5
泣き腫らした目で帰ってきた菜月に祖母はギョッとして何かあったのかとひどく心配した。
それに菜月はフルフルと首を振って、どこかスッキリした顔でいいことがあったんですと微笑んだ。
ますます訳が分からなくなった様子の祖母に小さく笑い自室へと戻る。
ずっと菜月の足元についてまわっている白い狐の存在に祖母やお手伝いさんたちが気づいた様子はない。
すごいな、と思う。
そして不思議な人だと思った。
誰もが素通りしていく中で泣いている自分に声をかけた。
そして躊躇うことなく菜月の心に土足で踏み込んできた。
素直に心の澱を吐き出してしまったのはそれだけ切羽詰まっていたからなのか、相手が彼方だったからなのか菜月にも分からない。
普通の人が聞いたら頭が可笑しいのではないかと一蹴するような菜月の話を聞いて、信じてくれた。それだけでも菜月にとっては奇跡だというのにその上、会って間もない自分を助けてくれると言った。
その言葉が嘘でもかまわなかった。気休めでもよかった。
それなのに彼方は本気で菜月を助けるつもりでいる。
きっとその証が菜月には大きすぎる数珠のブレスレットであり、お行儀よく座っている白い狐なのだ。
完全に不安が消えたわけじゃない。だけど、絶望で彩られていた菜月の世界に光が差した。
彼を、信じてみよう。
そう心に決めて、菜月は白い狐に向き直った。
『あの、ご挨拶が遅れてごめんなさい。
私は橘菜月といいます。よろしくお願いします』
メモに文字を書いて白い狐の前に置き、頭を下げる。
白い狐はギョッとして驚いた。
「お嬢様!?
頭をお上げくださいな!
ワタクシは彼方様にお仕えしております白狐でございます。
お気軽にシロとお呼びくださいませ。
それとゆっくり喋っていただければ筆談は不要です」
『ありがとうございます。シロさん』
安心したように菜月は口元を緩めた。
ちょうどその時、誰かの訪れを知らせるノックが響く。
慌てて返事を返してドアを開けると祖母がパチリと目を瞬いた。
「あら、まだ着替えてなかったの?」
『おばあ様』
「やっぱり、帰りになにかあったの?
お友達と喧嘩してしまった?」
心配そうに眉を下げる祖母に菜月はふるふると首を振る。
「そう。なにかあったらすぐに言うのですよ?」
心配をかけてしまったことを申訳思いながらも、心配してもらえることが嬉しい。
菜月はもう一度大丈夫。とってもいいことがあって、それを思い出していたんですと嬉しそうに笑った。
「ならいいのだけれど。
おじい様がお待ちですよ。
今日は菜月さんの入学祝ですからね」
『すぐ行きます』
「えぇ、待ってますよ」
にっこりと笑って部屋をでた祖母に菜月も口元を緩めたまま制服に手をかけた。
するりと制服を脱ぐ菜月にシロはぎょっとしたように声をかける。
「お、お嬢様! ワタクシ席を外すほうがよろしいのでは!?」
『ごめんなさい。えっと、シロさんは女の子ではないのですか?』
何も考えずに祖母にせかされるままに着替え始めてしまったことに気付いた菜月は慌ててシロに向き直る。
「一応、雌ではございますが、お嬢様はお嫌ではないのですか?」
『シロさんが女の子なら大丈夫です』
ふわりと笑った菜月にシロはパチリと目を瞬いた。
というか同性とはいえ、異形に着替えを見られるのは嫌なものではないのだろうか。
彼方の命でお嬢様の守りについてはいるが、はたして人間とはここまで自分に気を許すイキモノだっただろうか。
少なくとも、あのような好意的な笑みは向けられたことなどないし、頭を下げられたこともない。
このお嬢様は変わっている。
シロがそんなことをつらつら考えている間にも菜月はするすると着替えていく。
それが見えたのは偶然だった。
チラリとのぞいた白い肌に似合わない痣。
「お嬢様、その背中の痣は……」
『痣……?
あぁ、幼いころあの女につけられたものです』
気持ち悪いものを見せてしまってごめんなさい。
しゅんとしてしまった菜月にシロは慌てて首を振る。
それよりも確認しなければならないことがある。
「……お嬢様の目にはその痣はどのように見えますか?」
『……蜘蛛の形に。
ですが、おばあ様や他の人には普通の傷跡に見えるみたいです』
「そう、ですか……」
『シロさん?』
「大丈夫ですよ。
彼方様はああ見えて西条家でも群を抜いて優秀な方ですから!」
『はい』
ふわりと笑う菜月に頷いてシロは自分と対をなす存在に念を送る。
この変わったお嬢様のためにと珍しく自発的に動く主に情報を伝えるために。
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