第16話 大人の時間
明かりを消してレオナが部屋から出ていった直後。
「…………」
むくり、とベッドで寝ていたティアが起き上がった。
月明りの幽かな光でシルエットが透ける薄いナイトウェアを脱ぎ去って下着のみの姿になり、隣接する
扉を開けて中へ入ると、そこには明かりが灯り、一人の
女性に向けて、ティアは手に持っていたナイトウェアを放り投げる。
少々軌道が外れていたが、女性は手を伸ばしてなんなく受け止めた。
年齢はティアの姉、といったあたりだろう。
もちろん、実の姉妹ではない。
いわゆる乳兄弟にあたる女性だった。
名をイネスというが、ティア以外の者たちにとっては『メイド長』の方で通っている。
「かなり疲れているようだった。部屋に辿り着けずに廊下で寝こけていないか、確認しておいてくれ」
「かしこまりました」
誰のことを指しているのかまで口にしなかったが、その程度は通じてしまう間柄だ。
イネスは最初から手に持っていた方の衣装をティアに手渡すと、ティアが入って来たのとは反対側から出ていった。
そこは隠し扉になっていて、閉じるとただの壁になってしまい、一見しただけでは発見できない。
この扉は太守の一族しか知らない、非常時の脱出のために作られた、いわゆる隠し通路のひとつだ。
ただ、ティアはここを日常的に使っている。
この隠し通路は地下でさながら迷路のように複雑に入り組み、屋敷の一部や屋敷外、また都市の外まで通じている道もある。
なので、屋敷の者たちに見つからないよう外へ出るのに、とても便利なのである。
イネスも今は、隠し通路を使って自分の部屋へ戻っていったのだ。
そして、そこから廊下へ出て、レオナが無事部屋に戻ったかを確認しに行くことになる。
「よっ……と」
イネスから受け取った、無駄な装飾のないシンプルな服を着こむ。
「イネスめ。いちいち閉めるなと、何度言えば判るんだ」
この隠し扉、一度閉じてしまえば太守一族口伝の複雑な手順を踏まないと開かなくなる仕掛けなのだ。(要は面倒くさい)
着替え終えたティアは、ブツブツと零しながら慣れた手つきで隠し扉の複雑な解錠手順を素早くこなして開くと、隠し通路へと入っていった。
■■■
ここは、州都の商業区画にある、この国では何の変哲もない酒場。
場末の安酒場とは違う、大通りにある、家族みんなで夕食を取るような場所だ。
夜遅い今の時間は、もう営業していない。
そんな店の一階にある丸テーブルで、酒を
二人は対面ではなく、不自然にも隣り合わせに座っている。
さらに、こんな閉店時間を過ぎた薄暗い店内で酒を呷っているのが女性二人なものだから、どうにも不自然極まりない。
だが、不自然な状況の理由はすぐに明らかになった。
「待たせた」
店の奥から出てきた女性が、テーブルで酒を呷っている二人に声をかける。
声を掛けられた方の二人――マリアとサイカ――は、酒の入った木製のジョッキを掲げて挨拶を返す。
最後に来た女性が二人の反対側へ座ると、酒に頬を染めたサイカが楽しそうに口を開いた。
「レオナは、ちゃんと最後まで起きてましたか?」
「なんとかな。無事に部屋へ戻れたかどうかは、イネスに確かめさせている」
この店の奥に直接
「それより……今日は、収穫だったようだな?」
「そりゃもう最高でした!」
サイカが頬を紅潮させて叫ぶ。
「髪はサラサラでいい匂いだし、肌も赤ちゃんみたいにプニプニで……」
「いや、そっちの感想はいい」
馬車の中での抱き心地を
残念そうなサイカを置いて、ティアはマリアに視線を移す。
マリアは一度酒を呷ると、ゆっくりとジョッキをテーブルに置いた。
「そうですね。本人の
「魔法を見せたのみならず、剣での戦闘にまで参加したのだろう? 私も見たかったものだ」
「ええ。ティア様の話以上の逸材ですね。あれが女というだけで
「普通なら、あの才能を埋もれさせたまま使用人を続け、いずれ結婚して子を産む――そんな人生だっただろうが」
ティアの言葉に、マリアは言葉を続けた。
「
「そういうことだ」
今の皇帝にとって代わる候補の一人とまで言われているティア、そして今のアザリア州最大の弱点は、人材不足だ。
とくに、ティアの意を
太守が女性ということで人が離れてしまったことが大きな理由ではある。
だが他にも、ティアが跡を継ぐ際の激しい政争で、父親の時代の家臣が激減したことも小さくはなかった。
その上、女太守ということで新たな人材が集まらない――そんな状況に対して、ティアが採った方針のひとつは非常識で、しかし女太守であるティアらしいものだった。
――すなわち、女の登用。
無論、今の世で普通に武官や文官として女性を登用しようとしても、まずは家臣たちに受け入れられることはない。逆に政権のみならず社会にまで混乱を
なのでティアは、まずは近衛隊を女性のみで組織した。
異議が出なかったわけではなかったが、その性質上、家臣の派閥に影響されにくいため、ゴリ押しでなんとかした。
そしてティアは今、その次の段階へ踏み出していこうとしていた。
手足として使える自分直属の、女性で構成された部隊の創設である。
「で、どうだ? お前に預ける隊で、レオナは使えそうか?」
マリアとサイカは、隊の隊長、および副隊長としてティアに選ばれている。
そのマリアが、きっぱりと断言した。
「無理ですね」
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