第42話 つわものどもが、夢の跡

「……やっと来たか」


 静寂の中。

 厨房の椅子に座って煙草をくゆらせていた酒場のマスターが顔を上げた。

 くつろぐ姿は誰が見ても歴戦の勇士で、さっきまでこの厨房でエプロンを付けて料理を作っていたなど想像もできない。


「有能な使が宴会参加で休みだと、書類が全然減らなくてな」


 奥の扉を開けて彼の前に現れたのは、ティア。

 今はお忍び用の服装で、太守の身であることを考えればかなりラフな姿だ。


「その有能な使用人レオナがさっき、いつの間にかやってることが太守代行だと、愚痴をこぼしてるのを聞いたぞ?」

「クックッ……代行か。違いない」

「使える才能を使い切るのは、あいかわらずか……可哀想に」

「ああ。あいつには、私のにも才能を使い切ってもらわないとならん――こんな乱世、私の代で片付くものではないからな」


 ティアは厨房を横切ると、カウンターへと歩を進め、ヒョイと店内を覗きこみ――そして笑った。


「これはまた……盛り上がったようだな」

「……請求書だ」


 椅子に座ったまま、マスターが獣皮紙を指で挟み、テーブルの上にポンと放り出す。


「仕事が早いじゃないか」

「今朝作っておいた。飲食分は店の在庫全部。あとは、三日前に話を聞いてすぐ、ドワーフ鍛冶ギルドとモビラ商会へ必要そうなものを発注しておいた。あとは明日一日分の休業補償だ」

「こうなると予想してたってことか」


 ティアがカウンターから身を乗り出し、再び楽しそうに店内のを見回す。

 店の床では、多くの隊員たちが無防備に転がり、気持ちよさそうにいびきをかいていた。

 未だテーブルに座って杯を重ねているのは、いつもの二人だけだ。


「普段、俺はあいつらを店員として使ってるんだ。それぐらい判るさ」

「代金は、明日の昼に持ってこよう」


 ティアはカウンターを離れてマスターのところへ行くと、テーブルの上の獣皮紙請求書を拾い上げ、そこへ書かれた数字を見て小さく噴き出した。


「この金額、まるで盗賊ギルド経営のボッタクリ法外請求店だな」

そっち盗賊ギルドなら、ケタがもっと少ないな。盗賊ギルド経営の店は、こんな個人から搾り取れない額を請求したりしない」

「ははっ、たしかにな」


 ティアは、獣皮紙請求書をテーブルへと戻す。


「これに色を付けるから、モビラに昨日州都レージュへ入って来たばかりの東方火酒を全部持って来させろ。海の中で十五年熟成させたとかいう、うちアザリア州へ初めて入荷した逸品だ」

「そんなヤツを全部とは豪気だな」

「ドワーフのオヤジどもに最近無理を頼んでばかりいる詫びだ。それを部下グエンの財布で負担させるのも忍びないしな。明日オヤジどもが来たら全部渡してくれ――いや、一本だけキープしておいてもらおうか。十五年というのが、ちょうどいい」

「承知した。だが、モビラが仕入れた数も聞かずに全部なんて言っていいのか? 州の金庫じゃなく、私費こずかいから出すんだろう?」

「昨日関所でモビラ商会が申告してきた数ぐらい目を通している――それより多い数を持ってきたら、あとで搾り取ってやるさ」


 肩をすくめるマスターへウィンクを飛ばし、ティアは死屍累々のホールへと足を踏み入れた。


 改めてホール内を見渡す。

 食器や椅子が壊れて散乱しているのはもちろん、机の脚すら折れ、壁には大穴、床にも大穴。


(この綺麗な切り口を見せて真っ二つになっているテーブルは、サイカかマリアの仕業だな……)


 惨状を楽しそうに見回しながらホールを横切り、唯一座っている者がいるテーブルへと向かう。


「皆、楽しめていたか?」

「おかげさまで」


 声をかけると、テーブルで飲み続けていたマリアとサイカが杯を掲げて挨拶を返してきた。


相変あいかわらず、最後まで残ってるのはおまえたち二人だな」

「さっきまでサリのやつも一緒に飲んでたんですけどね。エールと火酒の在庫を飲み尽くした後、飲み足りなさそうな様子で寝てしまいましたよ」

「小柄でも、さすがドワーフだな――で、レオナはどうだった?」

「隊長は、一番最初におやすみになりました」


 ティアが下に目を遣るサイカの視線を追い、半ばテーブルに隠れた膝を見ると――くーくーと可愛い寝息を立てるレオナがいた。


「椅子を無駄に三つも並べているから何事かと思えば……ずっとそうしていたのか?」

「はい! もーこんな幸せな時間があるなら、毎日でも宴会したいくらいですっ!」

「こんな宴会、毎日続けても死なんのはお前たち二人……以外にもいるか」

「ですね。サリにカーラ、あとその気になればシェラも大丈夫でしょう。他にはアルテアにイルミナ……」


 指折り数えながら隊員の名前を延々と挙げていくマリアに、ティアは思わず噴き出した。


「我ながら、とんでもない連中を集めたものだ」


 コツコツと足音を立ててレオナに近づくが、目覚める気配は皆無だ。

 ティアは、サイカの膝に乗っているレオナの顔を覗き込む。


「ん? ……酔いつぶれている様子はないな」

「エイルが酔っぱらう前に、酒気アルコールを抜いてもらいました。今は疲れが出て眠ってるだけですよ」

「それはよかった。酒臭いままだったら戻っても部屋へ返せないし、私の寝室で寝かせるしかないかと覚悟してたんだが」

「サイカがそれを言い出しかねなかったんでね。素敵な二日酔いの初体験はまた今度ということで」

「さすが副隊長、いい判断だ。これで私もイネスメイド長に怒られずに済む」

「「あ……」」


 二人とも忘れていたらしく、マリアとサイカが同時に絶句する。


 そもそもティア自身が「いい経験だ。酔わせてやれ」と言ってたので、命に係わることはないだろう。

 だが、それでもさすがに、あのメイド長が可愛い部下レオナの二日酔いを目にしたら、二人揃ってどんな目に遭わされることか……。


「さて、起きないとなるとしかたない――運んで帰るしかないな」

「では、わたくしが隊長の部屋までお運びします」

「いや、大丈夫だ。こんなこともあろうかと、イネスを連れて来ている」


 マリアやサイカの判断力を信用してはいたが、万一レオナがに酔い潰れていた場合に備え、地下から出たところで待機してもらっていた。

 酔い潰れてはいなかったが、結果的に連れて来て正解だったようだ。


「イ、イネス様がいらしてるんですか……はは……ではわたくしは遠慮しておきますね……あはは……」

「良かった……エイルが潰れる前に酒を抜いてもらって、本当に良かった……」


 未だ一向に起きる気配のないレオナは、ティアに抱きかかえられて店の奥へと姿を消していった。

 すやすやと眠るメイド服の小柄なレオナは、お姫様抱っこが良く似合う。


 マリアとサイカは姿が見えなくなるまで見送ると、そちらに向けてそれぞれの杯を掲げた。


「隊長、良い夢を♡」


 ――こうしてレオナは、隊長としての初仕事を終えた。

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