第277話 そして夕日は沈む
驚き。戸惑い。やっと捕まえ噛み締めたその獲物の突端が何なのか、直ぐには理解できなかったみたいだ。
吐き出そうとしたプログラムを噛み直した時、その味に気付き。
雄たけびを上げる。
「っぁあああああああ」
爆音だが、不快さは無い。
それが、お前の声か。
透き通った良い声だ。
「叫ぶんじゃない。楽しい時は笑うんだよ」
ソフィアがさっき流していた声を調整して吹き付ける。
”あぁ!あんたまたそんな事!”
プリプリし出す前に牽制しとこう。
”サンプリングとして優秀なので思わず使ってしまいました”
”別に。・・・駄目とは言ってないわ。一言要るんじゃないの?”
チョロさは由々しき問題だよな。
巨人からブザー音。
それは駄目。カット。
戸惑う巨人にまたソフィアの笑い声を投げかける。
どうだ?
コロコロと鈴が鳴った。
ソレだ。
すかさず録音してリフレインさせる。
”つつみちゃん!”
”おっけ。直ぐ混ぜられるよ”
流石。
楽し気に掻き鳴らされるベースと和琴に巨人の笑い声がそっと融和していく。
ソフィアが俺らの周りにカラフルな音とオブジェクトを展開し、ステップの音を反響させて向こうからパーカッションを送ってくる。
真っ黒な墨の海に割れた道は、走りながら移動するライブ会場だ。
”此方よ。御待たせし申した。笛は未だ必要で御座いますか?”
きたっ!舞原!
もうそんな時間か。
チャットに合流した舞原裕子は既に電源艦で臨戦態勢みたいだ。
送られてきた映像では、艦橋に飛ぶ無人機のカメラに、見慣れないアンプに囲まれてベッドの上から手を振っているエルフが見えた。
”日没までにこいつを海に出す。引っ張るの手伝ってくれ!”
”承知”
走りながらも今か今かと待ったが、五秒経っても始まらない。
タイムラグかと思ったが、音が送られてこないぞ?
何だ?トラブルか?
映像では吹いてる。
”何?これ”
つつみちゃんが驚いている。
何だ?
ソフィアが意識を前方に向けた。
巨人も気付いたみたいだ。
俺も気付いた。
迫ってくる。
音の波が、遠く沖から押し寄せる。
スフィアによる音響操作とは違う。
減衰しない笛の音が、文字通り音速で進行ルートを逆走してくる。
ルート上に数珠繋ぎに置かれたスフィアたちは、遠い方から順番に音を感知していく。でも、音ズレを検知しない!?
ウーファーパイルもスフィアも使わずに。こんな事って可能なのか?
これじゃあメロディを予測して吹いてるって事になる。
波が迫る。
勢いとは裏腹に、陽気な篠笛が優しく合流した。
しっかりとメロディに着地した笛の音は、即座に溶け込み、最高潮となった調べは歓喜の渦を巻いて巨人を踊り狂わせる。
花が舞い散る心地よい笑い声を上げ、笛の音の先を確信した精霊は両手を広げ力強く加速し。俺に並んだ。
笑い声を木霊させ、こっちを見ている。
「そうだ。それで良い」
それが。良い。
追うものと追われるものだった駆けっこは、共感を促すだけのパレードになった。
互いにスピードを上げ、サワグチが起こす追い風に押され更に跳び奔る。
横を飛ぶソフィアの映像からあたふたする雰囲気を感じる。
”ちょっと!調子乗ってると転ぶわよっ!”
構うものか。
”チキンレースは速ければ速いほど盛り上がるんだよ”
ドヤ顔でログしたらサワグチに秒で突っ込まれた。
”青息吐息で偉そうに言われてもね。そのまま海まで飛び込んじゃえば?”
それは負けというのでは?
早鐘を打つ心臓と、血の味がし始めた息に苦しくなり、我慢できなくてバイザーを上げた。
霧で視界は悪いが、息は楽になった。
顔に当たる風が冷たくて気持ちいい。
”危ないなぁ。綺麗にしちゃあいるけど、横にいるんだよ?”
サワグチからのお小言。
”こいつは野生の熊じゃない”
襲ったりなんかもうしないさ。
「只、見るだけなんだろ?」
俺の言葉に反応したそいつは、にたりと笑みを深め更に足を速めた。
そのまま一気に河口近くの浜まで駆け抜けた俺らは、笛の音が消えた後もスピードを上げ真っ黒な壁の向こう、海の彼方に消えてゆく可愛い笑い声を見送る。
ちゃんと笑えるようになったな。
あの鼻炎の鯨がソナー打ってるみたいなブザー音は頂けない。
これで来年からはモテモテだろう。カンシャするがいい。
波打ち際に、力尽き、へたり込んでしまう。
そのまま大の字に仰向けになる。全身の筋肉が発熱し、どこもかしこも関節がプルプル震えて力が入らん。
アトムスーツのサーモを切ると、ひんやりとした砂浜があっという間に熱を吸収していく。
”ちょっとあんた。大丈夫?”
ぶっ倒れている俺を、ソフィアの映像が器用に覗き込んでいる。カメラは別で飛んでいるのに態々意思表示するところに拘りを感じる。
セラミックの立体映像とはいえ、ソフィアなので下から見上げるバン・キュッ・バンの曲線美は凄い破壊力だ。
”元気ではあるな”
”何それ”
股間を隠したくて上半身だけ起きて、辺りを見渡す。
”そういえば、この辺りは墨が少ないな”
浜にもほとんど積もっていない。
北に見える海も、墨霧は明らかに薄い。
俺に釣られて遠く景色に目をやるソフィアは、夕日を浴びる灯台を眩しそうに見つめた。
”天柱石と同じでしょ。ここいらは神社の庇護下なんじゃない?知らないけど”
そういうもんなのか?
”とりあえずメットしてくんない?流石に疲れたよ”
おっと、サワグチがお気持ち表明。
”ごめんごめん”
バイザーを下ろすと、自分の熱気がムワッと一瞬籠り、少し萎えた。
篠笛到着してから直ぐメアリたちが開始したのだろう、島全体の墨霧も薄っすらと透け始めている。
夕日に煙る真っ暗な島全体が霞み、陽炎みたいに現実感が無く、生き物の声も全くしないので人工物みたいだ。
これ、霧が消えるのは良いけど、その後自然環境の復旧が凄い金額かかりそうだな。メアリは大丈夫とか言ってたけど、流石に環境を元に戻せる訳ではないだろう。動植物はかなり死んだ筈だ。
屋久島は一旦死の島になってしまうのかな。
桜島みたいになりそうだ。
ああ、でもあの島はこの時代でも緑残ってたよな。
ここも案外しぶとく生きるのかな。
島の地下に張り巡らされたっていうナチュラリストたちも気になるけど、そいつらの事を考えるのは俺の仕事では無い。
今の俺は軌道エレベーター、その為に、条約の履行の確認。
後は種子島の方の水問題を片付けないとな。
不意に、海から聞こえたブザー音にビクリとした。
巨人が戻ってきたのではなく、電源艦だ。
汽笛を鳴らしながら港に近づいてきている。
「歩ける?あんたはアレに乗って帰って。あたしらは向こうでもうちょいやってから帰るよ」
ソフィアからの好意には素直に甘えよう。
細胞の栄養入れ替えてダメージ回復しても、気力的にもう今日は動けん。
「まだ潜んでるかもだし、あいつもいる。十分注意な」
ソフィアもサワグチも荒事は得意じゃない。
心配だ。
やっぱ戻るか?
あの道また走って戻るのは鬱だ。
「さっきのあんたよりは保身しっかりしてるわ。とっとと帰りなさい」
”そーそー。今夜旅館で、つつみに叱られる準備しときなよ”
そういや、つつみちゃん繋がってないな。
向こうで何やってるんだろ?意図的に切断してんのか?
思わずため息が漏れた。
”あんたさぁ。溜息つきたいのはこっちだっつーの”
”へいへい。とりあえず戻るわ。後よろしく”
「よっこらせ」
「うわっ。爺臭」
悔しいがレスポンスのツッコミを入れる力も無い。
ガクガクの身体を無理矢理立ち上がらせ、もう限界なのでアシストスーツだけで歩く。
手を振るソフィアの映像に後ろを見る気力も無く片腕を軽く上げる。
まだ帰る前に一仕事あるな。
電源艦で病み上がりの舞原裕子を労わないと。
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