第85話 uneasy/不安な

「……眠ってしまったか」

 夜の公園。阿毘翠は膝の上で寝息を立てている導華を見て、そう呟いた。

「彼女がもう少しで来るはずだったんだけどね」

「もう来た」

「おっ、お早い登場だね」

 ザッザッザッと深夜の公園の地面を踏み締める音がする。凛だ。

「隣、座るね」

 そう言いながら、凛は阿毘翠のの横に座った。

「うお、カワヨ。写真撮っちゃお」

「君、キモいおじさんみたいになってるよ?」

 阿毘翠は、導華を見てノータイムで連写を始めた凛にそう声をかける。

「……にしても、かなりひどい状態だ」

「髪はボサボサ、目にもクマ。目の周りが赤く、泣いた形跡がある。加えて、少しやつれたかな?」

「君、何でそんなにわかるんだい?」

「普通に見てたら、気づかない?」

「気づかないよ?」

「ホストといえど、導華検定1級には遠く及ばないね」

「何だいその検定」

「私が作った。今の所、私だけ」

「……君、想像以上に気色が悪いね。さすが、盗聴器つけてただけはあるよ」

「バレてたのか……」

 深夜の公園に、虫の声が響く。

「……今回の一件、単なる偶然だと思う?」

「いや、私は思わないよ。3日連続で人を憔悴させるような夢……。明らかにおかしい」

「やっぱりそうだよね。導華のこんな姿、半年一緒に暮らしてきたけど、私初めて見た」

「それに、もう一つ気になることがある」

「何?」

「導華の入眠潜時だよ」

「入眠潜時?」

 入眠潜時とは、人間が眠りに落ちる時間のことだ。

「いつもの導華なら、10分程度だよ?」

 阿毘翠は何で君が知っているんだという言葉を飲み込んだ。

「そうなんだ。平均しても5〜25分程度。それがここ三日間、3分で入眠している」

 5分以内の入眠は、いわば気絶と同義。それほどまでに早いのだ。それはまさに、導華の体の異常を指し示していた。

「そして、これだ」

 そう言いながら、あるものを出した。それは、昨晩の食事である魚の切り身、そして刺身だった。

「君たちの知り合いに、科学者はいる?」

「いますよ、凄腕のが」

 凛の頭の中には、スージーの顔が浮かんでいた。

「ならいい。これは推測に過ぎないんだが……」

 阿毘翠の顔を、街灯が照らす。

「その料理には、睡眠薬が入っている」



「……ですよね」

 凛はそうなんだろうなというような表情をしていた。

「何だ、気がついていたのか」

「話ぶりから」

「おそらくは、遅効性のものだ。以前、客に睡眠薬を盛られて、意識が朦朧としていた帰りに酷い目に遭わされた同僚がいる。その薬と同じものだろう」

「であれば、誰が?」

「コックだろう」

「コックって……。一体何で?」

 凛は少し考え、ある結論に辿り着く。

「……遊郭ぐるみか?」

「多分、ご名答」

「よく考えたらおかしい。私たち玄武団はそもそも、男の団員だって多いし、未成年も多い。そこに、女性という限定までつけて、任務を任せた」

「当然、導華は行くだろうね」

「最初から、導華を呼び出そうとしてた……ってこと?」

「呼び出して、何がしかの精神干渉を行ったのだろう」

「遊郭という、客の気持ちをメインにしている場所であれば、そういう魔法を使える奴がいてもおかしくない……」

「呼び出すような輩に、心当たりは?」

「……秘密結社 Under ground」

 凛はその名をふと口にしていた。

「随分とネーミングセンスのない組織だね……」

「いや、こいつら殺し屋消しかけたり、街の人全員ゾンビに仕掛けたりするヤバい奴ら」

「……それに導華は命を狙われているの?」

「おそらく」

「成程……」

 阿毘翠はふと、凛を見た。その目はいつになく殺気に満ちており、よく見れば、握られた手からは血が流れている。

「……これから君がすることは、その食事に成分分析をかけて、本当に睡眠薬が入っているかそう確かめることだ」

「阿毘翠はここから何するの?」

「私はここから情報収集。明日は北棟と呼ばれる、遊女たちが多くいるところに行く。それなりの情報は期待できるよ」

 阿毘翠はそう言いながら、導華の頭に手を置いた。

「後、導華は任せて」

「頼んだ」

 そう返事する凛に、阿毘翠はあることを思った。

「……君、本当に導華のことを思ってるんだね」

「どうして?」

「あれほど嫉妬の炎を燃やしてた私のことを、導華が危機になったら、躊躇いなく頼った。君はもっと、自分の意思を押し付けるタイプかと思ってたよ」

「しょうがないじゃん。導華のためなら、私のプライドとか、いらない。使えるもんは全部使う」

「……流石、導華検定一級だよ」

 この時阿毘翠は、初めて凛に対して敗北感を味わった。



「私が来たことは、言わないでおいて。変に心配するかもしれないから」

 凛はそう言って、立ち上がった。

「わかった。後……」

「後?」

「君も、冷静さを失っちゃいけないよ」

 阿毘翠は凛の手を見て、そう言った。

「わかってる」

「それじゃあ、私は導華を布団まで連れて行くよ」

「お願い」

 凛は、導華をおんぶしようとしている阿毘翠を背に、公園を出た。そして、遊郭の方を見て、つぶやいた。

「殺す」

 そこには、本当の、純粋な、思い人にはとても見せられない、殺意がこもっていた。



「……ん」

「お。起きた?」

 早朝。私は布団の上で目を覚ました。

「私……」

「昨日のこと、覚えてる?」

 ぼんやりと昨晩のことが思い出される。夢のこと、阿毘翠に連れ出されたこと、夜の公園で眠ったこと。

「ありがとう、阿毘翠」

「……いいんだよ」

 阿毘翠はそう言って、体だけ起こしている私の体をギュッと抱きしめた。

「やっと、私の女たらしの才能が、いいように役立った気がするよ」

「……別に私、阿毘翠に惚れたわけじゃないんだけど?」

「ツンデレだなぁ……」

 気恥ずかしくなった頃、阿毘翠がやっと解放してくれた。

「そういえば。私への敬語、なくなったんだね」

「あったほうがいい?」

 最初は一応と思ってつけていたが、正直、ここまで親しくなったのならいらない気がしたのだ。

「いや、ない方が嬉しい」

「そっか」

 阿毘翠は嬉しそうに笑っていた。

「体調は大丈夫?」

「うん。悪い夢も見なかったし」

 あの時公園で寝てからは悪夢は見なかった。

「なら良かった。今日は北棟の討伐任務、私少し北棟を見て回りたいんだけど、いい?」

「私はいいけど……ナンパ? どっちにしろ、梅桜さんに一声かけた方がいいんじゃない?」

「それもそうか。後で連絡しておくよ。まずは、朝ごはんを食べに行こう」

 私は阿毘翠について行って、朝ごはんを口にするのだった。



「それで、どうだった? 検査の方は」

『100%クロ。出たよ、あの時言ってた遅効性の薬品の成分』

 任務に出向く前。阿毘翠は凛と電話していた。

「やっぱりか」

『味に支障をきたさないものみたい。タチが悪い』

「朝ごはんは私がこっそりすり替えておいたよ」

 阿毘翠は寝る少し前に同僚に電話して、和食を作ってもらい、それを朝ごはんとして並べた。

「事情を説明したら、カトレアが全部食べた……。というか、吸収してくれたよ」

 朝起きてきたカトレアに、全ての事情を話すと、快く了承してくれた。そして、机の上に用意されていた、遊郭の食事をスライムのように変化した腕で吸収してくれたのだ。

「導華には、事情を説明しなくていいの?」

『この一件は、導華なしで解消したいからさ』

「わかった。それじゃあ、私は任務に行ってくるよ」

 こうして、阿毘翠は北棟へと足を進めるのだった。



「……っふう。何事もなく終わったね」

 今回も私たちはおんなじように討伐をした。しかし今回は、遊女たちに移動してもらってからだったので、少し手間取った。

「段々、みんな帰ってきたみたいだね」

 討伐が終わり、遊女たちが北棟へと戻るために道を歩いているのがわかった。

「さて、桜梅さんの許可ももらったし、私は遊女さんたちとおしゃべりして来ようかな!」

 阿毘翠はそう言って、スキップしながら遊女たちの方へと向かって行った。

「全く……」

 私はため息をついて、お宿に戻ろうとした。私は特に遊女に興味はない。カトレアさんは阿毘翠について行った。どうやら、遊女そのものの職について興味があるようだ。

「……ん?」

 北棟から戻る時、央華広場を通ると、那花ちゃんにあった。ベンチに座って、おむすびを食べていた。

「あれ、菜花ちゃん。こんなところで何をしてるの?」

「ご飯を食べているんです」

 それは見たらわかる。しかし、質問が悪かった。

「あ〜、じゃあどうしてここで食べてるの?」

「私たち手伝い係は皆さんとご飯の時間や活動の時間が少しずれているんです。だから、皆さんの動きに間に合うようにこの時間で、邪魔にならないこの場所で食べるんです」

 なるほど。そんな事情があったのか。私は菜花ちゃんの隣に座った。

「まだ小さいにえらいね、そんなに頑張って」

「はい、梅桜さんには、御恩があるので」

「御恩?」

「私、実は虐待されてたんです」

 そう悲しげに言いながら、那花ちゃんは腕を捲った。すると、腕には丸い火傷の痕があった。

「これは、その時父からタバコを押し付けられて出来たものです。父はよく私の暴力を振るい、母は私に暴言を吐き、ストレスの捌け口にしていました」

「そう、だったんだ……」

 思いの外、話が重い。

「ですがある日。梅桜さんがうちにやってきたんです」

「梅桜さんが?」

「梅桜さんは私の両親を殴ると、私を抱えて、走って逃げたんです」

「え、誘拐じゃん!?」

「そうなんです。私もそう思って、最初は怖くて泣いてたんです。だけど、遊郭の遊女さんたちはみんな優しくて、ご飯も寝床もちゃんとあって、思っていた以上に暮らしやすいんです」

 そう言いながら、遊郭を見る那花ちゃんの目は、明るかった。

「だから、私はこんなところに連れてきてくれた御恩を返すために、お仕事を頑張っているのです」

「……ほんと、えらいね」

「えへへ」

 そう言って笑う彼女の笑顔は、年相応のものだった。



 一方その頃。道ゆく遊女相手に、阿毘翠は情報収集に奔走していた。

「そこの方、お時間よろしいですか?」

「ええ、大丈夫ですよ」

 そんな時、阿毘翠は1人の遊女にロックオンした。

「お綺麗ですけど、何の化粧水使ってらっしゃるんですか?」

「ありがとうございます。ケミラーのウテルナー800です」

「なるほどなるほど……」

 その口から出てきた化粧水の名は、一般的なものだった。

「ここにいるほとんどの他の遊女さんもおんなじものを使ってると思いますよ」

「そうなんですか?」

 阿毘翠は面白そうな話だと、食いついた。

「ええ、この化粧水支給品なので」

「支給品?」

「そうなんです。毎月支給されるんです」

「ご自身で買われたものでないんですね」

「ええ、そういうシステムですので」

「そのシステム、ちょっと教えてもらってもいいですか?」

 そう言うと、遊女は周りをチラチラと確認すると、阿毘翠に耳打ちした。

「(ここにいる人たちって大体みんな身寄りのない人とか、虐待されてたとか、そんな人達なんです)」

 それはデリケートな話題で、小声で話すのも納得だった。

「私も実際そうで、昔両親に育児放棄されていたんです。ですけど、梅桜さんが助けてくれて、ここにやってきました」

 すると、遊女は次々に遊郭の内情を語る。

「ここのお仕事って淫らなお仕事とか、そういうものではないんです。ただお客さんとおしゃべりするか、お酒を飲むだけ。ただそれだけなんです」

(うちのお店と似たような感じか)

「後は、遊女さんの三味線とかを楽しんだり。とにかく、そうしてお金を稼いでいるんです」

 遊郭は思っていたよりもホワイトらしい。

「そして、稼いだお金のうちの少しを使って、支給品をもらって、残りを貯金するんです」

「貯金したら、何に使うんです?」

「軍資金ですよ。お外に出るための」

 遊女は話を続けた。

「これには、梅桜さんの考えがありまして。外に出すのに、ただお金をポンと渡すだけではきっと破綻してしまう。お金の価値がわからないから。ですが、きちんと稼いだお金だと、その価値が実感できる。だから、働く場を作り、お金を稼がせているんです」

「そういうことだったんですか……」

 阿毘翠はこの遊郭の意外とホワイトなシステムに驚いた。

「あ、後聞きたいんですけど、最近梅桜さんがどこかに行ってるのって見たりしました?」

「ああ、強いていうなら、あの化ケ物の根城を見に行ったりしてるらしいです。後はみんな大体、引き取りに行ったりしてるそうです」

「そうなんですね……。ありがとうございます」

 こうして、阿毘翠は女性に感謝をしたのち、お宿に帰って行った。



「うーん」

 阿毘翠は宿に戻った後、思案していた。

(特にやばそうな情報もないしな……)

 思っていたような情報はない。むしろ、ポジティブな情報ばかりだった。

(やっぱり、私の思い過ごしか?)

 しかし、頭をよぎるのは、以前の睡眠薬のことだ。

(しかしな……)

 瞬間、阿毘翠の頭にあることが思いつかれる。

(もしかして……)

 阿毘翠はそれを確かめるために、厨房へと足を進めるのだった。



「さて……。今日はついに根城ですね」

 次の日の朝。ちゃんと眠ることのできた私は、南棟の少し奥。汚らしい建物の前まで来ていた。

「何でも、梅桜さんが頑張って親玉を押し込んで、ここまで連れてきたのだそうです」

 那花ちゃんはそう教えてくれた。

「ですが、強いのには変わりありません。ご注意を」

「わかりマーシタ!」

 カトレアさんがそう元気に返事をした。

「さて……。行きましょうか」

 私たちは根城へと足を進めるのだった。



 根城の中は案外大丈夫で、私を先頭に、奥へ奥へと入って行った。

「意外と大丈夫そうだね」

 その瞬間だった。

「『蟻地獄アリジゴク』」

 私のいる床に穴ができ、私は飲み込まれそうになった。

「うわあ!?」

「まずい、ごめんカトレアさん!」

「んえ?」

「『交換』!」

 穴に落ちるかと思ったその時、私は根城の中で尻餅をついていた。

「いてて……」

 そして気がついた。

「……もしかして、私の代わりにカトレアさんが落ちた?」



「ッチ、まさか田切 導華じゃないやつが引っかかるなんて……」

「イテテ……」

 何者かが穴の中にいた。それは落ちてきたカトレアを見て悪態をついた。

「まあいい……。お前を食ってから、あいつを倒してやるからな」

「あの、あなたは誰デスカ?」

 一方、何が起きたかわかっていないカトレアはそれに名前を聞いていた。

「ああ? 名前? そうだなぁ……。冥土の土産に教えてやろうか」

 そう言って、少年は彼のマントを靡かせて叫んだ。



「僕の名前は食。秘密結社Under ground一員にして、田切 導華を喰い散らかしにきたものさ!」



 彼の笑いは、汚く、下品だった。

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