第67話 美少女、最下層の深層で傷心をする。

 ササメさんは真っ青な顔をして、大慌てでケルベロスに向かっていく。

 ササメさんの頭上には、マナでコーティングされた、直径1メートルくらいの人間をダメにする水面がプカプカと浮かんでいる。

 どうやら、水を汲みにいっていたようだ。


 よかった、ケルベロスの前にあった血溜まり、てっきりササメさんのものだとばかり………。


 ん? てことは、あの血溜まりは??!


 ササメさんは一直線にケロベロスに向かって走っていくと、ケルベロスの尻尾の付近を力をこめてマッサージをしながらやさしく語りかける。


「大丈夫? 怖くないよ。この人たちはあなたの赤ちゃんを奪いに来たんじゃないから」

「なん……だと?」


 ササメさんの話を聞いたおじさんは、驚愕の表情をしながらケルベロスの口の中に突っ込んだ左腕の義手を抜き去る。

 いっつも無表情のおじさんが、こんなに驚くなんて。


「ブフゥ……ブフゥ……ブフゥ……」


 ケルベロスは、口に詰め込まれたおじさんの義手を抜かれても、苦しそうに肩で息をしている。


「! 姉さん、このケロベロス、もしかして……」

「ええ、さっきから陣痛を起こしてるの。しかもかなりの難産。血を吐いたし、脱水症状もすすんでいるから、お水を飲まそうとして川で汲んできたの。

 ササメちゃん、悪いけど、ケルベロスの腰のマッサージを変わってくれない?

 ワタシは汲んできた水を浄水するから」

「わかったわ!!」


 ヒサメさんがケルベロスの腰のマッサージを変わると、ササメさんはプカプカと浮いている人間をダメにする水面をそっと押しながら、大きなポリタンクの上まで運んでいく。そして、


「フィルタレーション!」


 と叫ぶと、水面の下部に蜂の巣みたいな形の膜が何層も生まれていく。

 ササメさんは、人間をダメにする水面に、ナイフで小さな切り込みを入れた。ポタポタと流れ出す水の下で両手鍋をかまえると、鍋の中にはたちまち綺麗な水が溜まっていく。


「ねえ、あなた、この鍋持っていてくれない??」

「ああ」


 あなたと言われたおじさんがササメさんから両手鍋を受け取ると、ササメさんは調理場のかまどであろう、黒ずんだ岩に囲まれた鉄製のアミが置かれている場所に膝を立てて座って、ポケットから赤いシェールストーンと小さな針を取り出した。


 ササメさんは慣れた手つきでシェールストーンに針をつき刺すと、シェールストーンから、わずかに赤いマナがあふれだした。そしてそのままマナのもれだすシェールストーンをかまどにセットして、


「イグニッション!」


 と叫んだ。

 かまどは、たちまち炎につつまれていく。


 おじさんは、鍋を火のついたかまどに慎重に置くと、無表情でつぶやいた。


「さすがだな。シェールストーンを扱う腕は昔のままだ。見た目もな」

「うふふ、ありがと。あなたもずいぶんと大人の魅力が出てきたじゃない」

「おじさんになっただけだよ」


 ふたりの会話は、15年も離れてくらしていたのに、そのブランクを全く感じさせない長年連れ添った夫婦のそれだった。


 ああ、最初からアタシになんて勝ち目なんてなかったんだな。

 アタシの分不相応な初恋は、露へと消え去った。

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