第78話 おじさん、探索庁のトップと会話する。

 三つ揃えのスーツでピシッと決めた青年についていくこと、30秒ほど。

 青年は『局長室』と書かれたドアをノックする。


田戸蔵たどくら小次郎こじろう様をお連れ致しました」

「ありがとう。お入りいただきたまえ」


 扉の先から、むかし聞き慣れた声が聞こえる。


「失礼いたします」


 青年がドアを開けると、聞き慣れた声の主は、にこやかな笑みをたたえて両手を広げて待ち構えていた。


 歳はひとつかふたつしか違わない。だけども見た目はひと回りも若く見える髪の毛を七三に分けてメガネを掛けた細身の男は、タートルネックの薄手のセーターに、ジャケットをはおり、ボトムスはチノパンで済ましてある随分とカジュアルな出で立ちだ。が、ひと目でどれもが質の高い品とわかる。

 そして、ジャケットの襟には、ダンジョン書士の証を示す、色とりどりの八角形のバッジがかがやいていた。


 元探索者仲間、そして現在は探索庁の長官の鶴峯つるみね辛一しんいちだ。


「はっはっは! お久しぶり。田戸蔵たどくら!!」

「ああ、久しぶりだな、鶴峯つるみね


 ハグしようと両手を広げて向かってくる優男に、俺はおもむろに右手を突き出す。

 鶴峯つるみねは一瞬表情を曇らすも、すぐに両手で俺の右手を包み込むようにつかむ。


「何年ぶりか?」

田戸蔵たどくら、おまえが探索者を引退して以来だから、もう10年近くは経つんじゃないか?」

「そうか、時が経つのは速いものだな」

「まったくだ。お互い歳をとった」


 なかなか握手を解こうとしない鶴峯つるみねと会話しながら、俺は局長室をぐるりと見回す。

 30畳はあろうという、全面鏡張りの部屋からは、都心のビル群が一望でき、フロアの奥に設えられたデスクの袖には、一振りのワンドが飾られてある。


 彼が現役時代に愛用していた、シェールストーン製のワンドだ。

 鶴峯つるみねは、このワンドひとつであらゆる戦局に対応できる、オールラウンドプレイヤーだった。


 ダンジョンが未知の脅威だった時代に、国から選ばれた10人の探索メンバーのうちのひとり。

 T大の法学部を首席で卒業したのち、幻獣研究の第一人者、丁番ちょうつがい教授のラボに入り、自ら出世コースから外れた変わり者だ。


 いや、先見の明があったと言うべきか。事実、ほどなく募集のかかった探索メンバーの5人の研究者のうちのひとりに選出される。

 肩書上は研究者だが、戦闘能力も一級品だ。鶴峯つるみねのワンドから放たれる攻撃の数々は、探索チームを幾度となく救ってきた。


 ついた異名が最優の探索者。


 文武両道を地でいく、間違いなく日本、いや世界一優秀探索者だった。

 そして天は、優れた人間に二物も三物もあたえる。

 探索者としての現役を退いたのち、国家資格のダンジョン書士の認定第一号に認定される。そして今や、日本、いや、世界のエネルギー産業の最高責任者たる、探索庁の局長だ。


 間違いなく、知り合いの中で最も出世した人物だった。


「忙しいだろうに、ロカへのアドバイス感謝するよ」

「……ん? なあに、僕が露花つゆはなくんに話したのは、その昔ワンドで戦った風変わりな探索者がいたってことだけさ。全ては彼女の努力があってこそだよ」


 鶴峯つぬみねはようやく握手をとくと、デスクの前にしつらえたソファにうながす。

 俺は、秘書の犯林おかばやしさんから、絶妙なタイミングで給仕された紅茶にたっぷりのミルクと砂糖を注ぎながら、いち早く紅茶の匂いを愉しんでいる鶴峯つぬみねに質問をした。


「ところで、今日はそういう風の吹き回しだ? わざわざ俺なんかに会いたいだなんて」


 鶴峯つぬみねは紅茶をひと飲みすると、少々憮然な態度で俺の質問に応える。


「おいおい、随分な言い草だな。今まで何度もネイビーライセンスへの契約変更を依頼したってのに、ずっと無碍むげにあつかったのは、田戸蔵たどくらお前の方だろう?」

「まあ、事情が変わったからな……」


 バツがわるくなった俺は、ミルクと砂糖たっぷりの紅茶をひとくちすする。


「とにかくお前も、ようやく真っ当な人生を歩む気になってくれて安心したよ。

 ところで田戸蔵たどくら、話が変わるがカーバンクルランドの実情について詳しいか?」

「カーバンクルランド? ああ、確か丙田ひのえだが運営する、カーバンクルの飼育施設だよな? それがどうかしたのか?」

「カンコくんが運営するカーバンクルランドなんだがな、いち施設で『八卦の幻獣』のうち、4体をも独占していることが、少々問題になっているのさ。一応、こちらで政府からの要請はせき止めているが……限界もあってね。師匠たるお前から口利きをしてもらえるかい?」

「は? 俺から??」


 俺は思わず口にふくんだ紅茶を吐き出しそうになる。


 丙田ひのえだカンコ。


 国から選ばれた10人の探索メンバーのうちのひとりで、マナを大量に体内に吸収できる特異体質の持ち主で、黄色いマナを大量摂取して、驚異的な耐久力で最前線を張る、最硬の探索者の異名を誇る人物だ。


「おいおい、鶴峯つるみね無茶言うなよ!

 確かに丙田ひのえだは俺がSPやってたころの後輩だが、あいつが俺の言うことを素直に聞いてるのを一度でも見たことあるか? 俺の苦言なんて、火に油をそそぐようなもんだろう!! 絶対に御免こうむる!!」

「そこをなんとか……」


 そう言うと、鶴峯は頭を下げた。しかしその姿は、得も言われぬ迫力をまとっている。

 やむを得ず、俺はしぶしぶ承諾をする。


「はあ……わかった、わかった。

 一応、連絡は入れてみるが、期待しないでくれよ」

「そうかそうか! カンコくんを説得してくれるか!! そいつは心強い!!」


 う、いつの間にか、説得する流れになっている……。


「……善処はする」


 俺は苦々しく返事をすると、スッカリ冷え切ってしまった甘々のミルクティーを飲み干した。

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