1-8
「何? 頼みたいことって……」
僕はアゲハ蝶さんに訊く。
「まず、君にはこれを装着してほしい」
アゲハ蝶さんはそう言いながら、触手を伸ばして、戦闘時に着けていたイヤホンマイクを差し出した。僕はそれを受け取り、慣れない手つきで左耳に付ける。
「これでいい?」
「うん。そのまま、壁の方に向いて」
「分かった」
僕は落書きのされてあるコンクリートの壁に向き合うと、イヤホンマイクの耳にかける部分から光が出てきた。その光はプロジェクターのように、長方形に映し出された。そこに映っていたのは、戦闘時の衣装を着たクワだった。背景は暗く、クワの周りをよく見ることができない。
「おお! カブトだ! やっぱその衣装カッコいいなーっ‼」
クワからも僕のことが見えているんだろう。クワは目を輝かせて、顔を近づけていた。
「クワくん……、僕今、制服姿だけど……」
僕はそう声に出してみる。
「あれ、そうなの?」
クワは顔をきょとんとさせて首をかしげる。
「ああ、君たちには、お互いの姿が戦闘時の衣装に見えるようにしているんだよ」
いつの間にか肩に乗っかっているアゲハ蝶さんが言った。
「ごめんね、クワ。遅くなっちゃって」
そしてアゲハ蝶さんはクワに謝る。
「いや、全然大丈夫だよ」
「あれ、もしかして僕が来るまでクワくんは待ってた感じ?」
と、僕は訊いた。
「うん」
「そう。クワを人目に付かないところに連れて行かせて、その次は君の番だったからね。流れ的にクワを待たせちゃった。なんかカブト、女の子に追われていたしね」
隣でアゲハ蝶さんがそう言って、僕は焦る。
「ちょ……!」
「ええええええ⁉ モッテモテだなお前‼」
クワが納得がいかないと言うように、僕の方に指を刺した。
「違うって、そう言うわけじゃ……!」
僕は両手を目の前でぶんぶん振って、全力で否定する。だってあいつ、僕にそう言う感情を持ってついてきた感じじゃなかったし!
そんなやり取りをしていると、隣でアゲハ蝶さんがふふっと笑い、僕の前を舞い始めた。
「とりあえずその話は置いといて、僕は君たちに頼みがあって来たんだ!」
アゲハ蝶さんは脱線した話を元に戻す。
「あ、そうだったな。ごめんごめん」
と画面の中でクワが謝る。
「で、頼みたいことって?」
訊かなくても、僕はアゲハ蝶さんがどんな頼みをしたいのか、薄々気づいている。僕の予想通りだったら、なんて嬉しいことなのだろう。
「すごくシンプルなことさ。君たちには、全国の悩める子供たちを救う、少年ヒーローになって欲しいんだ!」
アゲハ蝶さんがそう言った途端、僕とクワは同時によっしゃ! と声を上げた。お互いに少年ヒーローとして戦いたかったんだなと分かり、僕はなんだか恥ずかしくなって頬を赤らめて目を逸らしてしまう。
「あ、やべ」
目を逸らすと、画面の光も一緒にずれるため、僕は即座に壁に向きなおした。とにかく、僕はこれからも、少年ヒーローとして戦えるということだ。そう思うと、僕の心の疼きは止まらなかった。
「よし。二人ともやる気満々だね! とても嬉しいよ! じゃあ、まず僕たちの事から詳しく説明しないといけないね!」
「うん。分かった」
僕の中で疼く気持ちを抑え、そう言いながら僕は冷静になって話を聞き始める。
「まず、僕は神様の仲介人の、アゲハ蝶のアゲハ! そのまんまの名前だから覚えやすいでしょ? そして、ライフル使いのクワ、光剣使いのカブト! これからよろしくね!」
光剣使いと言われた興奮と、やっぱり僕のニックネームダサくない? という感情が入り交じって、ちょっぴり複雑な気分になる。それにカブトとクワって、このアゲハさんのネーミングセンスはどうなってるんだ……。
「よろしく」
「よろしく」
僕とクワも、アゲハさんと同じく声を上げる。
「じゃあ、まずは君たちが戦う相手、食虫植物について話すね!」
僕は、あの学校のテニスコートから伸びる巨大なハエトリグサを思い返していた。敵が食虫植物であるということは、ハエトリグサ以外の食虫植物もこれから現れるということだろうか。
「あの食虫植物は、溜まりに溜まった子供のストレスや不満が具現化したものなんだ。カブトが根っこを切ったあとに、男の子が現れただろう? あの子は自分の夢を大人たちから否定され、相当なストレスを抱えていたんだ。なんで自分の将来に嘘をつかなきゃいけないんだ、ってね。カブトが精神攻撃を受けてしまった際に、その声が聞こえただろう?」
「そうなのか?」
屋上でライフルを使って援護していたクワは訊く。
うん、と僕は頷く。
「ハエトリグサの花言葉の中には、『嘘』というワードが含まれている。自分に嘘をつき続ける彼の不満から、あのハエトリグサが生まれたのだろう」
「なるほど~」
と、クワは相槌を打つ。
「ねえ、あのハエトリグサ、倒せなかったらどうなっていたの?」
あまりこういう話はしたくなかったが、質問をした方がいいと思った。
「実は、君たちが戦っていた世界は、本当の世界じゃないんだ。あそこは僕の作った模倣の世界。現実と似ているようで、あそこには誰一人生活していない。食虫植物は、子供が死んでしまいたいと思う場所で発生する。それを事前に防ぐため、僕は食虫植物が生まれてくる場所に模倣の世界を作り、食虫植物を閉じ込めているんだ。長い間食虫植物を放置していると、それらは容赦なく成長し、僕の作り上げた模倣の世界を壊すだろう。そしたら最後だ。食虫植物は模倣の世界を壊した後、体力が尽き、そして子供の心に漬け込むんだ。もし君たちがあのハエトリグサを倒し切れていなかったら、あの学校で、あの男の子は飛び降り自殺をしていただろう。あの子は、生きたくても行き場のなかった子供なんだ」
「……っ⁉」
僕たちはお互いに、自殺という単語に息を呑む。あそこでかかっていた人命というのは、食虫植物に取り込まれていた男の子の命だったのだと分かる。
「じゃあ俺達、めちゃくちゃ重要なことをしてたんじゃん!」
クワはそう口に出す。
「あれ、クワくんって、あの戦い初めてだったの?」
そういえば、と思って、今更に訊いた。
「うん」
きょとんとクワは返す。初めて会ったときは結構なやり手だと思っていたのに、まさか僕と同じ、あれが初めての経験だったなんて……。
「話が重くなってしまったね。でも、その自殺を救うのが君たちの役目なんだ。そして、これから重要な話をするね。戦い方の話だ。君たちヒーローの勝利の要となる、肝心な話」
アゲハさんは話を戻す。
「戦闘中にも説明したと思うけど、あのバトルはアニメの映像にされて全国にテレビ配信されるんだ。三十分枠のバトルアニメとしてね。ストーリーは僕が事前に作っているんだ。僕は君たちの戦闘を切り抜いて、アニメの映像として使っている」
「なあ、質問があるんだけど……」
画面の中で手を上げながら、クワは訊く。
「なんだい?」
「俺達が戦っているのは、俺達が眠っている間だろ? そんな時間に小さい子供たちがテレビを見ているとは思えないんだけど。それに、テレビに配信されているなら、どうしてその情報を俺達は現実世界で知ることができないんだ?」
「そうだね。アバウトに説明しても、あんまり容量を得ないよね。まず、時間の話だけれど、君達が聞いた声援、あれは別に、リアルタイムで発せられているわけではないんだ」
「え?」
とクワは声を上げる。アゲハさんは話を続ける。
「ほら、君達だって、リアルタイムでテレビを見なくても、予約したりDVDを買ったりして番組を見ることができるでしょ? そんな感じだよ。君達のバトルアニメは、過去にも未来にも配信されているんだ。僕はその声援を、君達に届けているんだ」
「へ~、時空超えてんだ。すげぇ~」
理解できたのかそうでないのかよくわからない返事を、クワはする。
「それに、君達のバトルアニメが配信された後は、みんなそのアニメを見たという記憶を無くしていくようになっているんだ。このアニメを見たという記録を誰かが残していても、それは無かったことになる。またアニメが始まれば、視聴者はアニメの記憶を取り戻す。このアニメは毎週日曜日の午後五時にあっていて、一生を通して一回しか見ることができないのさ。だから、君達の聴いたいた声は初見の人達の声になるんだ。まあ、そこらへんは君達が気にするような内容じゃないよ。それより、君達には戦闘をする際に心掛けてほしいことがあるんだ」
「なに?」
と、僕は声を出す。
「君達は、視聴者数の多さで、敵を倒す力を得ることができる。そうなると、必然的に守らなければならないことが出てくる。それは、戦闘時にグロテスクなものを映さないこと、性的なものを映さないこと、つまり、誰かが不快になるような戦闘にはしてはいけないということさ」
「え、なんで?」
と、クワは話の道筋がうまくつかめていないのか、訊いた。僕は、アゲハさんが何を言いたいのかわかり切っている。
「アニメの過度な描写は、社会では問題視されることが多いんだ。実際に規制を受けるアニメだって存在している。血を流すこと自体がNGだという大人だっている。暴力のシーンだけで子供に悪影響だと言い張る大人だっている。だから、君達が下手な戦いをして痛手を負ってしまうと、必然的に視聴者数が減ってしまうんだ。するとどんどん、君達は敵を倒せなくなる。それに、君たちは少年だ。大人たちは児童を守るために、過剰に少年に対する描写を制限する傾向にあるんだ」
「そうなんだ……。俺、世間知らずだから、そう言うの全く知らなかった。別にいいと思うんだけどな。そっちの方が燃えるし」
そのクワの意見には、僕はとてつもないほどに共感できた。そもそもヒーローものを見ること自体が罪作りみたいになってしまっているこの世の中で、このクワは僕と同じ側の人間だということが分かった。
「まあ、血が流れるのが嫌だっていう人がいるって言うのは分かるけど……。極論、見なければいいだけの話だし」
それはそうだ、と僕も思う。やっぱりクワは、こちら側の人間だ。と僕はこんな状況で密かにうきうきしてしまう。
「まあでも、君達が心配するようなことではないよ。君達、戦いのアクションがすごい良かったし、とてもカッコよかったから。最初にしてはとてもいい滑り出しだったよ」
「そっか、そうだよね! 僕達、最初に百万人も見てくれていたんだもん! 食虫植物なんて敵じゃないよ!」
そうだ。うまく二人で戦えた僕達ならば、僕達のアニメを批判されることなく戦える。
「そうだよな! 最初にいいスタートダッシュを切れた俺達なら、向かうところ敵なしだよな!」
クワもにやりと明るい顔で、手のひらと拳を突きながら言った。
「本当にそうだよ。君達は、最強のヒーローだ!」
アゲハさんの言葉を聞き、僕は確信する。僕は、この世界でなら生きていける。誰にも知られずヒーローに憧れていた僕を、この世界は受け入れてくれると。
===
高揚した気分のまま僕は用具入れから出る。火照った頬を、少し涼しい風が掠める。
「あ、佐凪くん、こんなところにいた!」
外には、懲りずに僕を探していた礁子がきらきらと目を輝かせていた。
だめだこりゃ。そう思うと同時に全速力で逃げ始めた。
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