第255話 霧に覆われた島

 俺の起きていた時代でも、人の争いに歯止めなど無かった。

 国外を見ればハーグ法もジュネーブ法も息してなかったし、人二人が口を開けば、そこに常に争いの陰が付きまとう。国際法は利用する為もので、守る為のものでは無かった。第二次世界大戦の戦勝国が自分勝手で作ったルールを、有難がって順守を心がける日本は情弱まで言われて表立って嘲笑されてた。

 苦虫を噛み潰してニコニコするしか術が無かった。当時はそれが当たり前だと思っていた。

 諦めていた気がする。

 人はそうやって傷つけあって生きていく生物なんだって思っていた。

 それが普通の生き方なのだと。

 その時の俺は、争いの当事者の自覚は勿論無かった。

 世界で一番平和な国に生まれ、外を歩くときに後ろから銃で撃たれる心配も無く。小銭欲しさに駅で刺される心配も無く、夜一人でコンビニに夜食買いに行って、自販機で酒も買えて、ちゃんと生きて帰ってこれる。

 争いなど口喧嘩程度で、殺し合いどころか殴り合いすら稀な社会。

 そこに疑問など抱かなかった。


 その社会を作り出す為に、長い年月と、地道な労力と、多大な犠牲が必要だった事に気付いたのは、既に世界が二度も崩壊した後だ。


 今日本をまとめている政府は国民を守る気などさらさら無く、街単位、企業単位で血で血を洗う戦争をしている。戦国時代並みに入り組んだ勢力図は毎日かたちを変え、変わらないのは国家の象徴くらいだ。


 日本列島の一番大きな争いの元は、北関東に集中している。

 さいたま都市圏群と陸奥国府は、関東平野の北の峰を挟み、あらゆる手段で互いに傷付け合ってきた。


 緩衝帯で翻弄されてきた勢力の一つ、みなかみの住人は、何百年もかけてじわりじわりと、自らの権利を主張するまでに強くなり、今では二つの勢力の間にしっかり自分の居場所を確保した。


 只生きるだけなのに、とんでもない労力が必要となるこの世界が、俺の当たり前になりつつある。


 昔の夢はほとんど見なくなった。

 今見るのは。

 茶坊主する夢とか。

 土下座する夢とか。

 ベース聞く夢とか。


「いつまで居眠りこいてんの?カメラ回り始めるよ」


 ん?


「・・・準備出来てるよ」


 口がすぐ動かなかった。ソファが気持ちよくて、目を瞑っているだけだったのに。意識が飛んでいた。


「どうだか」


 さっきの夢の中で俺を茶坊主扱いしてたサワグチは、既に出発の準備を整えている。


「お化粧直しまで待った方が良い?」


 目の前で無人機の調整をしている記者は、俺の肌艶が気になるみたいだ。


「いや、大丈夫だ。もう皆準備出来てるのか?」


「横山さんが起きるの待ってる感じ。つつみさんが少し寝かしておけって」


「それは失礼」




 番記者に色々聞かれた後、ノイキャンされてたのにどうやって聞いてたのか尋ねたら、なんてことは無い。冷蔵庫の後ろに埃だらけのシールに見せかけた盗聴器が貼ってあった。押し入った民家で電源引っこ抜く訳にいかなかったし、これは気付きにくい。

 文字情報に変換してデータ受信してたらしい。

 そう、こいつは生体接続者だ。

 亡命後帰化したナチュラリストで、州防の秘密作戦部の隊員だった。

 素性は墓迄持っていく規定なので勘弁して欲しいと言われた。

 よく政府が許可したなと言ったら、州政府のパワーバランスは結構カオスで、ナチュラリストの息も結構かかっていると言う。

 俺らを囲んでたのとはまた別だという親告。誰が敵で誰が味方なのか、もうわけがわからん。

 この記者も流石に、想定外の人選だ。

 スミレさんたちは知ってたのかな?

 今後、こういう奴が普通にもりもり紛れ込んでくるのか?


 本人にバレた事でDNAの採取は保留。契約通り正式に取材をさせてくれと言う。厚かましさにも程がある。

 佐藤が許可出すんだから、仕方のない事なのだろう。

 傭兵は州防作戦部と聞いてめっちゃ苦い顔をしていた。

 改めてつつみちゃんのスフィア使って全身エコー検査してもらって、その後四人呼び戻したんだから相当だ。


”ボウズ、気を付けろ。ランク別に幾つも作戦保持してる奴らだ”


 こいつ、殺し屋並みに厄介なのか?


 外には既に三千院が戻ってきていた。

 調印の段取りを付けてきたと言う。


「ちょっと遠いんだけどね。浜津脇神社の境内まで移動するよ!」


 カウボーイは、どこかで拾ってきた小枝を旗代わりに振って、ツアーガイド気分だ。

 浜津脇までとなると、ここから西に五キロ以上移動する事になる。

 あらゆるテロ組織がウロチョロしてて、ファージ濃霧煙る中徒歩五キロはきついな。


”都市圏の代表は誰が出るんだ?”


”わたしとよこやまクンも立ち合いするけど、代表はシミズさんだよ。大宮の議員の”


 清水?

 つつみちゃん知り合いなのか?


”誰だ?”


 冷たい眼差しを頂いた。


”大宮の地下開発現場、視察の時案内してもらったでしょ”


 あの時の目つきの怖いポニテの女性か。


”既に向こう出たって。五時間後、神社に直で来ると思う”


 リスキーだな。

 人柱だ。

 可哀そうに、ご破算になる前提で生贄にされたな。

 まぁ、失敗させる気は無いけど。

 五時間ってことは。


”グライダーで?霧の中降りてこられるのか?”


”ファージ使わなくとも普通に飛べるし。護衛のヘリも来るって言ってるけど、撃ち落とされるのだけ気を付けないとね”


 つつみちゃんも成功させる気だ。心強い。


 俺らは五時間以内に向こうに着いて、地上の防衛を完成させとく必要がある。

 敵対行動する勢力はかなり減ったが、安全には程遠い。


「途中畑のど真ん中の道を通らないとなんだ!そこだけ車で移動するよ!徒歩は流石にわたしも守り切れない!」


 三千院から待ったがかかる。


”ボウズ。遠回りで森に沿って行くルート提案してくれ、守り切れねぇ”


 更に傭兵たちから待ったがかかった。

 俺も、この状況で車移動はリスキーなイメージしか思い浮かばない。

 せめて装甲車でも有ればな。

 残念ながら今の種子島には一台も無い。


「三千院、畑のど真ん中の道路は車でもリスキー過ぎる。別ルートを提案する」


 傭兵がざっくり送ってきたルートに、霧の濃度と天気予報を重ねて若干修正、つつみちゃんと佐藤にも見てもらう。


「うーん」


 珍しく、直ぐの返事は来なかった。


「一応、通れそうなルートは全部見てきたんだよ。通る予定の道路は現在進行形で録ってある。地雷もワイヤーも見逃さない筈さ。キビ畑で刈入れが済んでない所が一部あったが、そこ以外は見晴らしが良かったからね。狙撃以外の心配はいらないんじゃないかな?」


”だそうだぞ?おっさん。どうする?”


”ルートがバレるのが面倒なんよ。隠せるか?”


”そりゃあ”


 無理っすな。

 避難民は霧の中移動は控えるだろうが、忌諱剤使って通り抜ける奴が居ないとは限らない。誰にも見られないようにするには無理がある。

 車移動してる時点で、要人てんこ盛りなのはバレバレだ。


”それは仕方ないだろ”


 それに。


”五時間後に議員が来るってのに、徒歩で行って防衛構築間に合うのか?”


 身バレの危険が大きすぎるから連絡は何度も取れない。

 でも、この霧の中、今の俺らではこちらの人数を把握されてしまうと数の暴力には勝てない。

 車移動も良し悪し。

 俺らが口開けて待ってるだけで、ヘリで来た奴らに防衛も作ってもらうとか論外だ。全員撃ち落とされて全て御破算になる。


”そもそも、あの辺り建設ラッシュで地上も地下もジャングルなんよ。移動し易いから選んだんだろうな。奴らも騙されて捕まる可能性を考えてるんだろ”


 テロ前に公開されてたMAPや映像で見ても、確かに神社周辺はジャングルだ。地上も地下も九龍城並みに入り組んでいる。


「相談は構わないけどさ!とりあえずこの集落の端まで移動するよ!」


「あのっ!」


 記者が、三千院に負けない大声で挙手した。

 出鼻を挫かれまくって固まった三千院が、ギギギと音がしそうなくらい無気味に首を硬く回し、凄い目で記者を見ている。


「少し回り道ですが、ショートカットになるルートがあります」

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