いい加減にせんか

「木戸‼︎」大久保は叫んだ。そのまま木戸は自宅に運び込まれた。木戸が目をあけたのはそれから長い時間が経った後であった。

「大久保?」木戸の枕元には大久保が座っていた。

「木戸!!!!」大久保は木戸の顔を覗き込んだ。大久保の顔には安心が滲んでいた。

「大丈夫か?」そう優しく問う大久保に木戸は

「迷惑かけたな」と少し気まずそうに答えた。それを聞くなり大久保は叫んだ。

「お前は人には説教するくせに、自分のことも考えんか!わしがどれだけ心配したと思ってる!」それを聞いた木戸は少し虚をつかれたように言った。

「心配してくれるのはありがたいんだが、耳元で叫ばないでもらえるか?」

「すまない。つい」そう素直に謝る大久保の姿も木戸にとっては珍しかった。

「まあいい。あんたがそんな素直に引き下がってくれるなんて倒れるのも悪くないな」そう軽く笑う木戸に大久保は

「たまったもんではないわ」と言い返した。

「でもあんたがそんな素直になってくれるなんて久しぶりだな。やっぱりあんたはそんぐらい感情を示した方がいい。さて、長らく寝ちまったようだな。あんたも業務に戻れ。俺のせいで滞ってしまっただろう。俺も西郷を止めに行ってくる」そう言って起き上がろうとする木戸を大久保は急いで止めた。

「バカ、こっちが言ってもそっちが耳を貸さなきゃ意味がなかろう。しばらく寝とけ。今のお前に西郷さんは止められん」木戸は一瞬考えていたが、すぐに

「それもそうだな」と大人しく引き下がった。それからというもの大久保は木戸の家をしばしば訪れるようになった。

「そんなにきてもらわなくてもいい。お前は西郷さんを生かすことだけ考えろ」そう木戸は毎回言うが日に日に木戸の体調が悪化していることは大久保の目から見ても明らかだった。

「これもわしの業務じゃ」大久保はそっけなく答えた。だが、内心大久保は木戸に対して申し訳なく思っていた。木戸の体調の悪化は明らかに心労が原因である。もし、自分が木戸と言いあわなければ、もしくは木戸の意見を受け入れていれば、木戸が倒れることなどなかっただろう。そんな大久保の罪の意識を察するように木戸は言った。

「もともと、俺は子供の時から体が弱かった。医者に外に出て遊ぶよういわれ、その通り外で行き交う舟をひっくり返して遊んでいたら親にしこたま怒られた。今回、俺の病弱が久々に顔をのぞいただけだろう。すぐに仕事に戻る」だが、木戸の体調はなかなか回復しなかった。いつものように大久保が木戸の家を訪れたある日、木戸は出かける準備をしていた。

「おい、どこか行くのか?」部屋に入ってきた大久保は驚いた。それに対し木戸は

「また来たのか。来なくていいと言ったろう」と少しばつの悪そうに答えた。大久保は一瞬、木戸の体調が戻ったことを期待した。だが、明らかに前来ていたスーツがぶかぶかになっている。大久保は嫌な予感がして問うた。

「お前、まだ本調子じゃないだろう。それなのに出かけるとはただ事じゃない。まさか、吉之助さあのもとに行くんじゃなかろうな?」木戸は答えなかった。だがその沈黙が何よりも答えだった。大久保は畳み掛けた。

「そげん体で今のお前に何ができると言う。そんなんじゃ薩摩に行くどころか、家を出てすぐに倒れてしまうぞ。大人しく寝ていろ‼︎」だが木戸も黙っていなかった。

「なら、西郷が死ぬのを黙って見ていろと言うのか?俺は西郷に死んでほしくない。あいつは日本になくてはならないやつだ。たとえ命をかけてでも、俺はあいつを止める」そう言って木戸は大久保の横を無理矢理通ろうとした。だが、弱った木戸の体を止めるのは、あまりにも簡単だった。大久保は、木戸の体を支えつつ言った。

「わしだって、吉之助さあに死んでほしくない。じゃっとん、同じくらいお前にも生きて欲しい」それは木戸が初めてみる大久保の切実な顔だった。木戸は何か言おうとした。だが、それより先に体が揺らいだ。

「木戸!!!!」倒れる木戸の体を支えながら大久保は叫んだ。木戸はそのまま数日眠り続けた。大久保は仕事の隙間を見つけて、木戸の家に毎日通った。そんなある日、うつらうつらしかけていた大久保の耳にかすかな音が聞こえた。目を開けると僅かに木戸の口が動いている。

「木戸⁈」大久保は慌てて声をかけた。するとほんの少し木戸の目が開いた。

「木戸‼︎」大久保は喜んで顔を覗き込んだ。木戸の目は微妙に焦点が合っていない。それでも木戸は大久保のほうに向かって手を伸ばそうとしている。だが、木戸が見ていたのは大久保ではなかった。

「もう、いい加減にせんか、西郷!,,,」そう叫んだと同時に、木戸の手は、何もつかむことなく地面に打ち付けられた。大久保はその手をどうすることもできなかった。

「なんで、お前はわしより先に逝くんじゃ,,,」長い沈黙ののちに大久保はつぶやいた。大久保の涙を木戸が見ることはなかった。



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