菜月の願い通りに祖父母は真新しいセーラー服に身を包んだ菜月と写真を撮ってくれた。

 いかめしい顔をした祖父とにこやかに笑う祖母、幸せそうにはにかむ自分の写真。

 きっと、3人で撮る最後になるだろう写真。

 どんどん暗くなる思考を追い払うように菜月は顔を上げた。

 澄み渡った春空が広がる。

 まるで新入生の前途を祝しているようだ。

 そこに自分は入っていないけれど。

 また後ろ向きにそれた思考に苦く笑ってゆっくりと足を進める。

 入学式に参加してくれた祖父母には通学路に慣れたいからと理由をつけて先に車で帰ってもらった。

 本音はただひとりになりたかっただけだ。

 自分を慈しんでくれる祖父母のそばに長くいると泣いてしまいそうになる時がある。

 もう泣いて二人を困らせるような時期はすぎた。

 この感情は、自分で昇華しなければならない。

 気が付くと菜月の足は桜が咲き乱れる公園に向かっていた。

 桜の雨に降られながらベンチに腰を下ろしぼんやりと蒼と薄紅のコントラストを眺める。


『願はくは……願はくは、花の下にて春死なん。

 この、如月の、望月の頃……』


 自然とこぼれた歌に涙が頬をつたう。

 そのまま嗚咽を噛み殺して泣く。

 いやだ。いやだ。いやだ。

 こわい。たすけて。

 ぐるぐると渦巻く感情を体から押し流すように涙は止まらない。


「おい、大丈夫か?」


 突然声をかけられて驚いて顔を上げる。

 心配そうに下げられた眉と溢れ続ける涙にあぁと納得する。

 慌ててハンカチで涙を拭って大丈夫だと手話で伝える。

 けれど、声をかけてくれた少年は更に困ったように眉を下げた。


「手話……やっべ、分かんねぇ。

 とりあえず、大丈夫、なのか……?」


 確認するように声をかけられてコクリと頷く。


「そうか」


 安心したように息を吐いた少年にお礼を紡ぐ。

 伝わらなくても、伝えようとすることは大事だ。


「ありがとう、か?」


 コクリと頷いた菜月に少年はバツが悪そうに頭を掻いた。


「別に礼を言われるようなことはしてねぇよ」


 フルフルと首を横に振って感謝を伝える。


「……隣、座ってもいいか?」


 少年のその言葉に首をかしげる。


「どうせ、まだ帰んねぇんだろ?花見、付き合ってやる。

 迷惑じゃなければ、だけどな」


 ぱちぱちと目を瞬いてどこか居心地の悪そうな少年に菜月はふわりと微笑んだ。


「っ、」


 驚いたように目を見開いて息を詰めた少年にコテリと首を傾げる。


「な、んでもねぇよ。

 俺は西条さいじょう彼方かなた。東高の2年だ」


 ドカッと菜月の隣に腰掛けて自己紹介をした少年に菜月も慌てて自己紹介をしようとしたところで固まる。

 そうだ。彼は手話が分からない。

 どうしようと考えて、菜月は少年―――彼方の手を取った。

 ギョッとする彼方に気付くことなく、菜月は彼の大きな手のひらに自分の名前を書く。


「橘、菜月……。

 その制服は聖リリアンヌだな。学年は1年?」


 伝わったことが嬉しくてコクコクと頷く。


「そっか、入学おめでとう」


 朝から何度もかけられた言葉をかけてもらい笑顔を返す。


「で、橘はなんで泣いてたんだ?桜が綺麗だから、ってわけじゃねぇだろ?」


 ストレートに聞いてきた彼方に菜月は困ったように眉を下げた。


「言えばスッキリすることもあると思うぞ。

 他人だから言えることもな」


 その言葉にしばらく考えて菜月は困ったように微笑んだ。

 伝わるかどうか分からない。

 伝わらないほうがきっといい。

 だけど、吐き出してもいいと言ってくれるのなら少しだけ甘えてもいいだろうか。


『私、もうすぐ死ぬんです。

 16の誕生日に化物に食べられちゃうんです』


 手話も筆談も使わずに唇の動きだけで伝える。

 どうか、伝わらないで。

 そう願うのに彼方は菜月の唇の動きをじっと目で追っている。


『こわい。死にたくない。もっと生きたい。

 おじい様とおばあ様ともっと一緒にいたい。

 ちゃんと生きて二人に恩返しがしたい。

 だけど、ダメなんです。

 ずっと、声が残ってる。

 “早く大きくなるのよ”って。

 “待っているからね”って』


 カタカタと震える手をぎゅっと握りしめた。その手を大きな手が包み込む。

 顔を上げた菜月は彼方が菜月の言葉を聞き取ってしまったことを理解した。


「なら、助けを求めればいい。

 死にたくないなら、諦めるな。

 生にしがみつけ」


 真剣な顔で紡がれた残酷な言葉に優しく包み込まれた手を振り払って彼方を睨みつける。


『だれに……?

 誰に助けを求めろというの!?

 お父さんもお母さんも、あの女に食べられた!!

 おじい様とおばあ様は時折様子を見に訪れるあの女の存在が見えない!!

 誰に、言えば、いいの!?

 私が化物の生餌いきえにされているだなんて誰に言えば助けてくれるの!?』


 感情的になる菜月に怯むことなく彼方はその存在を紡いだ。


「陰陽師」

『お、ん……みょう、じ……?』


 そんなの、物語の中だけの存在じゃないの?

 戸惑う菜月に彼方は真剣に囁いた。


「俺が、助けてやるよ。

 俺が橘を守ってやる」


 その言葉が嘘でもよかった。

 ずっと誰かにそう言って欲しかった。

 助けを求める声に応えて欲しかった。

 今、確かに菜月は救われた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る