翌日はちょうど土曜日で休日だった。

 休日であろうと滅多に家を出ない菜月が出かける用意をしているのを見て祖母が目を瞬く。


「あら、菜月さんお出かけですか?」


 こくんと菜月は頷いてお昼までには戻ることを伝えた。

 昨夜、シロを通して彼方から連絡が来たのだ。

 菜月専用の数珠が出来たから届けに行くと。そのついでに昨日できなかった詳しい話がしたいと。


「気を付けて行ってくるのですよ」


 どこか嬉しそうな祖母に見送られて玄関を出る。

 門を出たところで足元を歩いていたシロがピクリと反応して、菜月を守るように前に出た。

 不思議に思って顔をあげると、ゆったりとした足取りで女がこちらへ歩いて来ているのが見えた。

 風に揺れる白銀の髪。不自然なほどに白い肌。毒々しいほどに赤い唇がゆっくりと言葉を紡ぐ。


「お久しぶりね?お嬢ちゃん。

 少し目を離した隙に面白いものを連れているじゃない」


 クスクス笑う女に菜月の血の気が引いて行く。

 シロはそんな菜月を守るように女を威嚇するが、お構いなしに女の手が菜月に伸ばされる。

 バチッと音がして女の手が弾かれる。


「あら。あらあらあら。最後の抵抗、ってヤツかしら」


 血を流す指を見て女は目を丸くする。

 瞬時に元通りになる女の手に震えが止まらない。

 再び伸ばされた手がバチバチバチと音を立てて菜月と女の間に隔てられた見えない壁を越えようとする。

 自身の手が傷つくことをものともせず女は壁に手を伸ばし続け、ニタリと嗤う。


「私の勝ち、ね?」


 パリンと見えない壁が壊れる音を聞いた。途端、菜月の前で女を威嚇していたシロが吹き飛ばされる。


「お嬢様!」


 シロの焦った声と共に菜月の手首に飾られていた数珠がはじけた。

 もう、ダメだ。

 人をかたどった白い指が菜月の頬に触れる。

 その寸前で耳馴染みのない呪文と共にいかずちが落ちた。

 目の前に迫っていた腕を削りとり、女が飛びのいた。

 ひらりと女と菜月の間に滑り込んだ大きな背中にひどく安心した。


『さい、じょう、せんぱい』


 音にならない声がその人を紡ぐ。


「遅くなって悪かった」


 ポタリと涙が頬を伝った。

 本当に、助けてくれた。


「貴方が私の生餌の陰陽師おうじさま

 随分若いのねぇ」


 くすくすと余裕な態度を崩さない女にビクリと体が震える。


「橘、もう大丈夫だ」


 女を見据えたまま静かに落とされた言葉は揺るがない。

 不安も焦りも感じさせないその声に菜月はへたり込んだまま小さく頷いた。


『もう、だいじょうぶ』


 口の中で小さく呟いた言葉はじわじわと菜月を包み込んだ。

 シロが再び菜月の前に立ち、女を威嚇するように低く唸る。

 それを合図に彼方の足元から何かが飛び出したのが見えた。

 菜月を守る真白の狐と対をなすような真っ黒な狐がその体躯と同じ色の炎をまとい女に襲いかかる。漆黒の炎に焼かれた女が初めて顔を歪めた。


「痛い、じゃないの!」


 忌々しそうに目を眇めた女が黒狐こくこを振り払う。

 吹き飛ばされた黒狐が体勢を整える隙を与えるように彼方が術を紡ぐ。

 札を媒介に吹き出した炎に女はひらりと飛び退く。すかさずその先に黒狐が攻撃を放った。

 少しずつ、女を削るように繰り広げられる攻撃に女の顔が苦々しく歪む。


「鬱陶しいわね。今日は様子を見に来ただけなのだけれど」


 うんざりしたように彼方と黒狐、シロに視線をやった女は、その背後で庇われている菜月を見て禍々しく嗤った。


「そうだわ!お嬢ちゃんの王子様には少し早いけれど退場してもらいましょう!」


 ふふふと少女のような笑みを浮かべて女が朗々と紡ぐ。


「本当は王子様の目の前でお嬢ちゃんを食べて、その後、口直しにいただくつもりだったけれど、先に王子様の方がお嬢ちゃんは絶望してくれるわよね?」


 血のような赤い目を向けられ、紡がれた言葉達に菜月の血の気が引いていく。


「お嬢ちゃんが助けを求めたから、この坊やは私の餌になるの。

 お嬢ちゃんが助かりたいなんて思ったから私に食べられてしまうのよ。

 かわいそうにね?」


 カタカタと震えて首を振り声にならない声で泣き叫ぶ菜月を引き戻すように彼方の声が響く。


「橘、耳をかすな!

 俺は負けない。あんたが信じてくれるなら絶対だ」

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