episode2

第72話 おじさん、ネイビーライセンスを取得する。

 俺の名前は、田戸蔵たどくら小次郎こじろう。どこにでもいる中年男だ。


 謙遜ではない。いくら史上最強の探索者と謳われようと、それはとうの昔のこと。

 しかも、ひとたびダンジョンを出てしまえば、単なる目付きの悪いおっさんだ。


 できることといえば、その日暮らしの肉体労働くらいがせいぜいだ。


 もっとも、今まではそれでよかった。身軽な独り身、いつ野垂れ死のうと知っちゃこっちゃ無い。そう思っていた。


 ……が、今は勝手が違う。護るものができたからだ。


 うしとらのダンジョンの最下層にいたケルベロスが息を引き取り、任務を終えた俺とササメはダンジョンを出た。


 その三ヶ月後、ササメの妊娠が発覚した。しかも三つ子だ。


 俺とササメだけなら、最低限暮らせるだけの蓄えがあればいい。

 だが、子供ができるとなると話は別だ。しかも三つ子ときた。

 もっと収入のある安定した仕事と、充分な貯蓄が不可欠だ。


 俺のような社会不適合者が、安定した収入を得るような都合の良い仕事なんて、この世にたった一つしか無い。

 そう、国家公認のダンジョン探索資格、ネイビーライセンスの取得だ。


 ダンジョンの最下層の秘密を知る人物のみに付与されるネイビーライセンスは、所持するだけで、それなりの手当が振り込まれる。


 俺とササメが持つブラックライセンスは、日本全国にある全てのダンジョンを、国からの制限なく、いつでも自由に探索できる特別なライセンスだ。

 だが、そのかわり、国からの一切の資金援助を受けることができない。


 この世に突如ダンジョンが出現するようになって、もう十数年も立っているのに、いまだにブラックライセンスを持つものは、よっぽどのという訳だ。


「出かけるのね、小次郎さん」


 変わり者の妻、ササメが背中から声をかけてくる。

 ふりむくと、そこにはわずかにお腹の膨らんだ妻が、どことなく寂しそうな顔で立っていた。


「本当に、ネイビーライセンスを取得するの?」

「ああ。安定した収入が必要になるからな。俺みたいな、ロートルを高待遇で雇ってくれるんだ。願ってもない提案じゃないか」

「でも、危険な最下層への任務もあるかもしれないのよ? 収入なら出産してから私がはたらけば…………んっうん」


 俺は半ば強引に、ササメの口をふさぐ。


「あいにく、俺は古い人間なんだ。男たるもの一国一城の主になれ。そう、じいちゃんに叩き込まれたんでな。

 それにだ。『探索庁』も馬鹿じゃない。こんなロートルに最下層の制圧なんて、最重要ミッションを頼むわけ無いだろう」


 俺は声色と表情を変えて話をつづける。


『なぁに、元最強探索者の名のもとに、講演会で当時の話をしたり、一日署長として未制圧のダンジョンへ近づかないよう市民に注意を促したりしてくれりゃいい。それが田戸蔵たどくら、お前さんの仕事だよ』


 ササメは苦笑いをする。


「ふふ、久しぶりに聞いたわ。鶴峯つるみねさんのモノマネ」

「出世したもんだよ。なにせダンジョンの管理を一手に引き受ける『探索庁』の長官なんだものな。元ブラックライセンス所持者のなかで、一番の出世頭さ」


 俺の言いたいことにピンときたのか、ササメは意地悪な笑みを浮かべる。


「なぁるほど♪ つまりは縁故のコネ入社と……」

「そういうことだ。持つべきものは悪友だよな」

「うふふ、小次郎こじろうお主も悪よのぅ」


 そういいながらも、ササメは、愛おしそうに膨らんだお腹をさする。

 俺は慌ててドアの方へと振り向いた。


「帰りに甘いものを買って帰るから我慢しろ」

「はぁい。じゃあ、行ってらっしゃい、ア・ナ・タ♪」

「りょーかい」


 俺は後ろを向いたまま、手をヒラヒラさせて外に出ると、古びたアパートの外階段をカンカンと降りながら、わずかに体温のあがった頬を右手でさすった。


 この俺に、こんなにも平穏な日々が訪れるとは、な……。

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