第272話 山姫

 皆、万全の態勢で待ち構えていてた。


 炭で覆われた山道に表示されるルートをそのまま登っていくと、斜面の中ちょっとした広場に出た。薄く白霧に煙る正面のデカい壁が天柱石だろう。もう普通に視認できる。思っていたより大きく、かなりの圧迫感だ。

 石柱の根元には積んだ石でできた小さなお堂があって、周辺は墨が全く積もっていなかった。メアリが除去したのか?そういえば、墨の霧はもうほぼ無くなったな。ファージは若干濃いが、もう普通の霧だ。

 上を見上げると、薄く雲がたなびく先、囲っている真っ黒な巨壁の上に見えるまん丸に開いた蒼い空は、現実感が薄い。降りてはこないが、雀みたいな鳥の群れが風に煽られながら天柱石の真上を大量に飛んでいる。墨が取り除かれたこの空気の綺麗な空間は、石を中心に八ヘクタールくらいだろうか、数値上の表示だと周辺の墨壁は高さが二百メートル近くある。

 目の錯覚で視認すると遠近感が仕事しないな。違和感しかない。

 この弾丸みたいな形の巨石は、資料では五、六十メートルだと聞いていたが、もっと巨大に感じるな。石自体も墨で汚染されてない。

 あれか。人工知能が炭素の付着したファージを寄せ付けないようにしてるのか?


 メアリとその部下たちが方円隊形で柱の真ん前に陣取り、岩陰では傭兵たち二人と可美村、井上が防壁を展開してその前でつつみちゃんたちと外交官を守っている。

 残りの傭兵一人は消えている。たぶん、俺らの後ろに居そう。

 広場全体にスフィアを展開しているな。

 細密な音波の檻は、三千院が不審な動きをしたら即座にその肉体を寸断するだろう。

 ドロドロと取り囲むベースの音は、今にも飛びかかろうと全身を軋ませる猛獣の筋肉のアイドリングみたいだ。


 どうすっかな。


「んで?やるつもりなのか?」


 炭の塊男は下唇を出したみたいだ。顎の炭がパラリと零れた。


「平和主義でね。荒事は好みではない」


「隔離か首を落とすか、選んで頂きましょう」


 透き通るメアリの声がベースの隙間を縫って静かに響く。


「踵落としは二度と喰らいたくないそうだよ」


「では、隔離します。奉納の最中は疑われるような行動は謹んで下さい」


 メアリの声の圧が小さくなった。


 返事代わりに片手の平を上に向けた三千院は、引き摺っていた死体を抱えると広場の隅に腰を下ろし、炭の山となってそのまま動かなくなった。


 メアリがその周りを地面も含め隔離作業をした後、つつみちゃんに許可を貰い、やっと一息。

 でも隠れた傭兵は出てこない。

 三千院は気付いているのかいないのか、何も言わない。


「山田副代表。こっちに来ておいて」


 つつみちゃんの猫なで声が凄まじく無気味だ。

 もしかして、俺はまだ三千院の魔法に誑かされてるのか?


”バカな事考えてないで、早く来なさい!もう始まるわよ”


 ソフィアが呆れている。


”山田副代表。皆には既に告知してありますが、最中は決して笑わないようにお願いします”


 メアリが謎な事言ってるけど、何かの暗号か?


”了解”


 そして、つつみちゃんのベースが止んだ。


 全員の位置を確認した後、メアリの手下が背嚢からフライタイプの無人機を放出し始める、その数二百五十六機。投光専用だな。

 熊蜂程度の大きさから発せられる若干オレンジがかった可視光線は光量の強い小型ライトだ、黒く高い壁に囲まれ、薄暗かった巨石の全貌が次第に露わになっていく。一個あたりの輝度は二万ルーメン程度だが、これだけあると石が太陽みたいに輝いて見える。バッテリーの量の割りに光が強い、あのエンジンブロックから融通してるのかな?

明るい中でよく見ると、空間内の植物は墨に汚染されているモノが少ない。地面には積もってるからどういう処理が為されているのか。

 奉納後にこの島を掃除する時に、この仕組みは環境回復に使えそうだよな。メアリは既に知ってるのかな。

 違和感に気付き周りを見渡すと、飾り灯篭を内側から見てるみたいに、影絵っぽい巨大なモノが外周の墨との境目にユラユラ蠢いているのが視認出来る。

 何だあれ?

 今見てる走査機器たちでは判別が綺麗にできない。

 影絵の元となる物質は、墨との境界面でなくこの空気の綺麗な空間全体に存在している。

 ある程度無人機ライトたちの位置が確定し、天柱石を中心に光源がゆっくりと旋回を始めると、メアリが重なった飯盒の機織機っぽい筒を取り出し、展開し始めた。

 折り畳まれていた平たい筒の部分を伸ばして広げ、ガシャリとレバーを端から端まで引くと、六弦が張られ、キュルキュルと自動調律される。

 アレは、携帯式の和琴か。


いつの間にか祠の前に敷かれた茣蓙の厚い座布団、そこにすらりと牡丹で正座したメアリが両腕をピシリと張り伸ばした。指先には、鈍色の金属爪がライトを反射して眩しく輝いている。

 トンと澄んだ音で鼓が一つ鳴り、鼓を肩に載せたメアリの部下たちがメアリを囲んで腰を下ろすと、綺麗な空気に満たされた空間全体がミシリと鳴動した。


 空間を割り裂く弦の振動が一つ。二つと増えてゆき、綺麗な和音の流れができ始める。

 その凛とした和音から派生してファージ全体が意思を持って動き始めた。

 円筒形の空間が、天柱石を中心に張り詰め、引き締まっていくのがファージ越しに見える。

 つつみちゃんの整頓作業とは違う、あの兎神の繭玉生成に似た濃密な誘導ネットワークが広がる。


 俺にも分かる。この空間に、在る。

 何か居る。

 メアリたちによって掛けられた無数の網の糸を掻き分け、巨大な何かがこの生け簀の中全体で蠢き、藻掻いている。


 想像してたのと誘導手順が全く違うな。

 これは、手探り感が無くシステマチックな雰囲気がする。


”お気づきですね。コメントは控えてくださいね”


 メアリが弾きながらもレーザー通信で文字を打ってきた。


”聞きたい事ばかりだけど、了解”


 見学だけだ。見るのが仕事。

 つつみちゃんに通信を気付かれたっぽいが、何も言ってこなかった。

 全員が儀式に集中している。


 何度か同じ作業が続き、”蠢く何か”は石の社を中心としたファージの檻に収束しそうでしていかない。

 データの中心はぬるりと滑って北に流れていってしまう。

 いう事聞かないのか?


 明らかに嫌がっている。


 そして、メアリたちにファージの触糸を無数に伸ばしてきた。


 ライトに炙り出された光るイソギンチャクの触手っぽい形状のファージが、大小様々、無数に群がっていく。

 なんか苦戦してないか?

 アレが体内にぶっ刺さったら面白くない事になりそうだ。


 野太い音を立てて、後ろで三千院の炭の塊が息を吸い込んだ。


 ブワリと吹き出された大きな息が、形を持って光るイソギンチャクに吸い込まれてゆく。

 三千院が片手を上げ、その手が吹き飛ぶ。

 隠れてた傭兵が撃った!

 頭を狙ったけど、炭を纏った腕に阻まれ当たっていない。

 もう一発。そして肘から先が跳ね、飛び散る。


「メアリ君、助けたつもりだが、何故殺されなければならない?」


「山田代表、止めさせて下さい」


 メアリが声に出した。

 つつみちゃんは俺を見ている。


”おっさん!止めろ!殺さなくていい!”


 三発目は無かった。


 三千院に駆け寄る俺を誰も止めなかった。

 ファージ誘導でない組織修復剤をスキットルから出す。

 欠損した肘から先は拾い集めるのが手間なくらいバラバラだ。


「とりあえずかけるぞ?」


「不用心だね」


 俺の心配かよ。


「要らないのか?」


「御厚意には甘えようか」


 ファージの防壁は穴が開いていない。

 ホントに只、息を吐いただけだ。でも、その息に鱗粉が混ざっていた。

 実体化して見えるイソギンチャクたちは、巧妙に隠されていた細い触手も鱗粉によってさらけ出している。


 差し出された腕に、ドクドクと流れて炭に吸い込まれる血の上から修復剤をぶっかける。これでは止血されない。


「体内誘導使って血を止めろ」


「無いから出来ないよ」


 ああん?


 仕方ないので止血帯で炭塗れの上から腕を無理矢理縛る。

 こうしないと血流が強すぎて塞がらない。


「暫く動くなよ」


「見たまえ。綺麗だね」


 聞いちゃいね。


 三千院の目は俺の後ろ、メアリたちの方に向いている。

 痛くないのか?目に苦痛の色が無い。


 振り向くと、ライトを照り返して淡く光るイソギンチャクの触手の中で、目のデカいお面を被った女の巨人がメアリたちの音色に合わせ、首を荒々しく振り、手足をバタバタとコミカルに動かして踊っていた。

 バリ島の民族舞踊っぽい極彩色な外見で、ゴテゴテとアクセサリーを沢山纏っている。

 鱗粉によって形を得た巨人が、自らが操るファージでメアリたちへの浸食を強めていく。

 負けてるぞ?

 流石にコメントさせてもらう。


”メアリ、植物発電だ。太陽光ある限り押し負けるぞ?”


 電力確保の為に植物に炭が積もってなかったんだな。

 メアリたちのエンジンブロックでは出力が追い付いていない。重低音で唸りを上げる神輿は真っ赤に焼け始めている。


”分かっています”


”メアリさん、スフィアから四十八アンペアなら九十秒融通できるよ”


「しじゅうはち」


 つつみちゃんからのログに、一心不乱に琴を奏でていたメアリがリアル音声で呟く。


”メアリ。送電カットは不味いのか?”


”それは無いです。あくまでも、完全生成された状態で奉納しないと綺麗に纏まりません”


 ああ、そうか。消し潰すんじゃなくて奉りたいんだもんな。

 どうしたもんか。


 そもそも、こいつはそんな事されたいと思ってい無さそうだ。

 メアリたちに膨大な量のハッキングをかけつつも、隙あらば墨の霧を抜けようとして電力を吸われて諦めてを繰り返している。

 一定の高さ以上には存在出来ないのか。

 逃げたいけど墨の檻で逃げ出せないんだな。

 確かに、上空のファージはかなり薄い。アレでは移動以前の問題だろう、霧散してしまう。


 ふと。以前、兎の繭玉を見ていた時ののじゃロリが言ってた事、あの時の表情を思い出した。

 慈しみとか、優しさみたいなのに溢れた眼差しだった気がする。


”メアリ。これは格納しないとダメなのか?”


”今更何を。そういう条約でしょう”


 まぁ、そうなんだが。


”この島を自由に参拝するのは問題無い。俺が保障する。でも、こいつをここに押し込めておく必要はあるのか?”


「あなたは、またそんな」


 震える声で睨まれた。口に出てるぞ。

 まぁまぁ、落ち着け。


”陸奥国府では人工精霊の奉納に関してどういう法整備なんだ?”


 気分的に、突き刺さる無数の触手たちを吹き飛ばしたいのか、怒りを押し殺した息を細く吐き出す。


”消失が危ぶまれる場合においては、超法規的措置が許可されます”


 おっけ。


「外交官殿、ファージ異常の収拾業務が困難な場合、今回結ばれた条約の文言は流動的な解釈をして良いのかな?」


 皆が集まっている所に戻り、都市圏の外交官に聞いてみる。


 目に見えて顔色が悪い外交官は、吹き出る脂汗に目を細めメットの中を拭きたそうに身じろぎした。


「私ですか?ええ。陸奥国府との問題に発展しない範囲で柔軟に対応する事は、子細ありません」


 よし。


「メアリ。逃がそう」


「簡単に言ってくれますね」


 最早、悪意を持って俺を睨みつけてくるメアリ。


「わっはっはっはっ!」


 満たす音色を押し開き、馬鹿デカい笑い声が木霊した。


「メアリ君!山姫は毎年通るよ!」


 三千院の馬鹿笑いに反応したのか、巨人がギョロリと笑い声に近づき、光る触手たちが三千院に群がる。

 笑うとこういう反応なのか。これは困るな。完全隔離しないと普通に死ぬわ。

 てか、何だ?こいつ感覚器が連動するのか?

 そういや、メアリの前で踊ってる時も威圧してる感じだったな。

 いやまさか。


 完全隔離された三千院に浸食出来ず、消失する触手に苛立っているのか、手変え品替えハッキングかけては失敗している。

 檻の電力消費が上がってるのを見て、つつみちゃんが苦い顔をしている。


「権能を逃すのは了承しました。ですが、炭素霧の遮断装置は山の麓です。この状況で電力融通は難しいでしょう」


 確かに。墨に全部吸われるな。


「スフィア送れば起動出来るか?」


「無理ですね。コントローラーからの切断はインスタントでは出来ません。この一帯だけに限定しても、効果が出るには一時間はかかります」


 だめじゃん。


「そもそも。逃げ出さず、隔離しやすいこの状況の内に奉納する手筈でしたので」


 あ、はい。

 現状だけでも、エンジンが焼け落ちそうだもんな。

 電源艦もここまで届かせられないしなあ。

 炭霧の中、無線で電気通せないからこんな面倒な事になってるんだ。


「墨霧の上に引っ張り出して海まで移動させられないかな?」


「地上から離すと電力を吸われて一瞬で消失するでしょうね」


 ダメか。


 墨霧が邪魔過ぎる。

 地面から電気取れないなら、電源艦の電気喰ってもらうのは?


「電源艦の電気使わせるのは駄目なのか?」


「人工の電力を使わせると味を占めて災害のトリガーになりますので、奉納以前の話になってしまいます」


 だよなあ。


 電力さえあればな。地面に墨霧が入ってこない道を無理矢理隔離してそこを通ってもらえば良い。

 つつみちゃんのコントロールするスフィアでイケるか?

 四千八百ワットで九十秒じゃあな・・・。

 北に逃げたがってるけど、ここから浜まで十キロはある。

 こいつがそんなに早く動けるようにはみえない。


「三千院。毎年通り道は決まってるのか?」


「そうだよ!モッチョム岳から上陸した山姫は竜神の背を通ってここから小杉谷を抜けて、太鼓を叩いてマスクイするのが習わしさ!」


 もちょ?暗号多すぎて良く分かんねえな。

 とりあえず、道が有れば通るんだな?


「メアリ。通り道作るだけで良いよな?」


「それが出来なくて困ってるんですが」


 まぁまぁ、そうカッカしないでよ。


「可美村。電源艦は今位置どこだ?」


 墨霧を通さなくていいなら普通に電源艦は使える。


「ええ。今屋久島空港の四キロ沖を巡行中です」


 ちょい東にいるのか。


「神社の北辺りに寄せられないかな?」


「連絡取りました。四分後に到達予定」


 仕事が早い。素敵。


「ソフィア。霧動かすの得意だろ?ここから北の浜まで道通してくれ」


「あんた馬鹿?こんなぐちゃぐちゃな中、電気有ったって出来る訳ないでしょ」


「ぐちゃぐちゃじゃなきゃ出来るのか?」


つつみ先生を見る。ソフィアも見た。


「電源艦の出力有れば、スフィア直列で整頓だけなら」


 流石先生。


「直上にスフィア並べ始めよう。墨霧の上に置いておくだけなら問題無いだろ」


 スフィアの移動が一番時間喰いそう。


「ルートは私が知ってるよ!」


 炭の塊がアッピルしている。

 腕の血は止まったみたいだな。

 こいつは一応空気を読む。たぶんカウボーイ本体と似た思考だ。アホな裏切りとかはしないだろう。


「メアリ」


「知りませんよ」


 隠さぬ苛立ちを声に出す。俺に対して砕けた返しは珍しいな。


「大丈夫。どうせ問題があれば決闘裁判なんだろ?そうなったらプロに任せておけよ」


「一度まぐれで勝ったくらいで、調子に乗らないで下さい」


”一度お情けで勝たせてもらったくらいで、勘違いしないでね”


 メアリ。

 つつみさん。


 非道い。

 俺頑張ったのに。


 自己主張を強くガラリとメロディーラインを変えたメアリは、悲鳴ともとれる唸りを上げる真っ赤なエンジンブロックや、全体を支配し始めたつつみちゃんのベースに負けじと凄みのある笑みを浮かべ音色に気迫を込める。

 その笑みに反応して攻勢を強めようとして失敗し続けている、戸惑いとハッキング攻撃の複雑な感情表現を見せながら踊る巨人に向けて、膨大なプログラムを叩きつけ始めた。

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