第89話 rage/激怒
その日の夜のこと。風呂から上がり、寝巻きの私は自室にいた。
「にしても、運動エネルギーを吸い取る能力ねぇ……」
ベッドの上で自分の刀を眺めながら、ぼんやりと寝転がっていた。
「強いのやら、弱いのやら」
見た目としてはかなり地味。はじめが魔力を吸い取っていたと考えると、迫力としても薄い。
「実践で使ってみて検討かな」
そう言って刀を置き、私は部屋の電気を消した。
「ひとまず今日は寝ようかな……」
討伐で疲れた体を布団の間に入れ込ませて、私は瞼を閉じた。
「……ん?」
気がつくと、そこは真っ白な空間だった。
「何ここ」
おそらくは夢の中。どこを見回しても、一面真っ白な空間が広がっている。地面は無表情で、窪みも何もない。
「にしては、意識も感覚もあるけど……」
私は試しに自分の頬をつねってみた。一応、痛みはある。夢にしてはやけにリアルすぎる気がする。
「少し歩いてみるか」
私は気の向くままにその場所を歩き出した。どうせ夢だ、迷ってもどうもないだろうという考えの元だった。
「……ん?」
そんな時、何やら人影が見えた。女性のようだ。
「和服?」
この空間に似合わない、黒い着物。対照的に髪は真っ白で、白銀のよう。髪についている赤のかんざしがよく映える。
彼女は何やら私に背を向けて、どこかを双眼鏡で見ている。
「……へへ」
「あの〜」
「ひゃわ!?」
何かを夢中で見ていた彼女。彼女に声をかけたのだが、彼女は素っ頓狂な声をあげた。
「な、なんでここに……?」
彼女はきょとんと目を丸くして、私のことを見つめている。そして、キョロキョロと周りを見渡すと、再び私を見た。その後、何かぶつぶつと呟き出した。
「(そうか、刀が進化したから、こっちに近づいてきてるのか……。意識結界をもっと強めに張らないと……)」
「あの〜?」
「え、あ、ああ……」
その場に流れる微妙な雰囲気。しばしの沈黙の後、彼女が口を開いた。
「……ここはね、君の精神世界。君の記憶や感情が眠る場所だよ」
「え?」
彼女は急にこの場の説明を始めた。
「残念ながら、自己紹介はまだできない。するには少し早すぎる」
彼女はそう言って、笑っていた。
「早いって?」
「時が来たらわかる」
私は彼女にそう問いかけた。しかし、その答えは曖昧な物だった。
「しかし、私は君のことをずっと見守っている。この場所でね」
「は、はぁ……」
「後、一つ。自分の体は大切にしたほうがいいよ」
彼女はそう言って私を背後に突き飛ばした。
「それじゃあね。次会うときは、きっとその時だよ」
わけもわからぬまま、私の意識はぼんやりと暗闇に落ちていった。
「……ハッ!」
私は目を覚ますと、そこは自分の部屋だった。
「やっぱり夢か……」
しかし、夢にしては妙だった。あの感覚となんとも言えない懐かしさ。一体彼女は何者なのだろうか……?
「今は……7時か」
朝ごはんにはちょうどいい。私は事務所に向かった。このくらいの時間にレイさんは朝食を準備してくれている。
「おはようございます。導華さん」
「おはようございます……って、え」
「あら、みーちゃん。おはよう!」
なんと食卓にいたのは、グレーテさんだった。一気に私の目が覚める。
「どうしてここに?」
「さっき朝のお散歩してたら、ここを通りかかってね。朝刊を取りにきたレイちゃんに会ったの。そしたら、せっかくだから朝食を食べて行かないかって誘われてね。だから、食べることにしたの」
「そういうわけでしたか」
まあグレーテさんがいようが、することは変わらない。私はグレーテさんの向かいに座り、トーストを口にする。相変わらずレイさんの料理は美味しい。
私はグレーテさんの方をチラリと見た。グレーテさんは目玉焼きを美味しそうに頬張っている。
そんなグレーテさんの長い耳を見て、あることを考える。
「……そういえば、グレーテさんてエルフなんですよね?」
「そうよ。ほら、長い耳がトレードマーク」
そう言いながらグレーテさんは耳をちょいちょいと触った。
「気になってたんですけど、前のイグラディッシュでツノが生えてたあの姿ってなんなんですか?」
「あー、キルモードのことね」
「キルモード?」
そう私が問い返すと、グレーテさんが説明してくれた。
「えーっとね。それを話すには私の一族のお話をしないといけないんだけど……聞いてくれる?」
「ええ。せっかくですし」
そう初めて、グレーテさんは彼女自身の話をしてくれた。
「昔ね、私の村に勇者様がきてくれたらしいの」
「勇者様?」
いきなりファンタジック。まあ、ここ自体が異世界だから、今更だが。
「その人は各地にいた悪い奴らを退治していたそうなの。そして、その途中で討伐したのがとある死神だったの」
「はいはい……」
「その死神が持ってたのが、グリムなの。本来は寿命って概念がない死神が持って、寿命のある存在を吸い取るのが正しい使い方なの。だから、勇者様はそれを持っちゃうと微量ながらも寿命が吸い取られてしまって、困ってしまったの」
まるで子供におとぎ話でも聴かせるかのような喋り方。だが、それ故にすごくわかりやすい。
「そんな時、私たちエルフのいる村に勇者様がやってきて、凄まじく長く生きる大樹の精霊様にこのグリムを預けたの。そうして、グリムは精霊様によって封印されたの」
「精霊様……ですか」
「そうなの。私たちの守り神みたいな存在。森の魔力から発生していて、その命は森が尽きない限り永遠に続くそうよ」
「はえ〜」
その後、グレーテさんは紅茶を口にした。そして、次の話を始めた。
「そして時間が経って、その森に1人のサキュバスが来たの」
「おお、唐突ですね」
「そう。男の気配を感じ取って、やってきたんですって。そして、彼女はとある男のエルフに目をつけるの」
「へ〜」
「それでそのエルフを襲います」
「!?」
「サキュバスは孕みます」
「!?!?」
「そうして私が生まれたの」
「急に生まれた!?」
あまりに急な展開だったが、話を整理すれば、エルフの村に来たサキュバスが男のエルフを襲って、子種を奪って生まれたのがグレーテさんというわけだ。
「……つまり、グレーテさんってエルフとサキュバスのハーフなんですか?」
「そうなの。だから、グリムの力を解放すると、その血が騒いでツノが出てくるの」
「えぇ……」
どうやらグレーテさんはエルフであり、サキュバスでもあったらしい。私の中のエルフ=清楚概念が壊された。
「私の村では、魔族とのハーフだなんて子他にいなかったから、いじめられそうにもなったわね」
「大変でしたね」
「大丈夫よ、みーちゃん。力でねじ伏せたわ! 私、魔族の血も入ってるから他のエルフに比べて力強いの!」
なんだこの人強すぎる。
「本当はグリムを持っていったらダメだったんだけど、こっちに引っ越してくる時にお供として持ってきたの。ちゃんと村の人たちも納得してくれたわ」
「……拳、使ってませんか?」
瞬間、グレーテさんは私から目を逸らして気まずそうな顔をした。
「……仕方なかったのよ」
まあ、封印されている危険物をそう簡単に持ち出せるはずがない。こうでもしないと持っていけないのだろう。
「あなたって人は……」
会った時かめちゃめちゃな人だとは思っていたが、ここまでとは。本当にグレーテさんは底がしれない。
「あー、導華。今いいか?」
その日の昼。玄武が私の部屋にやってきた。
「どうしたの、任務?」
いつも通りの任務かと自分の体をベッドから起き上がらせる。こうやって玄武が声をかけるときは大抵、任務の時だ。
「いや、違う」
そう言いながら、玄武は勝手に私の部屋に入り込み、椅子に座った。
「お前、異世界転生した時のこと覚えてるか?」
なんの脈絡もなく玄武はそう言った。
「あの時のこと? あー、確か気がついたら路地裏にいて……」
「いや、そうじゃない。その前って覚えてるか?」
「前?」
「どこを歩いてたとか、何を見たとか」
私は腕を組んで思い出そうとした。しかし、特筆して特殊なものを見た覚えはない。ただ、ストレッサーであった会社から帰ってきて、そのままベッドで寝ただけだ。
「特に何か変なものは見てないけど……」
「そうか」
と言って、玄武は立ち上がった。そして私の部屋のドアを開けて、私の方を見た。
「もしかしたら、だが。お前の転生の原因がわかったかもしれない」
「……ほんと?」
私は玄武の後を着いて行った。
「先生、連れてきました」
「来たか。玄武」
暗い部屋。市役所の下にあるこの場所は、超介さんの仕事部屋だ。私は玄武にそこに連れて来られた。
「突然すまない、導華くん」
「いえ。ところで、私の転生の原因がわかったかもしれないって、本当ですか?」
「ああ、少し待っていてくれ」
超介さんは奥に行くと、とある新聞を持ってきた。
「導華くん。完全記憶能力、というものを、知っているかい?」
「確か……見たものを全て記憶する能力……でしたよね?」
「そうだ。実は、少し前に、やって来た、転生者が、その能力を、持っていてね。彼の記憶のあった、とある新聞を、私の超能力を使って、紙に転写したんだ。これはおそらく、君が転生した次の日の、朝刊だ」
そして、机の上にパサリとその新聞をおいた。
『東京 壊滅』
まず、私の目に飛び込んできた文字はそれだった。そして、そこにはクレーターのように陥没した、東京の姿があった。
「2月1日、午後11時半。都心にて謎の怪物が出現。10分ほど当たりを破壊し回った後に、巨大な爆発を起こし、その場から姿を消したした。東京都では都心を中心に半径20kmが消失したと見られており、日本への影響は甚大だと見られる……」
私は言葉を失った。私が異世界転生した時にこんなことが起きたとは。
「察しているとは、思うのだが、おそらく君は、これに巻き込まれたんだと、思う。原因を見ても、正直なぜこんなことになったのか、私にもさっぱりだ」
まあそうだろう。私にも全くわからない。よく新聞を見れば、その爆破を引き起こした怪物の写真も載っている。少しぶれているが、その姿は真っ黒で、目と見られるまんまるな穴と、三日月型の口からは眩い光が。背からは、眩い光を放っている羽のようなものがある。
(都心であれば、私が住んでいたところとも合致する。これが原因なのは間違いない。だけど……)
私はあることが引っかかっていた。
(私の最後の記憶は眠った時。起きた記憶は全くない。つまり、私は寝たままこの爆発に巻き込まれたということになる。だけど、おかしい。私が11時まで寝ているか?)
あの頃の私は基本的に5時起き。寝坊したとしても、上司からの鬼電で確実に8時までには起きている。それが11時まで寝ているなど、おかしな話だ。
「転生前の記憶が、多少なくなることは、ある。もしかしたら、この化け物の記憶が、消えている、のかもな」
私の思考を読み取ったのであろう。超介さんが教えてくれた。
「ああ、そうなんですね」
しかし、私の頭にはまだモヤモヤとした感覚が残っていた。
(あんなもの、忘れるか?)
「また、わかったことがあったら、おって、連絡する。今日は、ありがとう」
そうして、私は少しの疑念を残したまま、事務所へと戻るのであった。
「……ああ、ムカムカする……」
都心のとある道。そこを歩く男が1人いた。男は挙動不審に当たりを見回している。
歩いていた男の肩に、ガタイの良い金髪の男の方がぶつかる。
「いったぁ!」
ぶつかった男は大袈裟に肩を抑えた。それを歩いていた男はじっと見ていた。
「オイオイ、ぶつかっておいて何もなしかよ? こっちは肩が折れてんだぞ?」
もちろん男の嘘だ。そんな男を歩いていた男は嫌そうに見た。
「そんなわけないだろう。あの程度で折れるだなんて」
「舐めてんのか!」
そうすると、ゾロゾロと周りから男の仲間と思われるヤンキーたちがやって来た。それを見た他の通行人は、そそくさとどこかに行ってしまった。
「……愚か者は群れるのだな」
「テメェ……! 死にたいみたいだなぁ!」
男は歩いていた男の胸ぐらを掴み、持ち上げる。それを他のヤンキーたちはニヤニヤと見ている。
「まずは顔面に1発……」
「……『
瞬間、男を中心に巨大な炎の柱がたった。それは周りにいたヤンキーたちを焼き尽くした。
「……は?」
「お前もだ」
掴まれている男は掴んでいるヤンキー男の頭を掴んだ。瞬間、その男の体が燃える。
「……イライラする」
その場に灰だけが残った。男はその場を去り、背後では通行人のザワザワとした声がする。
「簡単に嘘をつく、暴力を振るう、それを面白がる、それを傍観しているだけ……。この世には愚か者が多すぎる。ああ、イライラする……」
男は、憤怒というものを体現したような男だった。
「ピリリリ、ピリリリ……」
その時、男の携帯が鳴った。
「はい」
男はそれに出る。そして、少しの間会話を交わした。
「……そうか。わかった」
ピッと電話を切ると、彼はポケットに携帯をしまった。
「……転生者にも関わらず、それを隠して生活しているとは……」
男の髪が少し動く。
「田切 導華……。許さんぞ……」
男は再び、どこかに向けて歩き始めたのだった。
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