第84話 abject/惨めな

「……だいぶ賑やかになってきたね」

 午後10時ごろ。遊郭の明かりがほとんどつき、ネオンとはまた違った明るさを放つ、夜の遊郭が姿を現した。

 私と阿毘翠は宿の窓を開けて、その光景を眺めていた。ちなみにカトレアさんは部屋の隅で寝ている。

「みたいだね。キャバクラと遊郭。似たような業種だけど、私が感じ慣れた感覚とは全然違うよ」

 辺りには多くの着物美人がいて、その美女に鼻の下を伸ばす男の人たちも目に入る。

「だけど、結局人間行き着く先は、性欲なんだね」

 初めて遊郭というものを目にした。キャバクラのようだが、なぜだかどこか雅さがある。不思議な空間だ。

「任務、お疲れさんでした」

 その時、背後から声がする。梅桜さんだ。

「活躍の方は那花から聞きました。流石ですね」

 そう言って、梅桜さんは口元を隠して笑った。

「ありがとうございます」

「どうですか? どれくらいで終わりそうです?」

「まあ、1週間以内には終わりそうです。早めに終わったら、連絡させていただきますね」

「ありがとうございます。よろしゅう頼んます」

「あ。後、私たちが討伐やっている間には絶対にその区域に入らないように皆さんに伝えてください。危ないので」

「それも伝えておきます。調子も良さそうで、安心しました。私はお仕事があるので、ここで失礼させていただきます」

 そして、梅桜さんは外へと出ていった。

「……私たちもそろそろ寝ようか」

「そうだね」

 阿毘翠は押入れから敷布団を取り出す。

「ちゃんと2枚出してくださいね?」

「ッチ。バレてたか」

 私は嫌な気配を察知し、阿毘翠に念押しをした。やはり、一つの布団を2人で使うつもりだったようだ。

「じゃあ、電気消しますね」

「おやすみ」

 こうして、私たちは眠りについた。



「……ん?」

 気づくと、私は事務所の中にいた。

「あれ、何で? 私は遊郭にいたはず……」

 瞬間、腹に激痛が走る。

「アグっ!?」

 見れば、ベッタリと赤い血が腹から垂れていて、何か鋭いものの先が腹から出ているのも見える。背中から刺されたらしい。

「一体、だ、れが……」

「私だよ」

 背筋が凍った。今までしていた血の抜けていく感覚ではなく、じっとりとした汗が体を流れるのがわかった。

 段々と息が荒くなる。

「……り、りん?」

 刹那、腹のものが引き抜かれ、再び背中から刺される。

「いだっ」

 体に力が入らない。前方にうつ伏せに倒れ込む体。そして、私の頭が持ち上げられる。

「や、導華」

 私の前にかがみ込むその人は、まさしく凛だった。手には血だらけの氷が握られている。

「なん、で……」

「何でって……。最初から、導華を殺す気だったんだよ?」

 右手で髪を引っ張ったまま、凛は何度も左手で私の背中を刺す。

「ゔっ」

「だって、おかしいと思わない?」

「ゔっ」

「こんな特に魅力もない、おばさんを」

「ゔっ」

「女子高生が好きになるだなんて」

「ゔ」

「本当、単純で扱いやすい」

「ゔ」

「バカな大人だね」

「……ゔ」

「だから死ぬ」

「……」

「あれ、何も言わなくなっちゃった」

 凛は冷たくなった私の頭から手を離すと、頭が地面に叩きつけられる。

「じゃ、バイバイ。頭空っぽおばさん」



「うわああ!!!!!」

 私は汗だくのまま、目を覚ました」

「は、あ、は、ふ、は……。ゆ、め?」

 今でも体の震えが止まらない。顔に手を当てると、涙が流れているのがわかった。

「そういえば、凛に電話し忘れてたっけ……」

 凛の呪いか何かだろうか。

「いや、そんなことする子じゃない……」

 そう思おうとするが、フラッシュバックするのは、先ほどの悪夢。

「……うっ」

 私はトイレに走る。

「うええ……」

 まだ暗い宿の中。私の吐く、微細な音だけが聞こえる。

「……は、あ……」

 何かを言う気力が湧かない。ただ、夢で良かったとひたすらに思う。

「あの夢は……」

 今までにあんな夢、見たことはない。夢が何かを示唆している?

「正夢?」

 そんなはずはない。ないはずなのだ。

「……だめだ。寝られない」

 布団に戻ったが、全く寝る気が湧かない。先程の夢をまた見てしまったら? そう思うだけで辛い。

「ピリリリリ、ピリリリリ」

 瞬間、私の心臓が跳ねる。

「……私の携帯?」

 暗い寝室。眠っているカトレアさんと阿毘翠。起きているのは私だけ。その状況下でスマフォが音を上げた。

「……!」

 それは凛からの着信だった。

「ひっ」

 私はそれを見た途端、無意識にスマフォを投げていた。スマフォは壁に当たり、床に転がった。

「……」

 そのうち、スマフォからも音がしなくなった。静寂が部屋を包んだ。窓の外からはガヤガヤと声がする。

「……」

 私は静かに布団に入り、丸まった。

「……怖いよ」

 やがて、夜が明けた。



「導華、クマがあるけど、大丈夫?」

 朝のこと。起きてきた阿毘翠に私は目の下のクマを指摘された。

「……本当だ」

 確かに目の下には、以前の世界の頃のようにクマがあった。この世界に来てからは、ちゃんと寝れるようになっていたために、久しぶりに見た。

「昨夜はちゃんと眠れなかったのかい?」

「あ、いや、そんなことはないです」

「なら、何が原因なんだろうね……?」

「あはは……」

 いえない。言えるはずない。こんなこと相談したって、迷惑がられるに決まっている。

「まあ、何か困ったことがあったら何でも相談してね。私たちは臨時だけど、仲間なんだから」

 そう言って、阿毘翠は洗面所を出ていった。

「仲間……」

 その言葉は、どこか私の胸にしこりを残すような言葉だった。

「はぁ」

 ため息をつき、顔を洗う。

「……行くか」

 刀を腰につけ、仕事へ向かうのだった。



「大丈夫かな……」

 その頃、凛は部屋で1人心配をしていた。それは昨夜聞こえた導華の叫び声だった。

「連絡取りたいけど、取れないしなぁ……」

 昨夜、いつもの如く夜更かししていた凛。流石にあの量の機械は片付けたが、唯一盗聴器のイヤホンだけは耳につけていた。そして、あの叫び声を耳にしたのだった。

「電話したけど、取ってもらえなかったし……」

 悲鳴を聞き、何があったのかと電話をしたが、導華が何かをモゴモゴ喋り、何かがぶつけられる音のみが聞こえ、あとは何も聞こえなかった。

「何があったんだろ……」

 凛が不安げに椅子を揺らすのだった。



「……ただいま」

 その日討伐したのは西棟の化ケ物たちだった。特に何もなく、昨日のようにさっくりと終わった。

「さて、今日の晩御飯は何だろな〜」

 阿毘翠は意気揚々と廊下を歩いていた。

「ご飯デース!」

 カトレアさんも元気いっぱいだ。

「昨晩は豪華でしたもんね」

 昨晩の品物は、刺身や焼き魚といった感じで、海鮮物がいっぱいあった。

「遊郭が本格的に始まる前に食べないとですもんね」

 遊郭の本格始動は10時。今は6時。まあまあいい時間だ。

「ここからご飯を食べて、お風呂に入る。そうしたら、もう寝ないとですもんね」

 そう、意外と時間がないのだ。

「それじゃあ早速、ご飯を食べに行こ〜!」

「了解デース!」

 2人の背中を見て、私はゆっくりと歩く。

(少し少なめにしておこ)

 何となく食欲が湧かない。そんな夜だった。



「ふ〜」

 私は仕事が終わり、事務所に帰ってきた。

「疲れた〜」

 ノブを回し、扉を開ける。

「ただい」

 瞬間、目を見開いた。中では玄武や凛、グレーテさんが腹から血を流し、頭を割られ、内臓を引き摺り出されて、死んでいた。

「うっ……」

 それを見て、吐き気がする。

「人殺し!」

 刹那、背後から声がする。

「人殺し!」

 何かわからない、人型の黒い影が、私を指差してそう叫んでいる。

「違っ」

「人殺し!    人殺し!人殺し!

  人殺し!  人殺し!      人殺し!        人殺し!

    人殺し!   人殺し!    人殺し!    人殺し!    

 人殺し!    人殺し!   人殺し!」

 頭が揺れる。何者かが私のことを人殺し呼ばわりしている。しかもそれが大量に。

「う、うあああああ!」

 私は走って逃げた。怖くなったのだ

「人殺し   人殺し      人殺し

 人殺し  人殺し    人殺し

    人殺し   人殺し   人殺し  

   人殺し     人殺し   人殺し」

 どこにいっても、どれだけ走っても、その声がこだまする。

「うるさい!」

「人殺し」

「うるさい!!」

「人殺し」

「私は、人殺しなんかじゃ……」

 ついにある路地に行き着いた。

「はぁ、はぁ……」

 息を整え、膝に手を当てる。

「一体何が……」

 その時、私の方に手が置かれた。

「誰……」

「人殺し」

 右目をだらんと垂れて下げ、血だらけで、ゾンビのように肌がグロテスクで、臓物が見えるそれは、死んだ凛の姿だった。




「うわああ!!!!!」

 私は大声をあげて飛び起きた。

「うええ……」

 そして、昨晩と同じように吐いた。

「また……」

 昨晩と全く同じ構図だ。夢の内容は違えど、今のこの動悸と、背筋の凍る感覚は全く同じ。

「偶然……?」

 こんな偶然あるのだろうか。

「……怖い」

 髪をぐしゃぐしゃとかきむしる。

「……もう嫌だぁ!」

 心の中がグワグワと揺れた気がした。



「本当にどうしちゃったの……?」

 その頃、凛は自室で頭を抱えていた。

「叫ぶならまだしも、発狂だなんて……」

 先ほどの叫び声にプラスして、今日は発狂まで。いつになくひどい。

「連絡はまだつかないし……」

 凛は指を噛み、対応策を思案していた。

「……あ」

 ここで、凛はある策を思いついた。

「……いやでもな〜」

 しかし、あまりその手は使いたくない。

「……仕方ない、導華のためだ」

 意を決して、凛はスマフォを取り出すのだった。



「導華、クマ酷くなってない?」

「……そう?」

 洗面所。私は朦朧とする意識を何とか保ちながら、鏡を見ていた。

「……確かに」

 言われてみれば、少し濃くなった気がする。

「本当に大丈夫かい?」

「大丈夫です」

 私は頑なにそう言った。

「ならいいんだが……」

 その時、阿毘翠の携帯がなった。

「おっと、誰からかな?」

 そう言って、アビスは席を外した。

「……仕事行こ」

 私は刀を腰につけた。



「……そろそろかな」

 深夜。普段なら眠っている阿毘翠は何故か目を覚ましていた。

「うわあああ!!!!!」

「お仕事開始だね」

 阿毘翠は大声をあげて目を覚ました導華に声をかけた。

「や、大丈夫かい」

「阿毘翠……」

 導華の顔は憔悴しきっており、明らかに平常ではない。その目は暗く、濁りきっている。

「こりゃひどい……」

「……大丈夫ですから」

「大丈夫なわけないだろう」

「大丈夫ですって」

「だから……」

「大丈夫ですって!!!!!」

 導華は畳をダンと叩いた。その様子を見た阿毘翠は導華に手を伸ばした。

「じゃあ、立ち上がって?」

 導華は先程とは打って変わって落ち着いた様子で阿毘翠の手を取った。

「少し、外の空気を吸いに行こう」



「わ〜、明るい!」

 阿毘翠は私を何故か遊郭に連れ出した。

「何で、ここに……」

「まあ、歩けばわかるよ」

 そう言って、阿毘翠は私の手を握ったまま歩き始めた。

「……ねえ、さっきは大声あげてどうしたの?」

「……」

「……私たち、今は仲間。それに、私としてもあの子としても、君が苦しんでいるのは見たくないんだ。ゆっくりでいい。教えてくれない?」

「……夢を見ました」

「おお、どんな?」

「……レイプ、されました」

「……それは、それは」

「目の前で凛に縛り付けられて、小太りな気持ち悪いおじさんが出てきて……。うっ……」

「ゆっくりで大丈夫。何なら、もう話さなくてもいい」

「……最近、悪夢を見るんです。殺されたり、殺人犯にされたり」

「だから、あんなに憔悴していたのか。言ってくれれば良かったのに」

「……ただの夢のことを相談したら、迷惑がられると思って……」

「全く……。君は背負い込みすぎだ」

「ごめん、なさい……」

「……この辺でいいかな」

 その時、何故か阿毘翠が止まった。

「15人ってところか」

「……?」

「君のこと、見惚れていた遊女とお客さんの数だよ」

「……え」

「近くの公園まで行こうか」

 阿毘翠は私を引っ張って、近くにある公園に来た。そして、そこのベンチに座った。

「実はね、ある人から君に関して連絡をもらったんだ」

「ある、人?」

「ほらこれ」

 そう言って、阿毘翠は携帯を見せた。そこに写されていたのは、送り主:時雨 凛の文字だった。

「彼女自身、何か思うところがあったのだろう。私に連絡してきたんだ。どうにかしてくれって」

「何で凛が……」

「君、気がついていないと思うけど、彼女行く時に抱きついた時、君の背中に盗聴器つけてたよ」

「え……」

「それで君の寝言やら、叫び声を聞いてたんだろう。私に相談してきたんだ」

 ピッピと携帯をいじりながら、阿毘翠が語る。

「不本意だったろうねぇ。ビッチだの何だの言ってた私を頼るの。まあ、だからこそ頼んだのかもしれないけど」

 携帯を懐にしまうと、私の方を見た。

「ほら、ここ。寝転びな。特別にナンバーワンホストの太ももを貸してあげよう。癒されるよ」

「いや、でも……」

「ほおら」

 半ば強制的に、私は阿毘翠に膝枕させられた。

「どうだい?」

「……落ち着きます」

「そりゃ良かった」

 阿毘翠はしばらく、そのまま私に膝枕を続けた。やがて、ある話を始めた。

「……導華。君には魅力があるんだ」

「魅力?」

「さっき言った通り、君に見惚れていた人は12人。歩いただけ。しかも、やつれていて、だ」

 そう言いながら、私の頭を撫でる。

「わかるかい。君には、人を惹きつける魅力がある」

「魅力……」

「そんな君を、私も、あの子も、心配しているんだ。仲間、だからね」

 阿毘翠は話を続ける。

「だから、私たちは君がやつれていると心配なんだ。何かあったのかって」

「……はい」

「どんな些細な悩みだっていい。君を悩ませているなら、それを一緒に解決したい」

「……はい」

「これからは、何か困りごとがあったら、ちゃんと言うこと。わかった?」

「……わかりました」

 そうして、最後にこう付け加えた。


「君は背負いすぎだ。少しはその荷を私たちにわけておくれ」



「……そうします」

 夜の公園は、夏場だが涼しかった。だけれど、阿毘翠は温かかった。

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