第59話 おじさんの義妹、舌戦をふりかえる。

 ロカの父親は、ロカに抱きつかれたままスーツの胸にさしていた品の良いセルロイド製の万年筆を取り出すと、同意書の一番先後のページに露花つゆはな甲嗣こうじとサインし、カバンからハンコを取り出してサインの隣に捺印すると、ヒサメに同意書を差し出した。


「これでいいのかな?」

「はい、たしかに。ロカちゃん……お嬢さんは全力でお護りしますので」

「なに。気にしないで結構。ダンジョン探索者の身の安全は全て自己責任。死と隣り合わせの仕事なのは十分承知のうえだ。ロカが自分が決めた道だ。私がとやかくいう資格はないだろう」

「……………………」


 ヒサメは同意書を無言で受け取ると、ロカの父親は、背中に抱きついているロカを見る。


「ロカ、せっかくだから、このままここで食べていくか?」

「え? いいの?」

「まだ先付けしか頂いてないからな。一旦、テーブルを片付けてもらって、料理の続きを楽しむとしよう」

「えへへ、やったあ!」


 無邪気に喜ぶロカをよそに、俺とヒサメは目を合わせてうなづきあう。


「それでは、私たちは失礼します」

「久々の親子水入らずを邪魔しちゃ悪いからな」


 俺とヒサメは、ロカの父親に頭を下げると、ロカの父親がヒサメに声をかける。


癸生川けぶかわをさん、あなたとは今後ともを築けると思うよ」

「? なんのことでしょう?」


 ロカの父親は、胸ポケットから名刺入れを取り出すと、ヒサメと、あとついでに俺にも名刺を手渡す。


「まとまったお金が必要になったときは、ご相談ください。前向きに融資を検討しますよ」

「……わかりました。ありがとうございます」

「さっきも言ったが、私は勘と運だけはすこぶるよくてね。多分数ヶ月のうちに再会することになるでしょう」

「承知しました。有事の際はお声がけしますわ」

「ああ、楽しみに待つことにするよ」


 俺とヒサメは、料亭をあとにする。タクシーを拾うため大通りに出たところで、ヒサメは口をひらいた。


「はぁ、完敗だわ」


 開口一番、ヒサメはがっくりと肩を落とす。


「そうなのか?」

「ええ。おそらく、露花つゆはなさんはダンジョンの最下層の秘密に勘づいている」

「!? そうなのか?」


 ヒサメは、メガネを直しつつゆっくりとうなづく。


「十中八九間違いないわ。私は彼の予測を、確信に変えてしまった。

 本当は、あの逆村さかむらって人から情報を聞き出そうとしていたのでしょうけれど」


 俺は首をひねって、ヒサメに質問する。


「? 逆村さかむらさんは、最下層のことなど何も知らないだろう??」

「ええ。確かに彼は何も知らない。最深部は地下50メートル以上の場所にある国有の土地。彼には所有権のない場所だもの。知る資格なんてないわ」

「だよな」

「おそらく露花つゆはなさんは、最初からうしとらのダンジョンの融資を打ち切るつもりで、あの会食の場を用意したのだと思う。

 逆村さかむらさんの口から何も知らない事実を確認して、融資の打ちきりを切り出すつもりだったのじゃあないかしら」


 俺は、タクシーを呼ぶために、手を挙げながらヒサメに振りかえる。


「なるほど、つまり俺たちが乗り込んだことで、露花つゆはなさんはダンジョンの最深部について、想定以上の情報をつかんだということか」

「ええ。さすがは急成長を遂げる『DEWファイナンス』のCEOだわ。彼を敵に回すのは厄介すぎる。できればこのまま友好関係を築きたいところね」


 タクシーが止まると、乗り込んだ俺たちは話題をかえる。


「そう言えばヒサメ、明後日はどこで待ち合わせする?」

「ロカちゃんとは、うしとらのダンジョン前でいいと思う。でも義兄にいさんは、その前に私のマンションによってくれない?

 姉さんに渡したい消耗品が、結構な量だから」

「わかった」


 タクシーは5分ほど走り、ヒサメのマンションにとまる。ヒサメは財布から一万円札を取り出すと、


「これで、義兄にいさんの家まで足りるでしょう?

 それじゃあ、明後日9時に私のマンションに来てちょうだい」


 そう言って、ヒサメはマンションの中に入っていった。

 俺は、マンションに消えていくヒサメを見届けると、タクシーの運転手に自分の家の住所を告げる。


 明後日には、いよいようしとらのダンジョンの最深部に潜入だ。

 結局うやむやにされてしまったが、うしとらのダンジョンの最深部に行くということは、もう15年以上会っていない、ササメと対面をするということだ。


(ったく、今更どんな顔をして合えばいいんだ?)


 まったくまとまらない俺の思考と感情をよそに、タクシーは渋滞に捕まることなく、順調にぼんやりとした夜景の中を走っていた。

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