第5話 太守様は、頭が痛い

 大広間。

 ここは、州都レージュの長官も兼ねているティアの下、家臣の武官文官が集って行われる評定ひょうじょう(会議)のための場所である。


 今まさにその評定が開かれており、当然ティアも出席していた。

 レオナも後ろに控えている。


 もちろん、ティアとは違い、評定に加わっているというわけではない。

 やっていることは、使用人らしくティアにお茶をれるだけ。


(いや、それが難しいんだけどね)


 お茶を淹れること自体は、メイド長の地獄の特訓で難しいことではなくなっている。

 ただ。


(ティア様って、公式の場では、胸元が広くあいてるドレス着てるから……)


 お茶を淹れる際に座っているティアの傍らに立つと、嫌でも視線がへ行きそうになってしまうレオナなのである。

 メイド長の地獄の特訓では、に目を遣りながらお茶を淹れる方法など、身に着けることはできなかったのだ。


(なんで、仕事中にこんな葛藤をしなきゃならないんだか――そもそも、屋敷のメイドが、こんな場州の評定にいなきゃいけない方がおかしいんですけどー)


 ただ、たかが女の使用人メイドだと、そこにいても『女太守のわがまま』で済んでしまうので、ティアがさも当然のように連れて来ているだけなのだ。


(官僚たちの生の声を聞ければ書類じゃ伝わってこない空気とか判るし、ありがたいけどね――って、いやいや。そんなの、そもそもメイドがすることじゃないってば)


 そんなことを思いながらも、自分の目や耳で得た重要な情報を、ちゃんと頭の中にメモっている、けっこう生真面目なレオナであった。


(とはいえ、さすがにこのレベルを聞かなきゃいけないって、純粋に拷問なんだよな~……)


 レオナは今、耳に入ってきている言葉を懸命に理解しようと、頭をフル回転させていた。


 ――スキル統治者を持つレオナにも理解が大変なほど、高度な内容なのか?


 いやいや。

 理解が大変な原因は、発言者にあるのだ。

 こんなの、全部まともに聞く方が難しい。


「……というわけで、我が勇敢なる兵士たちはゴブリンの群れに激烈なる攻撃を加え、運よく我らが矛を避けたゴブリンどもも、我が軍の威容に恐れをなして森の奥へと散り散りに逃げ去っていきました。近年類を見ない五十を超える数のゴブリンの群れではありましたが、わたくしの知謀と卓越した指揮により、このレージュの街へ雪崩を打って襲い掛かってくることは遂に能わなかったのであります――以上が、今回の我が輝かしき任務達成の報告にございます」


 フロアの左右に居並ぶ官吏たちの中、武官たちが並ぶ左側の末席近くに立つ若い男が最後に一礼する。

 この年若い武官は自己陶酔の表情のまま、自分の席に腰を下ろした。


 長かった。

 それ以上に、何を言ってるのかわからなかった。


 レオナなら、同じ内容を「五十匹以上のゴブリンを蹴散らしてきました」で済ませるところだ。


「うむ」


 一段高い所で一番見栄えのする椅子に座るティアは、若い武官に向けて静かにうなずいた。

 立場上取りつくろっているだけの――その表面的な威厳とは裏腹に、心の中では、情けなさそうに溜息を吐く。


(こんなを家臣として使わなきゃいかんってのがなぁ……)


 五十匹を超えるゴブリンの群れが森の外へ出てくるのは、確かに近年稀に見る異常ではある。

 だからこそ、討伐に行かせたのだ。


 なのに、その結果が「州都レージュを攻めさせませんでした(主観)」だったという……。


(……ったく、やってられんな)


 ティアは無意識に、内側の汗ばんだ熱気を冷まそうと、服の胸元に指を引っ掻けた。

 軽く前に引っ張り、隙間を作る。


 ガチャンッ!


 硬質の物――おそらく茶器――がぶつかる音が横で響き、ティアはハッと我に返った。

 そして、胸元から慌てて手を放す。


(危ない危ない……一瞬、家臣たちの面前なのを忘れていた)


 まあ、一段高い場所へ座る自分の胸元など、下で控える家臣たちから見えるものではない。

 それに、ちょうど隣で目立つ音が響いたので、家臣の視線はそちらに集まったようだ。

 堂々としていれば、誤魔化せるだろう。


(まあ、見えていたとしても、隣でお茶を淹れかえようとしていたレオナくらいだろうがな)


 ――むしろ、それこそが問題だ、と当人レオナに思われていることには気づいていないティアであった。


 ティアは何事もなかったように、威厳をもって若い武官に問う。


「ところで、その森の奥へ逃げたゴブリンというのは、いったい何匹ほどだ?」

「およそ半数といったところでしょうか。戦闘集団は二割も死傷すれば戦線が崩壊するというのが戦場の理ですが、わたくしの卓越した指揮により、此度はそれ以上の成果を挙げております」

「半数、か」


 ティアは、「およそ半数」の後は聞き流し、心の中で頭を抱えていた。


『逃げた残りを放っておけば、小さな村がいくつか消えるだろう』


 これは、ティアが直々に戦闘の現場へ放っていた斥候からの先行報告をまとめた書類へ、今朝レオナが添えた意見だ。


(この状態で放置すれば、いったい、いくつの村が今後消えることになるのか――とか、想像くらいせんのか、こいつは)


 もちろん。

 この若い武官は、気にも留めていないに違いない。


 さっさと馘首くびにできれば楽なのだが、こういうやつに限って、重臣の跡取りだったりするのだ。

 かと言って、ここで面倒になって、褒め称えて持ち上げて終わりというわけにはいかないのが、ティアの立場の辛いところであった。


「……判った。では、先の兵に加えてさらに同数の兵を預ける。これより、森へ逃げたゴブリンとその母体となる群れを全て狩ってまいれ」


 結局ティアとしては、面倒とは思いながらも、将来さきを考えれば、そう命令せざるを得ない。


「な、なんですと!?」


 予想通り、褒められるどころか新たな任務を下されたことに、若い武官は信じられないといった表情を見せた。

 だがティアは、それを無視して命令を続ける。


「森に、雌や子供も含めて一匹たりともゴブリンを残すな――その成果をもって、此度の任務の完了とする」


 というか最初からそうして来い――と続けたいのを懸命にこらえるティアであった。




   ■■■




「おかえりなさいませ、ティア様」


 評定を終えて屋敷の私室へ戻ると、部屋の中でアイシャが出迎えてくれる。

 一緒に帰って来たレオナは部屋に入らず、別室でお茶の準備だ。


 ここでティアは、着替え。

 公式の場に出る格好から、屋敷での執務用である略式の楽な服装に替えるのだ。

 事前に準備していたアイシャが、じっと立っているティアを手際よく着替えさせていく。


 しばらく黙っていたティアが、突然ポツリと口を開いた。


「すまないが、これからレオナは、さらに忙しくなる」

「これ以上ですか!?」

「ああ。さっきの評定で痛感した。我がアザリア州は、人材が足りん」


 この州では、武官の地位に就いている者が、たかだか百匹規模のゴブリンをまともに処理できないのだ。

 今進めている計画が動き出せば、そんな使えない武官は適当な仕事をあてがっておけば済むようになる。


「外へ出すことも多くなる。昼間は、お前にも負担をかけることになるが、頼む」

「……わかりました」


 背後に立ってティアに服を着せているアイシャの顔は、もちろん見えない。

 だがティアには、その表情が手に取るように判った。


「なにもレオナを、倒れるまで使い潰そうというわけではない――だから、な」


 ティアは手を後ろに回し、アイシャの手をそっと握る。


「――コルセットをそこまで憎しみを込めて絞めないでくれ。内臓が口から出そうだ」

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