第21話 night/夜

「ふふふふふ……あははははは!」


 怪盗D.blueは夜の街で高笑いをしていた。彼女は今、民家の屋根を飛び移り、深夜の住宅街を移動していた。


「まさかここまですんなりと盗れるとはね」


 彼女の狙っていたダイヤは、想定よりも早く彼女の手中に収まった。


 これは偵察の際に案外簡単に侵入できたことから何かしらの対策を行なっていると考えていた彼女にとって、拍子抜けな事実だった。


「さて……帰るとするか」


 周囲を見渡し、目的の建物を探す。


「……おや?」


 その彼女の目に、灰色髪の侍が映る。


「流石に簡単には逃がしてくれないか!」


 今夜もまた彼女の美しき逃避行が始まった。



「待てっ!」


 真っ暗闇の住宅街の中、今さっき玄武から借りた暗所用ゴーグルをつけて私は怪盗を追いかけていた。


「まさかこんなことまでできるとは……」


 玄武に電話一本通しただけで目の前にゴーグルを落としてくれたのだ。元の世界のどんなデリバリーよりも余裕で速い。


「それにしてもあの怪盗……速すぎる!」


 先程から怪盗を追いかけているわけなのだが、全く距離が縮まらない。一応異世界転生の特典である身体強化があるため私も速いはずなのだが……。


「でも、このまま行けば……」


 しかし、こんな状況でもやはり逆転の一手というものは用意してあるものなのだ。


「凛、いける!?」


『もちろん』



 怪盗は油断していた。


 あの侍は距離を見ても全く縮んでおらず、このまま行っても確実に逃げ切ることができる。それにもう間も無く目的の建物にも着く。そんな状況に立っていたからであった。


「これなら……!」


 そんな一瞬のことだった。


「『ゼロアイス:チル』!」


 怪盗の足元が凍った。


「うわっ、ちょ!」


 もちろん、怪盗はその氷に足をとられ、転んでしまった。


「痛たたた……」


 何が起きたのだろうか? そんな考えを巡らせて見回す。


「油断したね、怪盗さん」


 彼女の前方には水色髪の麗しい魔女が立っていた。


「やられたね……」


 最初からこれが狙いだったと彼女もそこで気がつく。最初からここに誘導されていたのだ。


「でも……まだ終わらせないよ」


 彼女の逃避行はまだ終わらない。




「導華、こっち」


 走り続けた私の先にいたのは、凛と足を固められた怪盗。先ほどの誘導作戦は成功したようだ。


 というのも、玄武に電話をした際に暗所用ゴーグルと一緒にトランシーバーをもらっていたのだ。これも玄武の開発品なのだそうで、半径500メートルまで届く優れものなのだそう。


 ただし欠点があり、稀に地方のテレビ局の電波を拾ってしまうことがあるのだそう。さっきも少しグルメ番組の音が入った。


「ふ〜、これでひとまず一安心かな?」


 怪盗からダイヤを奪い返して、ほっと一息つく。


「にしても、こんなにあっさり捕まるとはね」


 先程から捕まった怪盗は悔しいのか静かにしている。


「何にも言わないし……」


 そう言いながら顔を見る。


「……あれ?」


 しかし、そこにはなぜか人形があった。凍らせれてから怪盗はその場を動いていない。が、なぜだかそれは怪盗と入れ替わりでその場にいた。


「凛、ちゃんと捕まえたよね?」


「当たり前」


「じゃあ一体……」


 その時だった。人形から何か時計のようなチッチッチという音がしていることに気がつく。


「……まさか!」


 急いでその人形の首を斬る。すると中から丸く時計のついた花火玉のようなものが出てくる。


「爆弾じゃん!」


「やっば」


 こんな住宅街で爆破されたらまずい。しかし、こんなもの一体どうすれば……。


「あ!」


 ここで一つ思いつく。そういえばあるではないか、こんな時に役立つものが。中身がどういう構造かはわからないがなんとかなる可能性もある。


「やるっきゃない!」


 その爆弾と思われる物体を上に放り投げる。


「斬!」


 そうである。もしこれが爆弾で、なおかつ魔力で動いているのだとしたら、これでなんとかできるはずである。玄武もこの世界の大抵のものには魔力があると言っていたから大丈夫だと思うのだが……。


「わぶっ!?」


 しかし、予想に反して中から出てきたのは小麦粉だった。その上、真上に放り投げていたせいで、私はそれをモロに被ってしまった。


「導華!?」


「ヒッ、クチュン! だ、大丈夫……」


 結果的に私は真っ白になってしまった。




「ははははは! これは傑作だ!」


 背後から怪盗の声がする。


「目眩し程度と思っていたのだが、まさか真っ白になってくれるだなんてね!」


 そんなに高笑いしないでほしい。恥ずかしくなってきた。


「ぶっ殺すぞアバズレ女。髪をむしられたいのか」


「凛!?」


「……なんでもない」


 とてつもなく物騒なことを凛が口走ったような気がしたのだが、気にしないことにする。


「さて、ダイヤも逃しちゃったし、今日のところは退散するとしようか」


「あっ、待てっ!」


「さらば!」


 ボフンと白い煙が怪盗のいたところから発生すると、怪盗は跡形もなく消えてしまった。


「……とりあえずはダイヤは死守できたね」


 怪盗は逃したが、目的であるダイヤモンドの死守は達成できた。今回は一応任務成功だ。


「……とりあえずお風呂に入りたいな」


「……そうだよね」


 仕方がないので真っ白のままお屋敷に戻るのだった。




「これは……随分とやられましたね」


 ダイヤモンドを抱えて、真っ白の私を見たガゼスさんの第一声はそれだった。


「……はい」


「その調子ではもう任務の報酬どうこうではないでしょうし、本日は一旦お帰りになった方がよろしいかと……」


「……すみません」


 ダイヤモンドだけガゼスさんに渡し、そそくさと帰ろうと準備を進めていた時だった。


「これはまた……ふふっ」


「真っ白ですね!」


 ちょうどアンとルリが起きてきた。


「あはは……」


 恥ずかしいから見られたくなかったのだが、見られてしまってはもう笑うしかない。


「ダイヤモンドは守っていただけたみたいですし、本当にありがとうございます」


「ああ、いえ依頼なので」


 きっちりお金もいただいているのだから、当たり前だ。


「その……今回の分の追加の報酬ということで」


 真っ白な姿を見て気の毒に思ったのか、ルリは奥からワインボトルを持ってきた。


「こちらをもらっていただいても……」


「うえ!? いやその、こんな高そうなのはもらいづらいといいますか……」


 私はこの世界でまだ一度もワインを飲んでいない。飲んでいないのだが、見ただけで明らかに高そうなのがわかる。


「実はこれ、先日参加したパーティでいただいたものでして、持て余しているんです」


「ああ、そういう……」


「そういうことなので、もらっていただけませんか?」


 悩みに悩んで私は渋々受け取ることにした。


「そういうことでしたら……」


 ちょうど私も検証してみたいことがあったので、酒が必要だった。まあちょうどよかったと思うことにする。


「ありがとうございます」


「いえ、ありがたく飲ませていただきますね」


 明日はちょうど休日。飲むにはもってこいだった。




「それじゃ、凛。じゃあな!」


「凛さん、さようなら」


 桃井邸で見送りをもらってタクシーに乗って事務所に戻ってきた。その時タクシーのおじさんに嫌な顔をされたのは内緒だ。


「ふ〜、ただいま」


「おかえりなさいませ、凛さん、導華さん」


 帰ってくると、珍しくレイさんだけが迎えにきてくれた。


「あれ、玄武は?」


「今日は寝ています」


 見ると、確かに自室のベットで寝ている。


「最近、発明ばかりしていましたからね」


「……まあ、報告は明日でいいか」


 玄武の報告を後回しにして、真っ先に風呂に入る。


「小麦粉全然取れない!」


 ワシワシと何度か頑張って洗い、なんとか綺麗にできた。


「詰まらないよね?」


 そんな心配もしつつ、風呂を上がる。


「ふ〜、いい風呂だった」


「おつかれ」


 風呂を上がると珍しく凛がいた。こういう時は真っ先に自分の部屋に行くと思っていたのだが。


「次、凛だよ」


「うん」


 凛が風呂に行ったのを確認して、リビングテーブルに座る。


「さて……」


 今私の目の前にはワインが置いてある。これを今から飲もうと思う。


「レイさん、ワイングラスってありますか?」


「はい、どうぞ」


 コトリと置かれたワイングラス。そして隣にサラミを置く。先程調べたら、これが合うと書いてあった。


「……ふー」


 お酒を飲むのは別に久しぶりではない。しかし、どうしても異世界に来て試してみたいことがあった。


「いただきます」


 私はワインを口にした。




「チュンチュン……チュンチュン……」


「ふぁ〜……」


 目が覚めればそこはベッドの上。どうやら寝てしまったらしい。


「あれ、私お酒を……」


 ちゃんと記憶はある。確か意外と飲めるじゃん! ということに気がついてそれでそこから……。


「うう、二日酔いが……」


 お酒を飲めばこれは避けられない。今日の間は二日酔いがひどそうだ。


「ん?」


 そんな折、あることに気がつく。布団が明らかに膨れ上がっている。その上、何かが私にしがみついているような感覚がある。


「え……こっわ」


 何がいるのか? 恐る恐る布団を捲り上げる。


「……凛?」


 そこにいたのはなんと凛だった。私の腰あたりにしがみついてスウスウと寝息を立てている。


「もしかして私……やっちゃった?」


 女子高生をアラサーが己の部屋に連れ込んでそのままベッドで……。


「……」


 このことはあんまり考えないことにする。


「……後で何があったか凛とレイさんに聞くか……」


 もはや、それぐらいしかできなかった。



 時は遡って昨夜のこと……。


「いいお風呂だった」


 導華の後に風呂に入って、事務所に戻る。時間はもう1時半。随分遅い時間だ。まあ、私にとってはそんなに遅いとは感じないのだが。


「ん?」


 その時、あることに気がつく。事務所が何やら騒がしい。


「導華、どうし……」


 事務所のドアを開ける。


「りぃぃぃぃん!!」


 すると、なぜか導華が飛びついてきた。


「あ、え、あえ、お、うえ? は、ん?」


 あまりの急な出来事に混乱する。ひとまず導華をひっぺがす。本当はこんなことしたくはないのだが。


「どうした?」


 もうそれしかいえない。目の前の導華は千鳥足で、いつになくハイテンションだ。


「ワイン飲んだ!」


「……うん」


「いっぱい飲んだ!」


 机を見ると、空っぽになったワインボトルがある。おそらくあれを飲んで酔っ払ってしまったのだろう。


「こんなになっちゃうのか……」


 以前の居酒屋の時にも導華はお酒を飲んでいなかった。なんとなく理由がわかった気がする。


「あれ? レイさんは?」


 どこを見てもレイさんが消えている。


「追加を買いに行った!」


 どうやら導華が買ってくるのを頼んだんだろう。付近のコンビニに行ったようだ。


「これどうしようかな……」


 レイさんもいないし、玄武は寝ている。あんまり馬鹿騒ぎしていると影人くんを起こすこともありそうだ。


「ふぁ〜」


 ふと、あくびが出る。今日は入学式といい怪盗といい色々なことがありすぎた。


「もう眠たいな……」


 いくら時間に耐性があっても眠いものは眠い。


「じゃあ、一緒に寝よう!」


「……へ?」


「寝よ!」


 突如ありえないような提案をされる。


「ちょちょちょ! は?」


「そうと決まればレッツゴー!」


「ちょっと待って! 心の準備が……」


 結局、私は導華に首根っこを掴まれてベッドに連れて行かれるのだった。



 部屋にくると、導華はベッドに座った。そして、ポンポンとベッドを叩いた。


「ほら、おいで?」


「うっ、ぐふう!」


 風呂上がりと酔いから破壊力が半端じゃない。その上、パジャマがはだけて胸が! このままいけば私はアボンだろう。


「……おう」


 観念してベッドに入る。


「うん、えらいえらい」


 やめてくれ。そんなにむやみに頭を撫でないでくれ。死んじゃう死んじゃう。


「電気は……」


 導華は持っているリモコンをぽちぽちと操作する。


「できた!」


 すると何を押したのか、照明がピンク色になった。


「いらん機能つけないでくれ」


 普段ならこんなに切実な願いはない。


 このままいけばアウトライン一直線なので、導華からリモコンを奪い取り、少し明るいくらいに照明をセットする。


「寝ようか」


 そう言って導華は目を瞑った。ヘロヘロの導華は案外早く眠りについた。


「……本当に寝るだけかい」


 何かを期待していたわけでは決してない。断じて違う。


「導華が寝たらなら早くここから……」


 そう思っていた。しかし、無理だった。なぜなら、今の私の目の前には導華の背中、私の後ろは壁。私は出られなくなっていた。


「……詰みか」


 無理やりにでもがんばれば出られる気はした。しかしそれはしない。導華を傷つけてしまう。決して出たくないからではない。断じて違うぞ!


「むにゃむにゃ……」


 寝返りはうたないでくれ。そんなに至近距離に顔があると……ああ、顔がいい。


「……待てよ?」


 この状況、もしや私の野望の一つ、『でかい胸を揉む』が達成できるのでは?


「……まあ、迷惑料ってことで……」


 そうだ。私は悪くない。むしろ被害者だ。だから胸を揉んでもなんの問題もない。というか多分バレない。


「それじゃあ……いただきます」


 恐る恐る胸を揉む。


「おお、わおおうおう……」


 指が、こう、なんか、ふわって……すごい!


「……んっ!」


 導華、ダメ。そんな声出されたら、私の中の何かがこう、バーンってなる。バーンって。


「ぎゅう」


 その時、なんの運命か、胸を揉んだ反動なのか、導華が私を抱きしめた。


「う、がお、おう、あう、おあ」


 私のぺたんこまな板に導華のふんわりメロンが押し当てられる。それと同時に語彙力がなくなる。


「……これでいいかな」


 よく考えればそうである。無理に幸せなこの空間から出る必要もない。このまま朝でいいのだ。そうだそうだ。


「導華は頑張り屋だからな……」


 それに、導華としてもこのままが良いのだろう。


 きっと、普段から我慢して溜め込んでを繰り返してきたのだろう。だからこそ、お酒を飲んで酔うと、こんなふうに変になってしまうのかもしれない。


「……よしよし、導華は頑張ってるぞ〜」


 こんなのを見てしまうと、こんなことも言いたくなってしまう。現に導華はずっと頑張っている。だから今くらいは労っても良いだろう。


「……凛」


 導華が私の首元に顔を埋めた。これだけでも意識が飛びそうだ。


「どうしたの?」


 優しく子供を諭すように聞く。


「……しゅき」


「ア゜」


 私の意識はここで途絶えた。




「すみませんでした……」


 凛とレイさんから合わせてことの顛末を聞いた。そこからわかったのは、異世界転生をしても私のアルコール耐性は改善されていなかったということであった。


「まさかあそこまで酒癖が悪いとは……」


「本当に申し訳ない」


「まあ、そんなに怒ってないし、いいよ」


 凛は意外と優しい。私の過去最大級の失態を許してくれた。


「(むしろご褒美……)」


「お〜い、導華。これどうするんだ?」


 そうして残されたのは、今玄武が持っているお酒たち。昨夜の私は一体何杯飲もうとしていたのだろうか? 瓶が10本くらいある。


「すみません、レイさん。こんなに買わせちゃって……」


「はい、問題ないです。面白かったので」


「……レイさん?」


「はい、どうかされましたか?」


「……いえ」


 聞き捨てならない言葉が聞こえて気がしたが、とにかくレイさんにもなんだか申し訳ない。


「しゃーない、こいつらは感史たちにあげてくるか。後これ、二日酔いの薬な。飲んどけ」


「あ、どうも」


 薬を残し、玄武は酒を抱えて、クラブに向かった。そしてその場には私と凛のみが残った。


「……とりあえず、導華はお酒禁止」


「はい……」


 そんなもの言われなくともわかっている。もうお酒はこりごりだ。




「失礼します」


「失礼しまーっす!」


 そんな日の午後のこと、連日でまたルリとアンが事務所にやってきた。


「また依頼ですか?」


「はい、またです」


 あの家には何かあるのだろうか? また依頼が舞い込んでくるとは……。


「今度は……」


「今度も怪盗D.blueです」


 あの怪盗、懲りないなぁ……。


「またダイヤを守れってことですかね?」


「その……今回はそうではないのです」


「というと?」


「これを見た方が早いです」


 彼女はまた怪盗からの予告状を見せた。


『一週間後の土曜日の24時、ダイヤモンドをいただきに参上する。ただし、次は私の仲間を用意する。盗られたくなくば、我々と決闘せよ。

            怪盗 D.blue 』


「……これアリ?」


 怪盗が決闘を申し込んでくるとは前代未聞すぎる。というか、それはもはや怪盗なのか? これではそんじょそこらの強盗のようなものでは……。


「でも、これってもう参加しなければいいのでは……」


 決闘をそもそもしなければ、盗られることもないのではないだろうか?


「いえ、どうしてもあの怪盗にはもう一度会わなければいけません」


「……何かあるんですか?」


「もうすでに、盗られていたんです」


「盗られていた?」


「亡き祖父の形見であるエメラルドのペンダントが盗られていたんです」


 彼女は泣きそうな表情でそう答えた。


「……ルリの爺さんは1年前に病気で逝っちまってな。そのペンダントはルリの一番大切なもんなんだ」


「それは別のお部屋に入れていたのですが、この予告状と一緒にそのペンダントの写真が入っていて、それで見たらもうペンダントはなくって……」


 なるほど、あの時退散したのは、もうすでにものを盗ってあったからだったのか。


「お願いします。私のペンダントを取り返してください。そのためならいくらでも払います。ダイヤモンドもいりません」


 そんなことを言われなくとも、私たちは絶対に取り返す。


「大丈夫ですよ、お金も普通の依頼と同額で構いません。だから、顔をあげてください」


 お金とか、宝石とか、そんなものとは比較にならないほど価値の高いものがこの世にはごまんとある。きっと、彼女にとってはエメラルドがあることなんかよりも、祖父の形見であることの方が価値が高いのだ。



「そのペンダント、私たちが絶対にあなたの元に返します」



 思い出、記憶、過去、その価値は計り知れないものだ。だからこそ、依頼とか関係なしに全力で取り返しに行くのだ。

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