第118話 mama/ママ

「本当に久しぶりだね。1ヶ月ぶりくらい?」


 抱きついてきたグレーテさんと一緒に起きあがると、彼女はそう話しかけてきた。


「まあそうですね。お互い日本から随分と遠いところにいましたしね」


 正直、毎日毎日そう何度もグレーテさんに抱きつかれれば、この身が持たない。だから、最近は平穏無事に生活していた。


「……お主はどこに行ってもそうなる運命なんじゃな」


 そんな様子を星奏さんは若干苦笑いを浮かべていた。


「ワシはこのまま素材を買いに行ってくるから、一旦分かれようかの」


「あはい。わかりました」


 私は遠くなっていく星奏の背中を眺めていた。


「それじゃあ私がこの街を案内してあげるよ!」


「……んじゃあまあ、それでいいです」


 特にやることもなく、とりあえず着いてきた私はグレーテさんからの申し出を受け入れた。グレーテさんがいつになくハイテンションだ。


「みーちゃん疲れてない?」


 あなたのせいですが?


「……大丈夫ですよ」


 その言葉をなんとか飲み込んで、苦笑いをした。そして、グレーテさんは意気揚々と私の腕を引き、クータルマの森を案内するのだった。




「さてみーちゃん、何から見たい?」


「え、私何があるかわかんないですよ?」


「あそっか、私が呼んだんだっけ。ごめんごめん。それじゃあ……近くの綺麗な池でも見にいこうか!」


 そそっかしいグレーテさんは私の腕をグイグイ引きながら、池の方へと連れていった。そこは澄んだ水と光に当たった美しい木々が並ぶ、絶景であった。


「おお……確かに綺麗ですね」


「見て見て! いろんな魚が泳いでるんだよ!」


 そう言われて池を覗き込む。グレーテさんの言葉通り、クマノミやカサゴ、サケやらコバンザメなど色々な魚によく似た魚たちがスイスイと優雅に泳いでいた。


(この池水質とか水温どうなってんだ?)


 現実だとありえない光景だ。まるで水族館のようにも思える。


「釣りでもしてみる?」


「あー、試しに……」


 私がそう言いかけた時、対岸にいた妖精が竿を引いた。すると、私のの身長の5倍ほどあるサメがザバンと上がった。


「うわーーーー!」


 それを見た妖精はすぐさま逃げ出し、サメが妖精のいた地点をザクリと削り取った。


「……やっぱやめときます」


 命の危険を感じ、やめておいた。


「え〜、残念」


「まあ、はい。サメに食べられたくはないので……」


 あの光景を見てやりたいと思うほど、私は釣り狂人ではない。


「んじゃあ……山道でも歩いてみようか!」


 続いて私たちがやってきたのは、山の中。木々とそこに止まる小鳥たちが印象的で、これまた幻想的な空間だ。


「は〜、自然豊かな場所ですね〜」


「まあ、都会みたいなテレビもないし、車もないけどね」


 聞き覚えのあるフレーズを聞かなかったことにして、私たちは進む。そんな折、横の草むらがガサガサと動いた。


「ん、なんでしょ?」


「あ、みーちゃん気をつけて!」


「へ?」


 瞬間、私達めがけて2〜3mほどある猪が突っ込んできた。


「でかぁ!?」


「えりゃ」


 グレーテさんは最も簡単にその頸動脈と思われる場所を切り飛ばし、その動きを止めた。イノシシはパタリと倒れてしまった。


「今日はイノシシ鍋だね!」


「あー……はい」


 こういうことはクータルマの森ではよくあることなのだろう。必死に心にそう言い聞かせて、ここを乗り越えた。


「よいしょっと。それじゃあ次に行こうか」


 そう言ってグレーテさんが鎌にくくりつけたイノシシを持ち上げた。


「あ、私次から横に並んで歩きますね」


「え!? そんなに私と一緒に歩きたかったの!?」


「えー、いやー、ははは……」


「お姉ちゃん嬉しい!」


 感激するグレーテさんには、後ろを歩いているとイノシシと目が合うからいやだという事情は黙っておいた。


「ほら、もうすぐ頂上だよ!」


 歩き続けて10数分。ついに頂上が見えてきた。


「おお!」


 景色が開けて、鮮やかな森の様子が一面に広まった。家々や先ほどの池。遠くには霧かかった森。加えてまだ見ていない果樹園やら、大樹も見えた。


「ここ綺麗だよね、私も大好きなんだ!」


「確かに綺麗ですね」


 初めてクータルマの森に来て良かったと思えた瞬間であった。




「そういえば、なんで今回私を呼んだんですか?」


 クータルマの森をグレーテさんの案内でひとしきり楽しんだ後、山道を歩く私はグレーテさんに忘れていたことを聞いた。

 一瞬きょとんとしたが、すぐに思い出したらしい。


「それはね、ママが会いたがってたからだよ」


「ママ?」


「うん」


「グレーテさんの?」


「なんで急に???」


「それはね……」


 聞けば、帰省した際に私のことを両親に話したそうだ。すると両親、特にグレーテさんの母親が私に興味をもち、ぜひ会ってみたいとグレーテさんに言ったのだそうだ。


「というわけで来てもらったんだ」


 何か大層なことがあったのかと思ったが、若干拍子抜けだった。だがまあ、平和であることに越したことはない。


「それで、ひとまず私のお家に来てみない? このイノシシさんも一旦置きたいんだ」


「大丈夫ですよ」


 行くところがないというか、どこに行ったらいいかよくわからない私はその提案を飲んだ。


「ありがとう!」


 グレーテさんはルンルンスキップで自宅へと向かい始めた。途中、揺れたイノシシが数回べしべしと私の体に当たることもあった。

 道中も日光に照らされた木々の間を抜け、何事もなく目的地に到着した。


「ここがグレーテさんの……」


「そうだよ、私のお家!」


 大きな木々の中に埋め込まれたように入っている、いわばツリーハウスの形態をしている。屋根は少し色褪せた赤色で、どこか童話の家のようにも思える。


「ただいま!」


 グレーテさんは早速家の扉を開け放ち、中へ入っていった。中もロッジのように木を基調として造られており、ほのかに木材の良い香りがした。


「あら、おかえり」


 そんなグレーテさんを出迎えたのは、頭にツノを生やし、背中には小さな羽が生え、鋭い矢印のような尻尾を携えた人物だった。


「ママ、連れてきたよ!」


(そういえば、グレーテさんのお母さんってサキュバスなんだっけ)


 以前、そんな話を聞いた覚えがある。確かにそれならこの魔族のような見た目も納得だ。


「パパは?」


「昼寝してるわよ」


「そっか。見て見て! イノシシとってきたんだ!」


「あら立派。まるでゴブリンのチ○ポみたいね」


 私は一瞬時が止まった。


(ん? ん??  ん???)


 母親。しかも、お姉さんタイプの人の母親。そんな存在からはとても聞こえてはいけない、そんな単語が聞こえた。


(……なんかの聞き間違いだよね)


「そういえば、前にとったキノコもオークのおち○ぽみたいに立派だったわね。まるで20代の若い子のザー○ンみたいに美味しかったわ!」


「ちょっとたんま」


 私はグレーテさんの家から素早く出て、ドアを急いでバンと閉めた。そして、即座にスマフォで玄武に電話をかけた。


『はいもしもし』


「なんかグレーテさんの母親が下ネタのオンパレードなんだけど!? どういうこと!?」


『……あそうか、サキュバスだったかあの人の母親って』


 玄武は少し考えた後、教えてくれた。


『この世界のサキュバスとインキュバスってのはな、俺たちみたいな常人が持ってる貞操観念ってのがないんだ。あの種族は子供を残して、大量に繁栄することが目標だから、必然的に子作りをたくさんすんだよ』


「な、なるほどなぁ……」


『だから下ネタとかそういうことを言うのに抵抗がないんだよ。まあ頑張れ、じゃあな』


「あちょはや」


 そう言って、玄武はパッと電話を切ってしまった。


「みーちゃん大丈夫?」


「ああはい……」


 私は顔だけヒョコッと出したグレーテさんに耳打ちする。


「(あの、グレーテさんのお母さんっていっつもあんな感じなんですか?)」


「うん、そうだよ? でも私はあんまりあんな風な言葉を使うと、将来大変だから使わないようにってパパから教えてもらったんだ」


 おわーグレーテさんのお父様ナイス。


「もしかして、そういうの苦手?」


「まあ……はい」


 私は基本的にそういう下ネタ系があまり得意ではない。言葉自体は保健体育やらでやったから知っているが、単純に慣れていないのだ。


「そっかぁ……ならママにやめておいてって言ってくるね」


 グレーテさんはそう言って、家の中にパタパタと戻っていった。


「……世界は広いもんだ」


 私はそう実感した。


「そこの旅のお方、今よろしいですか?」


 家の外でグレーテさんを待っていると、唐突に老人に話しかけられた。老人は白い立派な髭を生やし、杖をついていた。その腰は曲がり、緑のローブを身につけている。


「どうしました?」


「あの、あなたの苗字って……」


「……田切ですが」


「……そうですか。ところで、竜王 和導という名前を聞いたことがありまんか?」


「あ〜、ありますけど……」


 その名は以前、白の魔女に聞かれた名だ。それがなんだというのか。


「よく似ている……」


「誰にです?」



「この土地を救った勇者、竜王 和導様に、よく似ておられる……」



「……はい?」


 よくわからないが、老人はそう言ってしみじみとしていた。


「いや、なんでもありませぬ。それでは」


 そうして老人は去っていった。


「竜王 和導……」


 その名はどこか、心の奥深くで反響していたような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る