第7話 町まで買い出しに

 久しぶりに話がまとまって、町に買い物に出かけることになった。お相手はご近所の安田さん。相変わらず明るい声で笑顔を振りまいている。いつ会っても心の和む良い人だなあと私は思ってしまう。

 今までもいろんな人と付き合ってきた。議論を交わすのが好きな、頭がいかにも良さそうな人も多かった。安田さんはそういうタイプじゃ無い。一緒にいてホッとする人。

 でも、昔からこういう人が好きだっただろうか?この手放しの明るさがお人良に見えて話すことも軽率に思えて、どちらかと言えば遠巻きに見ていた人だったような気がする。

 私は変わった。この山に来て人恋しいと思うようになった。そう素直に認められるようになった。多分それが、周りに対して余計な壁を作らなくなった大きな要因だろう。

 目の前にいる安田さんはどんな話も笑える話しばかり。それはかなりな才能なのではないかと脅かされてしまう。私なんか何をするにしても眉間に皺をよせて肩に力が入いってる方だから、この安田さんの最高に明るい笑顔は、本当、希少価値。まれに見る得難いものに思う。

 そんな訳で何処かへ行くのなら今のところやっぱり安田さんがいいなあと思うのだ。

 今回、田舎住まいの二人が目指すのはインターナショナルショップ。山の手の高級住宅街にある輸入専門の食品の店。この店の辺りには外国人も多いらしく手に入り難い食材がずらりと並んでいる。大きな店ではないがこじんまりとした店の中に、所せましと積まれた商品は豊富で他の店では扱っていない品物が目に留まる。

 私は店の買い物篭を抱えるとまず豆のブースへ行こうと安田さんを誘った。

「この前本で見たのなんだっけ、ほらほらミートソースみたいなのと豆が煮てあったのあったでしょ、私が食べてみたいって言ったらこの豆きっとあそこにいけばあるって言たじゃない」

「ああ、レンズ豆?たしかねえーっと」

 私は豆の棚に腰をかがめてのぞき込む。ここでなきゃ手に入らないものを買い溜めしておこうとしっかり買い物篭を手に握って。

「あった。これじゃない?」

「あら、ほんと何か凸レンズみたいじゃないこれ、丸くて真ん中が膨らんでて」

「ほんと、だからレンズ豆っていうのかな」

「さあどうかしら。これ買って帰ってあれ作ってみようよ」

私達は意気投合して篭に入れていく。クスクス、ガルバンゾー、ラザニア、EXバージンオイルも今日ははずんでかなりいいものを、

「ねえこれいいもの使うと質を落とせなくなるって奴でしょ。いいの買うのもドキドキするよね。味がわかってしまうと後戻り出来ない感じでさ」

 そう言ってまた笑う。その横で私はふと、物書きの私より安田さんの方が詩人なんだと思う。だから見ていて飽きないし私はいつも楽しい。少しためらったEXバージンオイル、後戻りできなくなるかもと思いながら思い切って高いのを篭に入れた。あとケッパーを買って美味しいチーズと生ハムを手にいれる。遠くから森林浴に来る友達の美味しいと喜ぶ顔が目に浮かぶ。

「あんたの家は空気もいいし、野菜も自家製だし、美味しいのが当たり前よね。こんな暮らししててバチあたるわよ」

 と、バチはとっくに当たってる。ひょっとしたら人間にとってもっとも過酷な制裁。これでも私、日々孤独と戦ってるのよ。なあ~んていうとまたバチがあたるかなあ?自分から望んで楽しんでやってるんだから。誰にも文句なんて言えないけれど。

 財布の蓋を開けて合計金額が出るのを待っている。一人前の人の買った乾物類をボッーと眺めながら。缶詰、瓶詰のバーコードを通すピッピッと言う音を聞きながら、さあ戻ったらこれで何を作ろうかとワクワクしていた。

「あ、あれポルチーニ」

安田さんがレジの女の子が取り上げた袋に目をやって小声で言う。

「ポルチーニ?」

「そうそう、キノコの乾燥したのよ。あれ高級食材よイタリアじゃ」

「そんなにおいしいキノコなの?」

「さあ、あんまり味は知らないけど、でもポルチーニよ」

「ポルチーニって?」

「あら、ポルチーニよ」

なんだか山本山。昔あった海苔の宣伝のように私は安田さんの真意を計りかねて首をかしげた。

「ポルチーニ?あ、あれがポルチーニなの」

「そうそう、ポルチーニよ」

ほら、あのレストランの名前の元だよと、安田さんが目で言っている。へえキノコの名前だったんだ。私はまた安田さんの博識に舌を巻いた。

「ねえ本木さん今日のディナーはどちらで?」

と、意味深に安田さんが含み笑いをする。

「どちらでって……」

ひょっとすると、安田さんちのディナーにありつけるかも、なんて五十に手が届く女にしちゃあ言葉が悪い。

「天気もいいし外のテラスで食事しよっか」

 そう言った安田さんが私には神々しい救世主に見えた。キリストなんていなくても幸せに生きていける。私には天使のような安田さんがいるんだから。重い荷物を両手に抱えた私達の足取りは、グルグルと見失った店を捜し回ってホトホトまいった往きの大変さに較べて数段軽かった。


「ねえこれ持ってるんだ」

 うらやましげに手放し難く眺めているのは銅でできたパエリア皿。私は夕食を共にしようとご近所の安田宅にお邪魔していた。

「これ結構値の張る代物で、今一つ勇気を出して買えないんだよね」

 値が張るったって買えそうにない値段でもないのに貧乏性の私には手が出ない。安田さんのキッチンはなんかよだれの出そうなケーキ型とかフォンデュセットとかやたらと目に付く。調理器具も見ているだけでも飽きないほど充実している。

「あー、シフォン型もある」

 私の悔しそうな顔に。

「だからなんでも買うのは得意だって言ってるじゃない。もっと驚かせてあげようか」

 そういうと意地悪な顔で壁一面の収納庫をサーッと開けた。

「ワー、なにこれ、すごいわ。ちゃんと買ったの?」

 と、訳のわからない感想。数といい、品ぞろえといい疑いたくなる。一番高いところにはいろんな形の燭台。真鍮あり、銅あり、蝋燭立ての数もさまざまでかなり高価なのもありそう。一つ下がってお盆類。まるでビクトリア調の油絵をそのまま封じ込めたような物から金属類、パーティーにさぞかし重宝しそうなトレイ。その下は各種ケーキ型。クグロフ型にパネトーネ型。陶器の型もたくさんある。その下にはパスタマシーン、フードプロセッサーなどの調理器具。そして、陶器やらガラスなどのテリーヌ型。

 まさか、ここまで揃った調理器具を雑誌以外で見れるなんて思ってもみなかった。しかも、可動式の梯子付き。いつもへらへらしてつかみ所の無い安田さんは何処ぞの有名シェフだったんだろうかと、尊敬の混じったあくまで羨ましそうな顔でしみじみ見つめてしまった。

「驚いてる。あーそれは良かった。人を驚かせる為にこうして揃えてるんだから。期待程度には驚いてくれないとね」

 とまた笑う。

「おどかすってこれ?」

「そう主人のコレクションよ。もちろん私も好きで集めてるんだけど」

「コレクション!信じられない。普通使うために揃えない?」

「そのためにこれだけ並んでたら惨めになるじゃない。コレクションだと思えば気も楽だわよ。結構値打ちの有るいいものもあるのよ」

 そういう感覚が安田さんの味なのよ。使うためにこれだけ揃えてたら惨めより嫌味よ。それにしても、調理器具がコレクションと聞いて益々この家にのめり込みそうと思ってしまった。これだけの物をきちんと行き届いた手入れをして管理しようと思うのは並大抵ではない。人がやってくれるのが良いに決まってる。またしても図書館感覚が私の頭をよぎった。

「こういうのを趣味にするとお金もかかるし収納も大変で本当はあなたみたいに大事に使い込んだものだけさりげなく置いてあるのが良いに決まってるのよ」

安田さんは気を使ってそう言う。

「ねえ今度パスタ打ってみない?あれ本によると二人でやるといいらしいのよ。私一人じゃ出来ないから敬遠してたんだけど、せっかくあるんだしやってみようよ。あ、コレクション使っては駄目かしら」

 と私が聞くと、

「だから、使い込んでこそのコレクションだって本当に思ってるってば」

 と安田さんは笑った。

「本当、じゃあ今度ね。あ、私家からあの本持ってくるわ。レンズ豆使ってみないと」

 忙しそうに話す私を遮って。

「まずはお茶お茶、私お湯沸かしとくから」

そう言う安田さんに頷いて、私達はそれぞれ手分けしてバタバタと動き始めた。

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