第23話 invaluable/計り知れない貴重さ

 バーの一角。そこに私は座っていた。


「お待たせ」


 そこにやってきたのは、美しい蒼い髪を持ち、ホットパンツにカーディガンというラフな格好をした女だ。彼女は私の隣に座った。


「……あなた本当に自分の立場わかってます?」


 私の隣に座ったのは以前の騒動を引き起こした怪盗D.blueである。今回はその件について問い詰めにきたわけなのだが……。


「さあ、特別サービスだ。なんでも答えてあげよう!」


「いや、サービスじゃなくても答えてください」


 なぜだか怪盗の方が余裕綽々なのである。一応、私の方もお酒を飲まないように気をつけなければ。


「あんまりふざけてるとコソ泥だってこの店で触れ回りますよ」


「おお、そんな言い方はしないでくれ。第一、私はもうやめたからね」


「え?」


 私は耳を疑った。


「だから、もう怪盗をやめたんだよ」


「……そんなのアリ?」

 



「やめたってなんですか?」


「言葉の通りだよ。もう私は怪盗じゃないんだ」


「はぁ?」


 なんということだ。私の知らぬ間に怪盗は怪盗ではなくなってしまったようだ。


「なんで辞めたんですか?」


 すると、怪盗は急に神妙な面持ちになった。


「……必要が無くなったんだ」


「必要じゃない?」


「あの館にルリちゃんがいたんだからね」


 彼女は目の前のスコッチの入ったコップを見つめていた。


「ルリちゃんの知り合いなんですか?」


「いいや、私が知り合いなのは彼女じゃない」


「じゃあ……」


「私はあの子の祖父、桃井ももい 勘九郎かんくろうの知り合いだ」


「祖父って……」


 ルリの祖父といえば、あのエメラルドのペンダントをルリに渡した人物だ。


「その話、聞かせてもらってもいいですか?」


「いいよ、もとよりこの話をするつもりだったんだからね」


 彼女のスコッチの氷がカランと音を立てた。



 私、東雲しののめ 阿毘翠あびすは生まれつき体が弱かった。そのため小学校の間はよく病院にいた。そのせいで友達もできず、一人病室で静かにテレビを見たり、パソコンを触ったりしていた。


 私の病気は難病とされていて、20歳まで生きられるかどうかだったらしい。両親は私の前では明るく振る舞っていたが、きっと辛かったのだろう。病気を治そうにも治療費がなかった。そのことを気に病んでいたのかもしれない。


 中学校に入ってもそんな生活は変わらなかった。しかし、そんなある日、私の隣にある老人がやってきた。彼こそが桃井 勘九郎だった。


「よう! よろしくな!」


「……どうも」


 彼は初対面の私にもなぜだかいつも明るかった。パソコンをしていれば、何をしているのかと首を突っ込み、テレビを見ていれば、あれがいいだのこれがいいだのとあれこれいちゃもんをつけてきた。しかし、私にとってこの生活が何よりも楽しかった。


 そんな彼は私にとって友人のような存在になっていった。


 彼のもとには多くのお見舞いが来た。この頃の私はこの老人が大富豪だなんて知らなかった。だから、顔が広いのかなくらいにしか思っていなかった。今考えれば、遺産目当ての行動たちだったのかもしれない。



「おい、阿毘翠」


「なんですか?」


「お前、ここ出たら何したい?」


 ある日、勘九郎さんは私にこんなことを聞いてきた。この頃の私は段々と病状が悪化してきており、ついには外に出れなくなってしまった。外に出ると咳が止まらないのだ。


「何がしたい……」


「お前だって年頃の女の子だろ? したいことの一つや二つあるだろう」


 ふと、テレビを見る。


「踊ってみたい……ですかね」


「踊るぅ?」


 テレビでよく見た美しい踊り。炎や水と共に舞い、観客を魅了する。その姿に私は憧れた。


「……もう、叶わないですけどね」


 同時にその憧れが叶わないことも自覚していた。


「……阿毘翠」


「なんですか?」


「俺はここを出たら、旅がしたい」


「旅……」


「俺は多分もうすぐ死ぬ」


「……え」


 何気ない会話の中で、聞きたくないことを聞いてしまった。


「今、俺の金をめぐってくっだらない争いが起きてるんだそうだ。ルリが教えてくれた」


 勘九郎さんは悲しげな目で己の手を見つめていた。


「ルリって……?」


「ルリは俺の孫だ」


 思い返すと、勘九郎さんのところによく女の子が来ていた気がする。その子のことを勘九郎さんは偉く可愛がっていて、いつの時だかその子のことについて家族と揉めていたのを覚えている。


「俺は、金なんてもんは世界で一番嫌いだ」


 そう言って勘九郎さんは手をギュッと握った。


「すぐそれで争いだすからな。その上、争ってる奴らは、腐るほど金を持ってやがる。ちっとも使わねぇくせにな」


 そのうち勘九郎さんは私に背を向け、顔を見せなくなった。しかし、その背中はひどく悲しそうに見えた。


「だから、俺はその金をパーっと全部使っちまいたいんだよ。例えば、でっかく寄付したりとか、それこそさっき言った旅とかな」


「そう、なんですか……」


 すると、勘九郎さんはこちらに顔を向けた。


「よく聞け、阿毘翠。この世にはな、金が必要なのに持ってねぇ奴と、金がいらねぇのにたんまり持ってやがる奴がいる。俺は残念ながら後者だ。だが、今、俺は最高の金の使い道に気がつきた」


 そして、勘九郎さんはよろよろと立ち上がって、私の肩をがっしりと掴んだ。


「オメェは生きろ」


 数日後、勘九郎さんが死んだ。



「私はその後、勘九郎さんからもらったお金で手術をして、高校2年生に上がる頃には、すっかり動けるようになったんだよ」


「そう、だったんですか……」


「そして、話はその後になる」


 彼女はスコッチを飲み干した。



 私が退院してから数日後のことだった。ポストにシーリングスタンプの押してある手紙が届いていた。


 それは勘九郎さんからの手紙だった。その手紙はひどくブレた文字で書かれていたが、なぜだか読めた。

『 阿毘翠へ

 こいつをお前が読んでるってことは、俺は死んだってことになる。そして、お前が退院してるってことになる。まず、退院おめでとう。すまんが、祝いの品は何にもない。ま、お前の余生が祝いの品ってことにしておいてくれ。

 俺はお前に人生をあげた。そこで、お前にお願いがある。いわゆる、ギブアンドテイクってやつだ。うちのお宝を盗めるだけ盗んでくれ。そいでもって、うちの奴らに恥をかかせてやってくれ。悔しいことに俺はあいつらにギャフンと言わせられなかったからな。

 そしてもう一つ。俺の孫をよろしく頼む。あいつは春から海外に飛ばされることになってんだ。これまた俺は何にもできなかった。無力なジジイだったんだよ。

 だから、お前にお願いだ。あいつに会ったら、なんとかして俺の家にあいつを住まわしてやってくれ。住所は書いとく。難しいことだってのはわかってる。でもよ、あいつ最近段々自分で海外に行きたくないって俺に言ってくるようになってな。なんとかしてやりたいんだ。頼む。

 最後に、これでお前は自由だ。好きなように生きな。これでさよならだ。じゃあな!

            桃井 勘九郎   』

 手紙は涙で濡れて、もう読めなくなってしまった。



「必要無くなったってそういうことだったんですか」


「ああ、私もびっくりしたさ。なんってたって海外に言ったはずのルリちゃんがいたんだからな。急いで盗まないとお金に変えられる〜って急いでたのが馬鹿みたいだよ」


 これで盗もうとした動機がわかった。しかし、私には一つだけ引っ掛かっていることがあった。


「ところで、どうしてエメラルドのペンダントを盗んだんですか?」


「それは……私が間違えたんだよ」


「間違えた?」


「勘九郎さんがプレゼントしたはずのペンダントが逃げる途中にあの家にあって、あいつの家族の誰かがルリちゃんから奪い取ったのかと思ってね。盗んで後でルリちゃんに届けようと思ってたんだよ」


「ペンダントの写真を入れたのは?」


「そうでもしないと決闘してくれないと思ってたから」


 これで謎が全て解けた。結局、この人は怪盗でもなんでもない優しい人だったのだ。


「それじゃあ何にも盗んでないですし、見逃すということで……」


「まあ、分家の桃井家のところからバンバン盗んだんだけどな」


 前言撤回。この処遇は少し考えないといけないようだ。




「頼む、見逃して!」


「そう言われても……」


 バーの一角。そこで私は阿毘翠に頭を下げてお願いされていた。


「私じゃ判断しかねます」


「いや、お前がここで黙っててくれれば、多分バレないし逃げ切れる」


「隠蔽しろってことですか!?」


「そういうこと!」


 阿毘翠は嬉しそうに指をパチンと弾いた。


「う〜ん……」


 本当にどうしようか。ぶっちゃけここで桃井家との相談に持ち込んでしまっても良いが、今の私は個人的にここにいるわけで、別に任務でいるわけではない。それにこの人が言っていることもまだ裏付けが取れていないのだし、会わせるのですらも危険に思えてくる。


「……もしもだけどさ……」


 すると、彼女は私の方に体を寄せた。


「私、女の子だけど、きっとアンタのこと満足させられるよ?」


「……何をどう満足させるんですか?」


「察しが悪いな……。そんなのもちろんベッドで……」


 阿毘翠さんが私に何かを説明しようとした時、轟音を立ててバーのドアが開いた。


「怪盗ぉ!」


「り、凛!?」


 そこにいたのは、未成年の凛であった。


 やってきた凛は私の腕をガッと掴むと、私をズルズルと連れて行った。


「えちょ、怪盗……」


「いいから帰るよ!」


 そんな私たちを怪盗は手を振って送り出したのだった。


 結局、怪盗の処遇はうやむやになってしまった。




「やっぱり、こうなるよね〜」


 バーに残っていた阿毘翠は自分の携帯を見ていた。その写真に写っているのは、バーのカウンターで阿毘翠を待っている導華だ。


「まさか、こんなに早く来るなんてね」


 凛が導華がバーに行くことに感づいたきっかけは、阿毘翠が送ったこの写真だった。導華を待たせていた間にこっそりと送っていたのだ。


「まあ、これ以上は首を突っ込んでこないだろうし、私はここでしばらく働いてようかなぁ」


 そして彼女はバーの奥に戻る。


「怪盗D.blue……か」


 彼女はありし日の記憶を思い出す。




「おい、阿毘翠」


「なんですか? 勘九郎さん」


「阿毘翠色って英語だとなんて言うか知ってるか?」


「……知らないです」


「ディープブルーなんだってさ」


「へ〜そうなんですか」


「ところでよ、お前怪盗とかやる気ないか?」


「何を急に馬鹿げたことを……」


「まあいい。お前の気が変わって怪盗やるってなった時によ、使えるいい名前を考えたんだよ」


「……なんですか? その名前」


「Deep blue 略して怪盗D.blue ! なんてのはどうだ?」


「……はあ。安直すぎでしょ」


「そうか? はっはっは!」




「なんで凛が来たわけ?」


 事務所に帰ってきた直後、玄武に問い詰める。


「いや~バーの話をしたら、お前が心配だって言ってすっ飛んでいっちまってよ。止める暇がなかったんだ」


「まあ、処遇について悩んでたし、玄武のとこに来れて丁度良かったちゃ良かったけども……」


「んで。とりあえず、どうだったのかだけ教えてくれよ」


 そうして、私は一応阿毘翠の過去を含めて、玄武に報告する。


「なるほどな……」


「どうするべきだと思う?」


「俺はこのまま引くべきだと思うぞ」


「そうかぁ……」


「ここから先は任務でも何でもない領域だからな。無理に首を突っ込むのは良くない」


 それは私も思っていた。任務でもないことを私達が勝手にどうこうするのはあまり良い物ではない。


「それじゃあ今回はこのまま放置って事で」


「そうするか」


 今回の怪盗騒動は最終的に何も奪われず、誰も捕まらずで幕を閉じるのだった。




「あ~、温泉行きたいなぁ~!」


 ある昼頃のこと、私はテレビを見ていた。そんなとき、テレビのワイドショーに出ていたのが温泉。社会人になってからというもの、全く温泉というものに入ることが出来ず、せいぜい温泉のにおいの入浴剤を入れるのが限界だった。


「ねぇ、こんなに暇なら行ってきちゃだめなの?」


「だめだ。一応お前は玄武団に務めてるっていう扱いだからよ」


「あ~あ、休日でもないもんですかね?」


 ここで住み込みで働いているような状態の私。おやすみであっても、駆り出されることもしばしばある。そのため、実質的に休日はない。


「あるぞ」


「……え?」


「うちの事務所は有給取れるぞ」


「……そうだったの?」


 有給。私にとって幻ともいえる存在。異世界にそんなんものがあったとは……。


「団長」


「はい」


「有給とります」


 こうして、私の2日間の有給旅行が始まるのだった。




「行ってきま~す」


「行ってらっしゃいませ」


「行ってこい」


 早朝、トランクとリュックを背負ってタクシーに乗った。見送りには玄武とレイさんが来てくれた。ちなみに、凛は自分が行けないことでしょげて部屋から出なかった。


 ちなみに、玄武が言っていたが、凛の方はなんだかんだがあってアンの家に泊まることになっているのだそうだ。本当に何があったのだろうか。


「さて……」


 私の方はそのままタクシーで駅まで向かい、電車を乗りついでいく。電車が進んでいくにつれて、だんだんと木々が増えていき、目的地に着く頃にはすっかり山奥になっていた。山奥になってくると虫に刺されるかが心配だが、しっかり虫除けをしてきたため、そこは問題ない。


「うお〜! ここが温泉……!」


 広がる湯煙。その光景を見てテンションが上がる。この景色こそ、私が憧れた景色だ。


「いらっしゃいませ」


 今回私が訪れたのが、上山うあやま温泉。付近の上山旅館で一泊二日で有給を過ごすことにした。


 旅館の外装は古め。しかし、それもまた山奥感がある。


「……」


 トランクを置き、旅館の部屋に居る訳なのだが……。


「……暇だ」


 そう、暇なのである。どこかに行こうにも残念ながらコンビニもアミューズメントパークも何もない。強いて言うなら、たしか、小さめの商店があった。時間も午後二時半。昼ご飯を食べた後のこの時間、一体どうしたものか。


「えーと……『山奥 暇潰し』」


 こういう時は文明の力に頼ろう。幸いここにはインターネットが通っている。そういうわけで、スマホで調べてみる。


「あー……バードウォッチングか……」


 そこで見つけたのはバードウォッチングの文字。せっかく山奥に来たのだから、自然を楽しむのにちょうどいい。


「双眼鏡は確か持ってきてたはず……」


 景色を見ようと思って持ってきていた双眼鏡。ここで役に立つとは。


「よっしゃ、レッツゴー!」


 暇を潰すために、意気揚々とバードウォッチングへと繰り出すのだった。



 歩いて行く途中のこと、この周辺で唯一の店である上山商店があった。せっかくなので、店に入る。


「いらっしゃい」


 奥からする老婆の声。こんなことを言って良いのかはわからないが、ザ・山奥って感じがする。とりあえず店を散策する。すると、あるものを見つけた。


「鳥寄せの鈴?」


 その見た目はただの鈴。大きさも手のひらサイズだ。


「お嬢ちゃん、それに目をつけるかい」


 その商品の名前を口にすると、老婆が話しかけてきた。


「それは鳴らすととんでもない量の鳥が寄ってくる魔法の鈴さ。ほれ、鈴の中に動物寄せの魔法陣がついているじゃろう?」


 中を覗くと、確かに何か魔法陣が見える。


「これ、いくらですか?」


 バードウォッチング初心者の私は鳥がいっぱい寄ってくるならという理由から、その鈴の購入を決める。


「800円だよ」


 絶妙に高いな。


「……まあ、旅の思い出ってことで」


 そうして、800円を老婆に払って、足取り軽く山頂へバードウォッチングに向かうのだった。




「おお〜」


 ただの山道を登って20分ほど。景色が開けて山頂に着く。景色はまあまあ綺麗といった具合だ。周りにはまばらだが、そこそこ観光客がいる。


「とりあえず、あの辺見るかな」


 双眼鏡を目に当てて、向かいの山の中腹あたりを見る。


「……鷹?」


 そこに見えたのは、鷹……のような鳥。鷹のように目が鋭いのだが、なぜか真っ赤なトサカがある。


「そういえば、ここって異世界だったね」


 その後も鳥を見ていく。しかし、見ることができたのは、鷹のような鳥だけだった。もう少しレパートリーに富んでいると良かったのだが。


「……そろそろ使うか」


 そこで鳥寄せの鈴を使う。揺らすと、チリンチリンというなんら普通の鈴と変わらない音がする。


「お〜」


 少しすると、見たことのない手のひらサイズの小鳥たちがわんさかやってきた。色はメジロのようで綺麗だ。


「バードウォッチングって、意外と楽しいな」


 その時だった。


「キエエエエエエエ!!!」


 辺りに轟音が響いた。


「キャー!」


「何!?」


 周りの観光客も驚いている。


「ライデンオオワシよ!」


「何でこんなところに!?」


 やってきたのは優に10メートルを超える巨体を持った怪鳥。その上、羽はバチバチと電気を帯びている。


「……これって私のせい?」


 考えたくはないのだが、鳥寄せの鈴がとんでもないものを引き寄せてしまったようだ。


「あの〜すみません」


「何だよ! こんな時に!」


「あれって化ケ物ですかね?」


「見たらわかるだろ!」


「……ですよね」


 こうなってしまっては仕方がない。やってしまったことは自分で片付ける。


 私はいつもの構えとともに腰の刀を抜く。



「有給も結局こうなる運命なんだな……」



 大怪鳥VS侍の世紀の大合戦という名の落とし前をつける戦いの火蓋が今、切って落とされたのだった。

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