第86話 malevolent/悪意のある
「あなた、何者?」
突然、阿毘翠のスキルによって取っ替えられたカトレア。彼女は今の気持ちを素直に食にぶつけた。
落ちた先は少し水が浸っていて、薄暗い。壁にある少しのランタンが唯一の光源だ。
「僕は食。さっきも言っただろう? 君の仲間、導華を殺しにきたんだ」
食は笑ってそう答えた。
「……もしかして、悪夢の人デースカ?」
カトレアは阿毘翠に聞いた話を思い出した。
「いや、それは僕の仲間さ。僕は君たちを呼び出す口実を作ったまでだよ」
「口実?」
カトレアは頭の中でそれらしいものを探した。しかし、心当たりはなかった。
「……察しが悪いなぁ……」
食はため息をつく。
「ほら、遊郭に化ケ物が湧いただろう? それを放ったのが僕だよ」
「オーウ! そういうことでしたか!」
カトレアは納得して、手をポンと叩いた。
「とにかく、僕はまず君に倒れてもらいたいんだ。そして、僕の餌になってもらいたい」
そう言いながら、じゅるりと汚い舌なめずりをする食。カトレアはそれを見て、自分の命を狙っていると悟った。
「それは無理な相談デース。私には、待ってくれている人がイマース!」
カトレアはファイティングポーズをとった。
「文句があるなら、やり合いまショウ!」
「……往生際が悪い……」
食は舌打ちをした後、両手を大きく広げ、笑った。
「いいよ! 手加減は無しでいこう!」
こうして、食とカトレアは拳を交えるのだった。
「ちょちょ、阿毘翠何やってんの!?」
その頃、阿毘翠は導華の腕を引きながら、遊郭の道を走り抜けていた。
「逃げてるんだよ!」
「何から!?」
必死に逃げる阿毘翠に対して、導華は状況が把握できていないようだった。
「秘密結社……Under groundってやつら? から!」
「何でそれ知ってるの!?」
「それは……玄武に聞いたの!」
そう言いながら、交換を繰り返して、遊郭を抜け出そうとする。
(もう少し……!)
段々と遊郭の先にある公園が見えてきた。
「行かせまへんよ」
そんな声が脳内でする。瞬間、2人は何かの建物の中に入っていた。
「うえ!?」
「ッチ、捕まったか……」
カランカランと下駄の音が背後からする。
「導華ちゃんの精神、削りきれへんかったみたいやね」
聞き覚えのある、雅な声だ。
「どうやら、逃げ出そうと思おとったみたいやけど、そう簡単には逃しまへん。こっちにも、義理があるんです」
彼女はスッとキセルを吸った。それは出会った時に吸っていた、あの大きなキセルだった。
「……まさか、アンタが主犯だったとはね。気がついた時にはビビったよ」
「……ふふ、気づかれてはったんですね」
「梅桜、雅!」
梅桜さんはニヤリと笑って、その目を光らせた。
「梅桜さんですか?」
少し前。阿毘翠は料理人にとある質問をした。
「厨房に入ってましたか?」
「ええ。客人のお料理に何かあったらいけないからって」
狙い通り。やはり、黒幕は梅桜で間違いない。そう阿毘翠は確信した。
「ありがとうございます。良い方ですね、ご自身で確認なさるだなんて」
「そうなんです! あの人いっつも丁寧で……」
そこからは料理人による、梅桜のよいしょが始まった。
「ははは……」
苦笑いの裏で、彼女は作戦をずっと考えていた。
「……導華。これ」
この状況になって、阿毘翠は導華のポケットにとある紙を入れた。
「え、何これ」
「全てそこに書いてある。わかったら、黙って準備してて!」
そういうと、彼女はパンと手を合わせた。
「『交換』!」
そして、ノータイムで導華にスキルを発動した。導華がいたところには、こけしが残っている。
「……ほう?」
その様子を見た梅桜さんは感心の声を上げた。
「残念だけど、導華は守らせてもらうよ」
梅桜は導華の場所がわかっていた。そのため、彼女は部屋から出て、導華を狙いにいこうとしていた。
「……!?」
しかし、部屋を出たはずは、阿毘翠のいる部屋にまた入っていた。
「私の交換のスキルで、この部屋からは出られない。わかるでしょ?」
「……中々、厄介さんですね」
「そりゃどうも」
そう言って、阿毘翠は拳を構える。対して、梅桜はキセルを構える。
「おいそれと行かしてはくれまへんか?」
「そんなの、私が了承するとでも?」
「……残念です、べっぴんさんなのに」
そして、彼女はキセルに魔力を流し込んだ。
「ここからは、秘密結社Under groundの一員、『
女同士の激闘が、静かに幕を開けた。
その頃。私はとある一室にいた。どうやら、遊郭の一室だったようだ。
「一体何が……」
私はそんなことを口にしていたが、私は少し考えてようやく理解した。
「……Under groundか」
私は誘い込まれていたのだ。遊郭に。条件やら何やらで気づくべきだった。
「それに気がついて、逃がしてくれたのか……」
いや、正確には違うだろ。きっと準備時間だ。阿毘翠は私に準備しててと言った。つまり、彼女は勝つ気などさらさらなかった。
「……ありがとう、阿毘翠」
私は先ほどもらった紙に目を通す。おおかた、先程の推測通りだった。
「梅桜さんが主犯だったのか……」
よく考えたら、今までの不可解な出来事の前には、梅桜さんが出てきて、すぐに消えていた。
「あれは何か仕掛けてたのか……」
しかし、私はあることを思い出した。
「……でも、梅桜さんってそんなに悪人なのか?」
私の脳裏に、以前戦った病の表情が浮かぶ。梅桜さんは話していて、そんな雰囲気もなかったし、周りからの評判も良かった。あの団体であれば、連れてきた子供を酷使させていてもおかしくはない。
「……ちょっと和解、試してみるか」
「『
食がそういうと、彼の腕から5本分口のついた肉の棒のようなものが伸びてきた。
「ウオット!?」
カトレアはそれを反射で避けた。それは壁にぶつかった。かなりの勢いだ。しかし、なぜか瓦礫が落ちない。
「……食べてる!?」
何とそれは壁をガブガブと食べていたのだ。
「気持ち悪いデース……」
「あっはっは。そうかい? 僕にとっては美しいんだけどね」
そう言いながら、食はその気持ちの悪いそれを振り回した。ブオンと音がして、カトレアの方に飛んでくる。
「『スライムガード』!」
それはカトレアの腕に阻まれた。カトレアの腕でバインと跳ねて、無力化された。
「……なんだよ。簡単には行かないか」
食は舌打ちをして、つまらなそうな顔をした。
「まあ、それで防げたかは別だけどね」
「!?」
瞬間、弾いた棒からまた違う棒が出てきた。それが今度はカトレアの腕に噛み付いた。
「ワッツ!?」
カトレアはそれを握り、引きちぎった。
「一瞬だったけど……。きたでしょ?」
確かにそれはカトレアの腕にダメージを与えた。
(魔力を……食われた?)
腕の力があまり入らない。瞬間的に魔力が抜き取られたようだ。
(面倒……)
狭い空間だ。あまり多くの魔力が抜き取られるのはよろしくない。
「……一瞬で決めマース!」
カトレアは覚悟を決め、大技を構えた。
「『
カトレアは彼女の背から、大量の腕を放出する。それは弾丸のような速度で食に向かって行く。
「これは……!」
一瞬にして腕の波に飲まれる食。狭い空間だからこそ、質量で押せば良い。
「……これで」
「『
そう食がスキルを発動した。すると、彼の腕にカトレアの腕が持っていかれる。
「ッ!?」
みるみるうちに吸い込まれ、やがて腕の波は無くなってしまった。
「ふぅ……。流石に危ないと思ったけど、何とかなった」
飄々と食はそう言ってのける。
「僕のスキルは、魔力を含む物体を食すことで、体にその魔力を蓄えることができる能力なのさ。無限にね」
食はそう言いながら、笑った。
「今の一撃、割と魔力使ったんじゃない?」
食の言う通り、カトレアの魔力は今のでかなり使っていた。
「流石に僕も、そろそろいかないとまずいんだよね〜……」
頭をボリボリとかき、彼は腕を前にした。すると、彼の背後から大きな口が現れる。歯並び、それぞれの歯。どれを見ても汚らしい。
「だから、決めさせてもらうよ」
「……!」
カトレアは嫌な気配を感じ取った。
「『
瞬間、開いた口から、黒く汚い液体に乗せて、冷蔵庫、ゴミ、生ごみ、何かベトベトしたものなど、数々の品物が流れ出してきた。
「これは今まで溜め込んだ、食べたものたち。魔力がなくなったから、それを押し流しているのさ」
カトレアは何とかその波を耐える。何とも鼻にくる匂いだ。カトレアの体も汚く汚れていく。
「うっ……」
「……もういないか」
柔茹剛吐の後には、何もなく、ただただそこら中に汚い液体が残ったのみだった。
「流石に全出しは危なかったかな?」
食は彼の腕を見ながら、そう言った。
「まあ、仕方ない。かなりの強さを感じたからね」
首をゴキゴキと鳴らして、彼はピョンピョンと飛ぶ。
「さて……。あっちに向かおうか」
食がカトレアが落ちてきた穴に、食苦を使って噛みつき、登ろうとしたその時だった。
「行かせま、セン!」
「なっ!?」
の太い男の声。どこからか伸びてきた粘着質の腕が食の腕を掴んだ。
「うわっ!?」
登ろうとしていた食は、それに引っ張られて落下した。
「イチチチチ……」
「男が一度誓ったら……」
食が声のする方を見ると、液体からヌプヌプと何か人型が形成されていく。
「守るのが筋ってもんデース……!」
「うわあああああああ!」
そこに立っていたのは、カトレアもとい、全裸のデニーだった。
「え、ちょ、ま、誰!?」
食は激しく混乱していた。
「男……ってない!?」
食はデニーの股間を見た。なんと、あるはずのそれがないのだ。
「服が使い物にならなくなったので、こっちの形態に戻しマシタ! なので、アレがあると捕まってしまうので、無くしマシタ!」
「無くしたって何だよ!?」
そこで、食はハッと気がついた。
「まさか……お前デニー・クランプトンだな!?」
「オウ! 私のことを知ってたんデースカ!?」
食はここにくる前に、玄武団のメンツを確認していた。しかし、実際にやってきたのは、ターゲットと知らん女2人。変だとは思っていたが、まさかデニーだったとは思っても見なかったらしい。
「だ、だがピンチなのに変わりはない! 俺の勝ち……」
瞬間、食はウッと声を上げて、胸を押さえて倒れた。
「何だ……これっ……!?」
ドクドクと心臓の拍動が早まる。息遣いが荒くなる。
「どうやら、神経毒が回り始めたみたいデースネ!」
「し、神経毒ぅ……!?」
「それは、以前あった奴九というロボットのものデース! 私の体には、まだその毒を残しておきマシタ! あなたの何でも食べる性質を見て、もしかしたら……と思いました。そしたら、That’s right‼︎‼︎ あなたは、私の毒入りの腕を口にした、というわけデース!」
「く、クッソォォ……!」
そう言って、食はバッタリと倒れた。
「オーウ。あの毒、強力!」
こうして、デニーは一応と思いながら、汚く汚れた服を回収して、一緒に食を回収して、落ちた穴から地上に戻っていった。
「ウグッハ……!」
その頃。阿毘翠はその体を遊郭の壁に打ち付けられていた。
「まさか、手も足も出ないとは……」
勇猛果敢に立ち向かった阿毘翠だったが、結果的には全くと言っていいほど歯が立たなかった。
「私を舐めてもらっちゃ困ります」
梅桜もとい、雅はそう冷酷に言い放った。
「私は、さっさと百合の間に……」
「何で、百合の間に?」
「それは、田切 導華がそこにいるから……」
「じゃあ、何でそこにいるとわかるんだい?」
「簡単です。そのこけし、前の由良梅ちゃんが私に誕生日にくれたものだから。私はそれを、百合の間に飾っておいたのよ」
「……あなた、優しいんですね」
「……は?」
阿毘翠は鼻血を垂らしながら、雅を見た。そして、体を少し起こした。
「ここの情報を集めていた時、一緒にあなたの情報も集めた。その時、不思議なことにあなたの悪評は、一つもなかった。むしろ、あなたに対してポジティブな話しかなかった」
「……私が、不利なことを考えている子を消しているかもしれまへんよ?」
「それもない。だって、私は遊郭にいた全員、加えて、社会復帰した子にも少しお話を聞いたんですから」
「なっ、そこまで話を……!?」
「同僚に協力してもらいましたよ」
そして、阿毘翠ハハッと笑った。
「あなた、悪役にでもなろうとしてるんじゃないんですか?」
「……」
「あなたは、悪人なんかじゃない。そうでしょ?」
阿毘翠がかけた言葉を、雅は少し考えた。しかし、彼女は邪悪な笑みを浮かべた。
「……そんなわけ、あらへん。私は田切 導華を殺すためにここにいる。そのためなら部下だって殺しますよ?」
「じゃあ、何でこのこけし、傷一つついてないんですかね」
「……!」
阿毘翠はこけしを持ち上げた。
「ちょっと!」
「傷つける気はありませんよ」
そして、阿毘翠はまじまじとそのこけしを眺めた。
「……やっぱり、傷ひとつない。周り、見てくださいよ」
阿毘翠は周りをキョロキョロと見た。そこは2人が戦ったためにボロボロで、壁も何枚か抜けて、何部屋かがつながった状態になっている。
「こんなにボロボロなのに、おかしな話です」
「……」
「……私の体力も、そろそろ限界っぽいですね」
阿毘翠は黙ってしまった雅を見た。そして、己の体の限界を告げた。
「そろそろ、選手交代かな」
そう言うと、阿毘翠は手を合わせて、スキルを発動した。
「『交換』!」
そして、阿毘翠はこけしを持ったまま、ある部屋に飛んだ。
「後は頼んだよ、導華」
「……きましたか」
私の目の前には、梅桜さんが立っていた。
「梅桜さん……」
「梅桜と呼ばないでもろていいですか? 雅と呼んでくださいまし」
「……雅さん」
私は刀を構えて、こう告げる。
「少し、あなた方の会話を聞かせてもらいました」
実は、私はとある盗聴器を通して、阿毘翠の音の様子を聞いていた。これは紙に書いてあったことだ。
「……あなたはきっと、悪人じゃない」
「……」
「だけど、あなたはそれを否定するでしょう。だから私、決めました」
あの時考えた。どうしたら、雅さんの本意を聞けるのか、と。
「私があなたに勝ったら、そのこと全部教えてください!」
「……良いです」
雅さんはキセルを構えて、そこに魔力を流した。ボワっと白い煙が上がる。
「私に勝てれば、ですが!」
こうして、私たちの譲れないものをかけた戦いが幕を開ける。
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