第55話 outbreak/勃発
「久しぶりに雨か……」
ザーザー降る雨を眺めながら、私は事務所でコーヒーを飲んでいた。
「今日は何のお仕事もないし、平和だ」
仕事はなく、ただただテレビを眺めている。外に出る気も起きず、どうしたものかと思案していた。
「玄武もいないし……」
最近は玄武が出かける事も増えて、私一人で事務所にいることが多くなった。
「……そういえば」
そこであることがふと気になった。
「月花ーいるー?」
「お呼びでしょうか!?」
「うわぁ! びっくりした……」
月花が見張りについていることを思い出し、試しに名前を呼んでみたのだ。結果はどこからかシュッと現れて、私が驚いただけだったのだが。
「それで、どう? 誰か来た?」
私が狙われ始めてから1週間。特にこれと言って何か異常はない。
「はい。驚きなのですが、だーれも来ていないのです」
「やっぱり?」
「こうなったら、一日に何人もの殺し屋が来るのが定石なのですが……」
だが、何もないに越したことはない。事務所でやることがなかった私は、自室に戻ることにした。
「……ギターの練習でもしてよ」
「ザー……」
ただひたすらに雨の降りしきる都心。そこに存在する玄武団事務所。その時、その事務所に一人のコートを着たお客が来ていた。
「カツ……カツ……」
お客は階段を登り、事務所へと続く扉のノブに手をかけた。
「……ギターの練習でもしてよ」
中からは導華の声がする。
「田切 導華……」
彼はコートの中でナイフを構えて、一気にドアを開く。
「……何?」
しかし、その先に広がっていたのは、何もない白い空間。事務所はなく、ただ地平線が見える。
「どこだ?」
「いらっしゃい。よく来たな」
声がしてハッとする。彼が後ろを向くと、入ってきた扉はなく、ただ一人男が立っていた。
「ここはな、異空間だ。俺のスキルのな。ここは膨大な……大体、地球4個分くらいの空間が広がっている」
コートを着たお客は、お客としての面を外し、殺し屋としてナイフを握る拳に力を入れる。
「お前の目的は、田切 導華だろ?」
男は依然、殺し屋をじっと見つめる。
「残念だが、そいつは殺させない。こっちにも事情があるんでな」
埒が開かないことを察した殺し屋は男に即座に迫り、ナイフを脇腹に刺す。
「……グッ!?」
しかし、男は無傷だ。むしろ、殺し屋は自身の脇腹に激痛を感じる。見れば、自分の手の中にあったはずのナイフは、殺し屋の腹に刺さっているではないか。
「人の話はちゃんと聞いたほうがいいぞ。せっかちさん」
男は懐から銃を取り出して、殺し屋の足を撃ち抜く。すると、男はばたりと倒れて、動かなくなる。
「竜王 玄武は、肉体の表面に転移門を纏っているから、攻撃すると、跳ね返ってくるぞ」
そして、男こと玄武は、ぐったりとした男を抱えて、ある場所へと向かうのだった。
薄暗い研究所。そこは玄武も以前来たことのある場所で、あまり良い思い出はない。
「やあ、また来たのかい?」
玄武がその部屋に入ると、スージーは椅子を回し、玄武を見る。
「ああ、こいつを頼む」
そして、玄武は抱えていた男を地面に落とした。男はなおもぐったりとしたままだ。
「人使いが荒いものだね。クレアラ、また頼むよ!」
「はーい! わかりました!」
スージーが名前を呼ぶと、クレアラは即座に隣の部屋から出てきて、男を持って行った。
「全く、導華くんの記憶を消して、よそに返すだなんて……。殺しても良いところを、君はお人よしだね」
紅茶の入ったカップを揺らしながら、スージーは玄武に言う。
「まあな。あと、ここ寒くないか?」
「なんだい? またケチをつけるのかい?」
確かにスージーの机の上のリモコンには20度の表示がある。
「今は猛暑。これぐらいは自然だ」
「そうか。じゃあ、どうしてお前は猛暑なのに長袖を着てるんだ?」
その瞬間、スージーの動きが止まる。
「……気づいていたか」
「白衣の下。いつも黒の長袖だ」
スージーの来ている白衣の袖から、黒い布生地が少し見える。
「暑いなら、脱げばいいのに」
すると、スージーは椅子を元に戻し、前を向いた。
「そういうんじゃないんだ。私はこれを着ないといけない。これを着ないと、スージー・ヴィクトールは成り立たないんだ」
玄武に一切の表情を見せることなく、静かにモニターを見る。
「……お互い、話せない秘密があるのは同じだな」
「そんなもんだよ。人って」
「それじゃあ、俺は帰る。ありがとうな」
「ああ、お安い御用さ」
玄武は転移で事務所に戻ると、自室に入った。
「導華は……ギターの練習か」
事務所の上からは、ギターの音がしている。
「……平和だな」
玄武は椅子に座り、再び彼の発明品をいじり始める。
「今度は、もう壊させないからな」
彼に瞳は、玄武を入れた4人が写った学生時代の写真に向いていた。
「……やっとついた」
都心。そこにあるウサギのリュックを背負った少女が来ていた。
「随分と遠かった……」
彼女は電車を乗り継ぎ、ここまで5時間程かけて来ていた。そのため、彼女の胃袋は食べ物を欲していた。
「先にクリームパンを食べよう」
そこで彼女は都心を歩き回り、店を見つける。そこは、良い匂いのするパン屋だった。
「毎度あり〜」
そこで熱々のパンを買い、店を出る。
「良い買い物」
彼女はそれを食べようと、口を開ける。
「キエェエエエエエ!!!」
そんな時、彼女の目の前に巨大な緑の龍が飛来する。そして、その風圧で彼女のクリームパンは吹き飛ばされてしまった。
「ああ! まずい!」
「ウィンドドラゴンよ!」
その龍の名はウィンドドラゴン。危険階級5の魔物で、最初に導華が倒したあのゴリラと同じ強さを保持していた。
「キエェエエエエエ!!!」
その龍は他のドラゴンよりも大きな風を出すため、彼女のクリームパンも飛んでいってしまったのだ。
「お嬢ちゃん、あぶな」
「ぶち殺す」
その瞬間、少女を起点として凄まじい蒸気が発生した。
「うわっ!?」
「熱っ!?」
周りの人々もそれに驚き、逃げ出す。
「キエェエエエエエ!!!」
「うるさい。私のクリームパンを奪った罪は重いよ」
すると彼女は手で空間に触れる。
「『オイデ』」
ぐわんと空間が歪み、大きな穴が出現する。
「何だよ……あれ……」
蒸気が晴れたのちに、歩行者が目にしたのは、大きな黒色の杭に取っ手がつき、その取っ手を握り、自分の身長ほどあるそれを、軽々と持ち上げている少女の姿だった。
「プルルルル……プルルルル……」
「はい竜王事務所です」
私が麦茶を飲もうと事務所に来ると、玄武が電話をしていた。
「はい……はい……。わかりました。2人で向かいます」
玄武はガチャンと電話を切ると、私を見た。
「どうやら、都心にドラゴンが出たらしい。しかも、近くで少女が取り残されていると」
「なるほど。それじゃあ、それの討伐に行けばいいわけ?」
「ああ。そういうことだ」
「了解」
私はすぐに準備をして、バイクに乗った。
「さて、どんなやつやら……」
その瞬間だった。
「キエェエエエエエ!!!」
と咆哮が響いた。しかし、何かがおかしい。
「音が……聞こえない?」
そこから、そのドラゴンの咆哮が一切聞こえなくなったのだ。
「……急ごうか」
「おう」
私たちは急いで現場へと向かう。
「これは……」
そこには、蒸気の中で横たわっている緑色のドラゴンの姿があった。
「いったい誰が……」
「ねぇ、あなたって田切 導華?」
ドラゴンの上から声がする。そこには小さな影がある。
「誰?」
私はその影に聞く。すると、段々と影が近づいて来て、その姿が露わになる。
「ちょうどよかった。私、あなたを殺しに来たんだ」
彼女はウサギのリュックという少女らしいものを背負っていながら、少女らしくない大きな取っ手のついた杭を手にしていた。
玄武たちが来る少し前。彼女はドラゴンに相対していた。
「ギャオオオオ!!!」
ドラゴンは彼女を排除しようと羽で風を放つ。
「制裁」
しかし、クリームパンに燃える彼女は強い。その風を難なく杭で防ぎ、ドラゴンの頭部へと飛び乗った。
「『
ジュウゥゥという肉が焼けるような匂いと音。それと共に、杭がドラゴンの頭に深く刺さる。
「ギャオオオオ!!!」
ドラゴンも苦しそうな声をあげて、倒れる。
「何だよ……あの子……」
周りも騒然としている。何といっても、彼女は1人でドラゴンを討伐してしまったのだ。
「ん?」
その時、少女はこちらにやってくる剣士に目がいった。
「あれって……」
彼女は己のスマフォをいじると、今日のターゲットの写真を見つける。
「……ラッキー」
そして、彼女は導華たちと遭遇するのだった。
「あ、見てください。田切たちが殺し屋に遭遇してますよ」
暗い部屋。そこでUnder groundの一員である情は導華を監視するドローンの映像を見ていた。
「ふむ……。その殺し屋の情報を、教えてくれ」
「了解しやしたっと」
情はデータベースで少女の情報を漁る。少しして、彼の手が止まった。
「コードネーム:
「いや、ちょうどいいだろう」
頂は大画面モニターに映る導華たちを眺めている。
「お手なみ、拝見だ」
「導華、下がってろ!」
玄武は銃を構えて、少女に迫る。
「邪魔ね。ちょっとどいていて」
しかし、少女の持つ杭が赤くなっていき、ブシューと大きな音を立てて、蒸気が立つ。そしてその蒸気が玄武に槍のように飛んでいく。
「ぐっ!」
玄武はそれに吹っ飛ばされて、20mほど先のビルに叩きつけられる。
「玄武!」
「他人の心配をしてる場合じゃないよ」
すると、少女は指を構え、鳴らした。
「『バリアルーム』」
グワンと空間に歪みが生じ、彼女を起点として透明なドームが展開された。
「これは……」
「知らないの? これはバリアドーム。人にもよるけど、私の場合は半径10mの円形にバリアを貼るの。外から人は入れないし、外にも出られない。便利でしょ?」
彼女はドラゴンから降りて、私の前にやって来た。
「あなた、名前は?」
「名乗ってなかったね。私のコードネームは甘兎だよ」
「どうも。私は田切 導華だよ」
蒸気が晴れて、その姿がしっかりと見える。髪は黒く、赤いメッシュが入っており、背にはウサギのリュックを背負っている。ピンク色の目はじっとこちらを見ていて、不気味だ。
「私ね、クリームパンが大好きなんだ」
「……ん?」
甘兎はなぜか突然そんな話を始めた。
「毎日3食クリームパンがある。もちろん、野菜もあるけどね」
「は、はぁ」
「でもね、今所持金が16円なの。これじゃあ、クリームパンも買えない」
彼女はそう言って、バックを地面に下ろした。
「というわけで、あなた殺して1億もらってクリームパンが買いたいの。というわけで、大人しく殺させてね」
瞬間、甘兎の足の裏から凄まじい量の蒸気が発生し、それに押されて甘兎は目にも止まらぬ速さで打ち出された。
「『段杭』」
大きな杭が私の腹に向かって降り込まれる。
「『炎刃』!」
そんな突然の攻撃を炎刃で下に落とし込み、何とか回避する。
「おお、やるね。さすが1億」
「私のことを、金だけで見ないでよっ!」
私はそのまま燃える刃を甘兎に突き立てる。しかし、その刃は杭によって阻まれる。
「だけど、威力がイマイチ。それじゃあ私は切れないね」
そして、杭は再び熱を帯びる。今度はそれが地面に振り下ろされる。
「『
みるみるうちに地面が熱くなる。たまらず私は刀に風を帯びさせる。
「『風刃』!」
ふわっと浮き上がり、熱から逃れる。見れば、地面は円形にマグマのように真っ赤になっている。
「もう、逃げないで。『
足から出された蒸気で、甘兎は飛び上がる。
「なっ」
「『段杭』」
私はその杭が直接当たるのは防いだのだが、それによって地面に落っこちることになる。
(このままじゃまずい!)
落ちた先には高温の地面。そんなところに叩きつけられたら、ただでは済まないだろう。
「それだけは、回避するっ!」
風刃で落ちる軌道を変えて、何とかドラゴンがいる地点に落下する。
「あっぶない……」
冷や汗をかきながら見ると、まだ甘兎は上空にいた。
「いくよ。『
空中で白い蒸気の塊となった杭が、無数に浮かぶ。
「発射」
それが甘兎の合図でこちらに向かって落ちてくる。
「まっずい!」
数個なら対応できそうだが、流石に20個全部は無理だ。
「バイバイ」
甘兎が手を振るのが見える。
「もう流石に……」
「諦めるのは早いですよ! 導華さん!」
その時、どこからか聞き覚えのある声がする。
「『風起こし』!」
ブワッと強風が吹き、杭がかき消される。
「……誰?」
すると、私の目の前でドロンという音がして、忍者が現れた。
「私の名前は月花! 導華さんを守りに来ました!」
クナイを持つその姿は、案外頼もしく見えた。
「げ、月花!?」
まさかここで彼女が出てくるとは思っていなかった。驚きだ。
「ふっふっふ……。私がバリアの外にいるとでも思いましたか? 忍者を舐めたら、いけませんよ!」
自慢げに彼女はそう言った。だったら、もう少し早く出て来てくれたら良かったのだが。
「あの人は殺し屋界でも有名な殺し屋さんです! 十分お気をつけを!」
「お気をつけをっ言われても……」
「大丈夫です! 何としても導華さんの命は守るので!」
このやりとりを見ていた甘兎は、何を思っているのか。静かに宙に浮かんで見ている。
「とにかく、ここからは2対1でいきましょう!」
「……ありがと」
私は立ち上がり、月花と共に並ぶ。
「こい、甘兎!」
「人が何人いようと、変わらない」
彼女は再びその杭を作り出すと、こちらに落として来た。今度は10個ほどだ。
「発射」
そして、また落ちてくる。その様子を見ていた月花は私を見た。
「導華さん、あれ何個までなら捌けますか!」
数コンマ考えて、返す。
「5……いや、6個までならいける!」
「わかりました!」
その返事を聞いた月花は即座に飛び上がり、空中でさまざまな道具を繰り出す。
「『変わり身の術』!」
10本の杭はどうやら玄武のようにワープしたらしい、パッとそこを抜け、その上から風邪で4個杭を消す。
「私は甘兎さんを叩きます!」
「了解!」
きっちり6個残った杭に、私は刀を振る。
「『風刃』!」
風の刃と共にそれを切り飛ばし、吸収する。そして、その杭たちは姿を消した。
『吸収率:90%到達』
「……声?」
どこからか、声がした気がした。月花の声ではない。機械音に近いだろうか。
「どりゃっせい!」
一方、上空見ると甘兎と月花が浮かんでいた。
「……お邪魔虫」
「誰がお邪魔虫ですか! とにかく、一旦地上に来てもらいますよ!」
彼女はクナイを数本甘兎に投げつける。
「こんなの、聞くわけがない」
しかし、そのクナイはいとも簡単に弾かれてしまう。
「それが狙いじゃ、ありませんよ!」
月花は投げたクナイのうち1本だけにつけた鎖で、クナイをコントロールして、甘兎の体を巻く。
「む……」
「落っこちなさーい!」
そして、巻きつけた甘兎を思い切り地面に向かっておっことす。甘兎は逃れることができず、地面に落ちるのだった。
「どんなもんじゃい!」
月花は地上に降りてくると、落ちた甘兎を見た。
「……中々厄介……」
思ったよりもスッと立ち上がり、甘兎は月花を見た。
「でも、これは防げない」
すると、彼女からかつてないほど強い気配がした。
「『
一瞬にしてむわっとした蒸気がドーム内を包む。
「なっ、見えない……」
「大丈夫ですか!? 導華さん!」
辺りが蒸気に包まれて見えない。
「一体どこに……」
「ここだよ」
次の瞬間、目の前に甘兎がいた。これほど早く迫ってくるとは。
「まずいっ!」
「さよなら」
「導華さん、危ない!」
ドスリという鈍い音が、小さく響く。
「カッ、ハ……」
煙が晴れて、甘兎は杭を見た。彼女には誰かを突き刺した感覚があったからだ。
「……やるね」
そこにいたのは、導華ではなく、腹に杭を刺した月花だった。
「あの一瞬でここまでくるなんて」
「伊達に……忍者やってませんよ……うっ」
杭を抜かれた月花は、ばたりとその場に倒れ込む。
「月花!」
導華は月花に素早く近寄る。腹には決して大きくはないが、無視はできない大きさの穴が空いている。
「やっと……任務を完遂できました……」
「待って、死なないでよ!」
導華は腕の中で、段々と月花が弱っていくのを感じる。
「……導華さん、後はお願いします」
彼女はそう言い残して、グッタリと目を閉じた。
「……月花」
導華はスッと立ち上がり、どこかに素早く電話をする。
「はい……私はどうなってもいいです。早く来てください」
そして、電話を切った。
「もう電話はいいの?」
甘兎は導華に聞く。
「いいです。やることは済んだので」
導華は目を閉じたままの月花を背に、刀を握る。
「後は、私があなたに勝つだけなので」
人の命がかかったその手は少し震えていた。しかし、確固たる意志と共に、強く握りしめられていた。
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