第276話 五割の対応

 山に挟まれた白谷川に沿って緩くうねるルートは、真っ黒でなければ爽快な景観だっただろう。

 墨の霧に覆われて全く見通せないが、太鼓の合間にせせらぎが微かに聞こえる。

 全身が汗だくで、アトムスーツが対応しきれず中がぬめってきた。

 アシストスーツのお陰でマラソン程度の体力消費ではあるものの、継続的な全身運動に筋肉が悲鳴を上げ始めている。

 人工筋肉が火傷しそうなくらい熱を持ち、放熱が間に合わずに湯気を放ち始めた。

 二十分弱は走ったか?

 行程は既に三分の二をこなしている。


 急に気配が遠ざかった。


 後ろを見ると、巨人は俺を見つめて棒立ちのまま動かなくなっている。


 何だ?どうした?

 諦めた?罠だと思ったのか?


 足を止める。


 迫ってこない。


”どしたん?”


 サワグチも不明みたいだな。


”分かんね。動かない。近づいてみる”


”駄目っ!”


つつみちゃんが秒で拒否。


”直ぐ逃げられる状態にしてるよ。ここで止まってたらこいつ直ぐ消えるだろ”


 無理矢理地ならししたこのモーセの墨割りは、地面に残っていた電位差を使い切ったら自然の電力は尽きてしまう。

 スフィアから地面を経由させても、供給元はこいつに直ぐバレるだろう。

 動いてくれ。


「どうしたんだ?」


 電力が維持出来ないのか、急速に弱まってゆくブザー音。

 一っ跳びの距離まで近づいても何もしてこない。

 じっと俺を見ている。


「走れ。ここで止まったら死ぬぞ?」


 一度、優しい音色で小さく発信され、それを最後にブザー音が止まる。


”メアリ。どういう事なんだ?”


”考えられるのは、・・・エネルギー不足でしょうか”


 エネルギー?


”干渉体に保持されている電力容量が五十パーセントを割り込みました”


”ああ”


 進むべきか、戻るべきか。悩んでいるんだな。


 今なら戻れる。

 これ以上進んだら、死ぬかもしれない、消えるかもしれないな。


 大丈夫。


「お前は大丈夫だ」


 進め!


”危ないよ!まだ踊らないで!”


 ダンスや曲はこいつを威圧してしまう可能性がある。

 威嚇と取られて逃げたり攻撃されたりしたらそれはそれで困る。

 確かに、無駄な電力は使わせたくないが。

 俺はこいつとのコミュニケーションは踊りと笑いしか知らない。


 手の届かない距離でステップを踏み出した俺に、髪の毛の部分を触手に変形させて何本か刺し込んできた。

 するりと避け、一歩離れる。

 一歩。一歩。


「ほら。届いてないぞ」


 そろりと近づいてきたが、まだ躊躇を感じる。


 ソフィアからコメントが入った。


”あんた、鱗粉持ってないの?”


 あれな。

 俺も常備したい。


”セラミック片なら少し持ってる”


”撒きなさい。サポートするわ”


 腰のポーチからなけなしの粉を撒く。

 これは撃たれた時用の虎の子なんだが、この際仕方ない。


 スフィアからの通信量が上がったのに気付いたのか、女巨人が警戒して上に意識を向けている。


”伴奏する。メアリさん追ってこれる?”


 つつみちゃんが曲調を変え、リズムに隙間を開け始めた。


”合わせます。どうぞ”


 単調だったベース音源がメロディを持つ。

 上がっていく音量に連動して俺の周りにソフィアの踊る映像が立体化され、増えてゆく。

 その数、十一体。


”こんな使って大丈夫か?怖がるだろ”


”もう、四の五の言ってられないよ”


”省エネだから脅威とは取られない筈よ、吹けば飛ぶ強度だけどね”


”動きますよ!”


 かかった!


 俺やソフィアに伸ばす触手が多く、太くなり、引き摺られて本体の移動もズルリと開始される。


 そろりそろりとおっかなびっくりだった歩みは、俺らに集中するにつれそのスピードを上げ、躊躇は溶け消えてゆく。


「そうだ走れ。もっと速く!」


”理解できる訳ないじゃん。馬鹿じゃないの”


 つまらない事言うな。


”こういうのはな。きのもんなんだよ”


”変なの”


 低電力下でこれだけ大量に誘導行ってる貴女の方がよっぽど変です。


 先ほどの天柱石での重厚な音色とは違い、今辺りを満たす曲は明るく、軽く、ひたすらアップテンポだ。

 楽しさだけで構成された和音の流れからは、不安感や違和感が徹底的に排除されている。

 こういうの即興で構成していくのはウルフェン・ストロングホールドの、つつみちゃんの十八番だ。

 しっかりついていくメアリの音楽勘も流石だ。


 ああ。


 巨人が跳ねている。


 跳ねて、跳んで、追って来る。


 そうだ。


 楽しいだろ?


 ダンスってのは愉しむもんだ。

 苦し紛れに手足を振り回すのは辛いだけだ。


 いやしかし、移動しながら踊るのは辛いな。難易度が高い。

 脚運びが難しい。


”補助したげる、こっち寄こして”


 またっすか。


”ここで?”


 このふかふかぐっちゃり泥炭に覆われた山道。流石に転ばされそうなんだが。


”そんなよちよち歩きじゃ今に転ぶわよ”


 割と巧く踏んでたはずなんだが、自信無くすわ。


”そこまで言うなら、任せましょうか”


”ふん”


 権限を渡した途端、クンと俺のスピードが上がり、フィギュアスケートバリの大胆な重心移動に手足が振り回される。滑る足元に泥炭が飛び散り割ける。

 中の人を考えていない荒々しい動きについて行けず、目が回りチカチカする。

 一応、前に進んでいるな。さっきより速いまである。

 ステップも崩れておらず、流石はソフィア先生。

 でも。


”もうちょいお手柔らかに出来ませんかね。そろそろブラックアウトするぞ”


”ポンプ強めたら?高性能なんでしょ?”


 俺を怖がらせたいのか、迫る触手のギリ前に身体を晒し、付かず、離れず、巨人を挑発する。

 ムキになった精霊は迫る速度を上げ、いつまでも俺たちを捕まえられない触手を小馬鹿にするソフィアの笑い声が風に乗って流れ始めた。

 ボンボンとあのブザー音も元気を取り戻したみたいだ。


 何だろう。これ。

 なんか笑っている様に感じる。

 感じるだけで、データ的な解析は出来ていない。

 でも、こいつからそう感じられるんだよな。


”つつみちゃん。音楽の感じ方って人それぞれなのか?”


”うん?”


 一小節挟み、リズムに載せてログが届く。


”音による感情表現は万国共通だよ。経験によって誤差は生じるけど。何の音を聞いてどう感じるかは、その魂の基本原則は不変なの”


 魂の基本原則か。

 音博士が言うのなら、本当なんだろう。

 何時の時代も、音楽は言語の壁を飛び越えてきた。


 こいつのブザー音が表現しているモノは、表現したいものは一貫している。


 俺から見ると、これはちょっとズレてるんだよな。


 正しい表現方法を教えてみたくはある。


”メアリ。こいつにケイ素生物用の音声出力アプリ送ってみて良いかな?”


”止めてください”


 しょんぼり。

 即答かよ。


 耳元のスピーカーからため息が聞こえた。


”そんなモノ。いつ作ったんですか”


 お?


”飛行船の後、うちの準社員が増えたろ?コミュニケーションに不安が有るからディスカッションしながら一緒にデバックしてるんだよ”


”なんという事を・・・”


”思考を音に出すくらいしか出来ないけど、こいつスピーカー自前で搭載してるみたいだし、上手くいけば静かになるかも”


 正直、この音波攻撃は地味に嫌だ。ファージのハッキングより全然苦手だ。

 身体が原子分解されそうな恐怖感すらある。


”やってみても良いですが、失敗したら消失させますよ”


 おおう。

 そうきたか。

 神をも消すとか恐れ知らずなナチュラリストだな。

 こいつの格納の為に皆四苦八苦してたんだが、容赦なく消去とか。このデータ渡すのってそれだけ危険なのか。


 勢いをつけて斜面を跳ぶその刹那、横回転に身を任せる最中に女巨人を見る。

 完全に遊んでいる。

 差し出される餌に喰いつき、手を伸ばし、犬みたいに嬉しそうに追い縋ってくる。


”失敗なんてしない。こいつはもっと可愛い声で笑える筈だ”


”なんですかそれは”


 だろう?


 巨人のくりんとした瞳が一瞬俺と合った。

 ブワリと抜ける音圧に頭がクラクラする。


”お好きに”


 うぃ。


”遠慮なく。ソフィア、一旦こっちに戻すぞ”


”ふん”


 上げた手を振りにっかり笑うと、ソフィアのヘイトが外れて俺に集中し始めた。


”生意気なスリーパーね”


 ソフィアは面白くなさそうに後ろ向きでステップを踏み、一つに収束した。


 華を奪った価値は直ぐ分かる。


 回り、腕を振り、ゆるりと指先から出したファージを巨人へと接続した。

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