第9話 風の便り

 本格的な冬の到来。窓の外を風がヒューヒューと吹き抜けていくようになった。巻き上げる落ち葉。凍りつくような冷たさ。冬のこの山の景色は何処までも単調だ。掃いても掃いてもなくならない広葉樹の枯葉。赤い松の木肌。高い梢。所々に顔を覗かせる巨岩。

 下草が枯れてその白さが目につくようになると、置き去りにされた山は、手を入れる者もない現状をさらけ出し、長い眠りに閉ざされたように静まり返る。

 私は仕事場を暖炉のそばに移して原稿を書いていた。お湯の沸くチンチンという音が催促するように響いてくる。口を斜めに切って水蒸気が抜けるようにしてやるとやかんは落ち着いて静かな音を立て始めた。

 その音を便りに切れ切れのおぼろげな記憶をひもといていく。静まり返ったこの時間が私の心にいっそうの静寂をもたらす。時折何処かで甲高く鳴く鳥の声がもの悲しい山の気配を伝えてくる。足元に寄り添うように横たわるポセイドンが片足脱げたスリッパに顎を乗せていた。

「今年の冬は一人じゃ無くなったわね。まさか私がこんな大きな犬と二人で暮らすなんて考えもしなかったけど」

 コーヒーを入れに立ち上がる私をじっと目で追っている。この子も此処の暮らしにも慣れてようやく淋しそうな顔をしなくなった気がするのだけど……

 立ち上がった時、タイミングよく呼び鈴がなった。こんな時間に此処へ来る人なんて誰だろうといぶかしみながら緩慢な動作で玄関に立った。

「どなたですか?」

 そわそわするポセイドンを制して、ドアを開けた。

「あの、私、渡辺と言います。この先の造成地に越してきたんです。まだ、たいした家も立ってませんけど」

「まあ、こんな寒い時期に。引っ越しなんてそれはまた大変ね」

 そこには、中肉中背の六十歳前後の愛想の良いご主人が立っていた。冷たい風がいっそう激しく吹いている。

「あの、お茶でもどうですか。あ、無理にとは言いませんけど」

 私はつい気安い口調で誘ってしまった。初対面の人に何の警戒もなく、なんてことは無いけど、ポセイドンのせいだろうか安心して家に招き入れることができた。

「朝、昨日の残りのシチューを食べたんです。まだ、残ってるけど食べます。寒いから暖まらないと」

 ストーブにあたってぬくぬくとしていたせいか戸を開けただけで、一瞬にして私は凍ってしまっていた。

 渡辺さんは良いとも嫌とも言わず私の勢いに押されて家の中に入ってしまった。

「すみません。突然お邪魔してしまって」

 遠慮深そうに腰を曲げ渡辺さんはチラッとテーブルを見て、

「仕事中ですか?」

 と聞いた。

「まあ、そんなもんです」

 と、答え、私はそのまま台所に消えた。

 スープを一杯飲み終わる頃には渡辺さんの大体の人となりをつかみ終えた。話によると渡辺さんの仕事は木工らしい。今まで木を置くために建てておいた物置を改造して此処に住むのだそうだ。ようやく仕事も一区切りついて好きなことがやれるんだと嬉しそうにそう言っていた。

 私はこの辺りの様子と近所の話と自分の仕事のことも少し話した。渡辺さんは私よりもっと早くからこの山を持っていらして山の事情には私より詳しいようだった。別れ際、今度何か作って持ってきますよと言ってくれた。私はまた一つ楽しみが増えてそれがとても嬉しかった。この山にはいろんな人が住んでいる。みんな魔法使いのようにどこか不思議だ。

 そして、ふと今年の冬の楽しみに山の地図を作ってみようかと思った。散歩で行けるくらいの距離でみんなの心が通うような地図を作ってみるのはどうかと……

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