートも、それには抗えなかった。






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