第3話 食品を保存したくなる歳頃

 ガラス越しの光を浴びながら掘ったばかりのらっきょうの掃除をしていた。部屋中独特の匂いがすでに嗅覚を麻痺させるほど充満している。今朝早く畑を共同で借りているこの先の安田さんが、信じられないほどの量だと言って抱えてきた。一瞬これでらっきょう屋かカレー屋でも始めるのかと焦るほどの量。

 なのに、始めるとこれが面白くて果ての無い単純作業にはまってしまっていた。らっきょうは土に埋めておくほど分球して小さくなっていくらしい。と安田さんが仕入れたばかりのらっきょうの話をひとしきりしていた。

 突然舞い込んで来た、この強烈な匂いを放つ食材。私も歳をとったものだ。この頃、保存食や果実酒に興味を持ち始めていた。

 その昔、らっきょうを手間暇かけて漬けている親の横で、よくこんな面倒なことを毎年やるもんだとあきれたものだった。それが自分で漬けた梅酒は美味しいだの、少々曲がったきゅうりでもいとおしくてたまらなくなってしまったピクルスだの、手をかけてやることが気にならなくなってきた。

 安田さんも多分同じ気持ちなのだろう。面倒だ、面倒だと言いながらも楽しんでやっている。女は物に手を掛けることが本能的に好きなのかもしれない。重たいものを持つことや、一瞬のうちに勝負をつけることが出来無い分コツコツやることに長けているのかも知れない。

 もうこの歳ではいよいよ力仕事なんて出来ない。らっきょうや、梅が、ちょうどいい遊び相手なのかもと感慨深げに可愛いらっきょうに微笑んでいた。

「ねえ、このらっきょうが美味しくなったらみんなでカレーパーティーしようか」

 私が安田さんに言うと、

「いいね~でも家の主人らっきょう好きだから隠しとかないとみ~んな食べられちゃうわよ」

「そんな、こんなにあるのよ。よっぽど好きな人だって食べ切れないと思うけど」

 そう言って笑いながら胸に刺さる古い棘を思い出していた。夫がらっきょうを嫌いなことを。結婚したばかりの頃、実家から持って帰ったらっきょうに目を剥いた。実家で毎年漬けるらっきょうは甘すぎない私の好物だったのに。

 あの家でこんなに沢山のらっきょうを広げていたら、鼻がもげるって急いで出て行っただろうな。あの人といる間、私には縁の無かったらっきょう。また面白くなってクスクスと笑った。ろくでもないことしか思い出さない。でもそれが私の人生だったんだよ。らきょうの嫌いなあの人の横でらっきょうが食べられ無いって言う。

「元木さんて作家とは思えない程気さくだよね~」

「あらそう」

「だって、派手な暮らししてないし、家じゃ鍬持ってるか、苗作ってるか、そうやってらっきょうの掃除」

 そう言ってこらえ切れなくなってまたクスクス笑う。

「私…貧乏性なのよ。なんで作家になったってこれが一番資本がいらないから。ボールペンと紙。後は錆付いた頭にねじを回して古い記憶をたどりながら殴り書き。資料だってほとんど図書館の本なのよ。図書館て良いところよね。あれだけの本を用意して、誰にでも貸してくれて。買わないから置くところにも困らないでしょ。時々あそこへ行くのがささやかな楽しみよね」

 そう言うと、

「また、安上がりな話しだこと」

 と笑った。

「今度保存食の本借りてくるわ。勉強しないとね。私、テリーヌとかパテとか作ってみたいんだ」

「あら、それなら家にあるわよ。家の旦那様ワインが好きだから、なにか美味しいおつまみ作ってあげたくて本屋で見かけるとつい買っちゃうのよね。でも、買うだけ。今度持ってくるわ」

 と、いよいよケタケタと笑った。

 こんな山の中なのに近所の人が集まってきたりする。お互い静かな暮らしもしたいけど、淋しいのも本当なのかもしれない。この辺りには一癖ありそうなというよりは仙人のような人が多い。どことなく浮世離れしていて、俗化してない。私もテレビは見ないけど安田さんもほとんど見てないらしい。夜はご主人と二人で星空を見ながらテラスで少しのお酒を飲むのだと言っていた。

 こんな生活を楽しみながら二人で静かに暮らせたら心が安らぐだろう。夜空を一人で見上げるのは淋しすぎる。心が寒いし、暗いし、星って一人じゃ見つけられない。

 本当は頼りないんだよね。えらそうに意地張って一人暮らししている訳じゃない。あきらめてこうしてる消極的一人暮らし。その淋しさを紛らわすのが保存食なのかなあと、またらっきょうを見て笑った。

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