第299話 白く煙る前で

 吸気用カートリッジ内の空気は昔のスキューバボンベと同じで湿度ゼロパーセントだ。

 そんなの普通に吸ってたらあっという間に呼吸器系を傷めるので、ダイバーは湿度ゼロで呼吸できる訓練を行う。

 アトムスーツの場合は、ダイバー用のボンベとスーツ内の湿度は別で管理される。

 身体の保湿は内外含めて適正管理されるし、メットの内側は吸気で水分が付着しても結露しないように保湿素材が使われている。

 

 当然だが、保湿に使われるのは純水だ。

 そして、この純水は、この環境下において対タコ戦で非常に強い武器になる。


”ハシモト重工で効果測定は済んでる。撃退と威圧しか出来ないが、釘打ちよりは全然効果がある”


 あの三男がいる橋本重工は今や貝塚の物だ。

 キタザワ君が言うに、タコを直接人体実験に使って兵器の開発してたらしい。

 タコもノリノリで参加したという。


 スフィアと一緒に下ろしてきた貝塚の兵士たちの秘密兵器は、ハイドロポンプを使ってどんな圧力下でも使える水鉄砲だ。

 圧縮用の圧力を周囲から確保するから、自力で圧力を用意するタイプと違って、今みたいな高気圧下で有用だ。水陸両用で、水中での射程は三メートル、空気中では十二メートルまでは有効となっている。

 資料が正確なら、金属製の扉でもバターみたいに切れるし、ヘタな超音波カッターより全然切れ味が良い。

 今の処、百気圧の環境下まで問題無く機能するという。

 吸気用の純水で使いまわしが出来るので、高水圧下で兵装が嵩まないのは大きい。


”しかも、ノズルソケットでマスタード付けられるからな、噴射して被ったらチビって泣くしか出来ないだろ”


 エレベーター内で隣のおっさんが、タコ女の触腕髪の隙間から見えるケツをガン見しながらドヤってくる。


 ノンファージなら感覚系電位遮断は不可能なはずだけど、三千院はやってそうなんだよな。鷲宮家も出来ると思った方が良い。

 そもそも、タコ三男は痛みに凄く強かった。

 過信しないように釘は刺しておこう。


”俺が知ってる奴は頭だけになっても余裕で生きて動いてた。深海特化のこいつはどうかは分からないけど、電気と真水以外効かないかもな”


 兵士たちは一斉に唸った。


”いざとなったら、スフィアでタコさんの耳石に干渉するよ”


 耳石ってタコのバランス器官だっけ?

 確かに有効だけど。


”それでスフィアがタゲられたら困るじゃん?”


 そだ、照屋たちには埋め込ませてもらったけど、ホヤホヤのこいつにはまだ生体モニターまだ付いてないんだよな。

 ビーコンだけでも持っておいてもらうかな。ポシェットに出しておくか。


”だからイザとだよ。そうならないように話し合いで解決してね”


 無理を仰る。


”因みに、今ここでこいつに暴れられたら、俺らミンチだからね?”


”散々止めても行ったのは副代表でしょ。最後まで責任持ってよね”


”はい”


”何か意見があるの?”


”部下に任せてくれる寛大な上司を持って幸せです”


”ふん”


 やらなきゃならない事は決まっている。

 方法が思い付かないだけだ。


 もし、炭田の浜尻相手に、難題で交渉するとしたら俺はどう動けば良いだろう?


 義体は本体ではないから、壊れてもイチクジは痛くも痒くもない。

 ちょっと不便だな程度だろう。

 でも、例えオフラインでも、載っかってる思考は本人と同じだ。

 だから、タコ子と交渉が成功したら、それはイチクジを説得できたって事だ。


 照屋たちには悪いが、俺らはイチクジを無力化する気は今の処無い。

 補助脳の性能や思考が今一信用出来ないからだ。


 基盤管理責任者の話がてら浜尻に聞いたんだが、今のままだと起動した補助脳が協力する可能性は限りなく低い。

 しかも、言語野が復旧した脳だと、プログラミングの速度が桁違いになるから、電子戦になると非常に不味いと言われた。

 タコ子をうまく制圧、無力化出来て、その後基盤管理責任者の脳の交換が上手くいったとしても、俺らが無事に上に帰れる可能性は低い。

 なので、今俺に任されてる仕事は、この狂暴が服着ないで歩いてるみたいなタコ子に”子供を殺さないでね。あと仲良くしようね”ってのを約束させて実行させるっていう難題だ。

 しかも、交渉はファージ異常地帯に入ってから照屋たちが電源切断できる位置につくまでという時間制限付き。

 無駄に時間をかけると照屋たちに裏切りだと思われる。

 出来れば、可能な限りどっちも穏便に済ませたい。

 言語野の破壊というのがどの程度なのか、論理的思考も出来ないのか?

 肝はそこだ。

 話が通じるなら、なんとかする手はあるんだ。

 かなり強引だけどな。

 でも、やるしかない。


 俺らはいずれ、この施設と上のショゴス畑を利用するつもりだ。

 その為には基盤管理責任者の協力が不可欠だ。

 武器をチラつかせて人質とってニタニタ笑えば征服は早いんだろうけど、俺が求めるのは自発的な協力だ。照屋はできると思ってるみたいだけど、後ろからナイフで脅しながらいつ裏切られるのか分からないみたいのでは困る。


 担当階に到着し、挟まった小石をすり潰しながらドアがスライドして開くと、エレベーターの室内灯のみに照らし出された真っ暗な廊下から、見通せない濃度の霧がじわりと足元に広がる。

 ドライアイスの煙っぽく見える。成分は全く別物だ。

 照屋たちの用意した資料によると、これは強酸性の白煙、猛毒だ。

 この区画のどこかで熱水噴出孔により穴が開き、何百度もある高温蒸気が元の気温のまま噴出、付近の生物が破壊されて酸化硫黄が発生している。

 ここまで漂って来るまでに温度は下がっているけど、素手で触れたら火傷するし、吸ったら死ぬ。


「コーティング」


 貝塚チームは全員、自前でコーティングする機構を持っている。

 多分、銀行襲撃の時に使ったアプリかその亜種だろう。

 俺は自作のを使う。


「マンシャゴさんは・・・、要らなそうだな」


 どこから出したのか、頭やケツに香水っぽいのをシュッシュかけてたタコ子は俺の言葉に反応した。


”イル?コーティン?まんしゃんごコーティン。有能にまんしゃんご”


「お。そうだな」


「ボウズ。何言ってるか本当に分かってんのか?」


 可美村と井上はつつみちゃん経由で言葉が見えてるけど、兵士たちはアプリ入れてないから俺が独り言いってると思われてる。


「気になるなら共有するけど」


「勘弁してくれ」


 アレ?どっかで聞いた声だな。


「あれ、キタザワ君?」


「ああん?・・・っ!はぁ?!今更かよ。トモダチ甲斐の無い奴だな」


 周りのオヤジ共が吹いている。


 おっさんの顔なんてジロジロ見ないからな。

 この隣のおっさん。飛行船侵入の時隣の席になったヤツだ。

 て事はこいつら貝塚の急襲作戦部隊のメンバーか。

 可美村たちと一歩距離置いて接しているのも納得だ。

 となると、可美村たちと意思統一されてない可能性が出てくるけど、大丈夫か?

 さっきスフィアとか兵装下ろした話も聞いてなかったみたいだしな。

 ナチュラリスト対策の一環かな?

 全部知ってるのは貝塚だけってやつか?


「金額分働いてくれるってのは分かってる。頼りにしてるよ」


「ローンは受け付けなねーからな」


「お宅の代表に言っとくよ」


「やめてくれ。俺の寿命をこれ以上縮めるな」


 言う前に尽きそうなんだが、精々頑張るか。



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