第5話 もっと話してみたい

 行き付けの静かなレストランに今日は誘う相手も無く一人で出かけた。なぜか急に懐かしい味に浸りたくなり雨のそぼ降る中、傘をさして歩いた。

 こんな日に…道がぬかるんでいる。

 舗装の無い地道から競って草が生え、大小の石がごろごろしている。草の間から覗く土の色も毎日その日の天候に合わせて表情を変えた。車の轍にたまる水をまたいで超えていく。気取って快いとまではいかないが、このでこぼこの道のりを歩くことも楽しく思えた。

 入り口の扉を開けると、いつもながらの静かな室内。いつものあの女性が、

「いらっしゃいませ」

 と案内してくれた。

「今日は雨ね」

 と軽く言いながら、いつもとは違う自分に実は自分が驚いていた。

「お一人ですか?」

 そんな気持ちをさっしたのかその女性もそう気さくに声をかけてくれた。傘を畳んで、傘立てにしまい、雨に濡れた肩をハンカチではらって真鍮のノブを手元までしっかりと引き寄せ、入り口の扉を閉めた。

 店の中には一組の男女が静かに談笑していた。やはりいつもの静寂がただよう店の中、私は安心したようにホッと息をこぼした。

「どうぞ」

「あ、そうね」

 メニューを渡された私は、自分が何をしにきたのか思い出したようにハッとしてメニューを広げた。

 小さなコースで千五百円、お茶とケーキが付くと二千円。今日は一人だから節約して小さなコースをたのんで机の端にコトリとメニューを納めた。小柄な女性は頷くとそのまま奥に入りしばらくの間出てこなかった。

 テーブルは四人の席が二つ。二人の席が一つ。後はカウンターに五つ椅子が並んでいる。一つ一つ確かめるように周りを見渡す。

 こじんまりとした店にしてはテラスが大きく、天気の良い日は外のテーブルで食事も出来た。

 今日はあいにくの雨が、昼前からシトシトと降り続いている。テラスの木がしっとりと濡れて、テーブルの上の植物も小さな葉に水を蓄えている。樋を伝う雨水がくさりに弾けて、立てるとも無い音を立てていた。その音に耳を傾ける。吸い込まれるように目が釘づけになる。

「どうぞ、生ハムと、モッァレチーズ、野菜のマリネです」

 そう言われて弾かれるように顔を上げた。今まで友達同伴で来ている間、一度も料理の説明を受けたことが無い。と思っていたけれど…それは私が友達との話に夢中になって聞いていなかっただけだっただろうか?静かに小さな声でそう言った女性にしばし見とれている私に、にっこり笑ってまた奥へ姿を消した。あのおじさん同様この女性も魔術師かもなんて思う自分を笑いながらフォークに手をかけた。

「おいしい!」

 ああ、美味しい。この味が私を生き返らせるんだ。コース料理の小さなお皿がテーブルに整然と並んでいく。前のお皿を引いていかないのも嬉しいことだった。時間をかけてじっくり食べたい私にとって気のきいた配慮。

 何度もこの店に足を運んでいるうちに、いつのまにかもう少し近付きになりたいと思い始めていたのだろう。そんな気持ちを察しているのか女性のサービスは温かいものだった。一つ一つの料理の説明を聞いているうちに心の中で気になっていたことがだんだん溶け始めた。ひょっとするとこの料理は? 

「あの、とても美味しいです。この料理ひょっとすると奥様が作ってみえるんですか?」

 すると女性は控えめに笑って、

「口に合いますかしら?」

 と言った。

「このレストラン一人でやってみえるんですか?」

 私のしつこいぶしつけな質問にも明るく。

「甥っ子が手伝ってくれています。メニーも多くは作れませんのよ。毎日毎日少しのお客さんで悲鳴をあげてるんです」

 と答えてくれた。私はそれ以上突っ込むのは止めて、

「とっても美味しいです。店の雰囲気もよくてホッとします」

 とだけ言った。店の中を眺めて、そう思ってみれば女性だからできる柔らかい落ち着いたしつらえだと改めて感じていた。何処か可愛い調度も奥さんの趣味を思わせた。それはとても意外な事だった。そして、とても楽しい秘密を手に入れたような気持ちだった。

 私は随分ゆっくり食事をして、また来た道をもどった。店を出ると雨は上がっていて、来た時にさしてきた傘はもう必要無くなっていた。

 足の歩幅に合わせて傘の先をコツコツつきながら歩く。あら、この歩き方小学校の頃から変わってないと一人でクスクス思い出し笑いしながら、リズムをとって小道を歩いていた。

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