第243話 二ノ宮菫
「スミレさん、色々済まなかった」
第一声、とりあえず首を垂れる。
目を瞑る。
上げる頭が無い。
俺のつむじを見て暫く黙っていたスミレさんは、何を考えていたのだろう?
あの白髪はストレスだよなあ?
原因は俺以外で何がある?
自意識過剰という訳ではないが、スミレさんにここまでストレスを抱かせる要因なんて、クソスリーパーの暴走以外他に思い付かない。
「つつみとソフィアがね」
少しこそばゆい感じの変わらぬ艶声に顔を上げた。
「染めると絶対気付かれないからこのままの方が良いだろうって。リョウ君。やっぱり似合わないかしら?」
「スミレさんはいつも綺麗だ」
俺の腐った眼でジロジロ見るのも失礼な程に。
「あら。お上手ね」
ソファの裏からつつみちゃんに膝を喰らった。
あれ?
リョウ君?声に出して言ったよな?
思わず、周囲を見回す。
いや確かに、このメンバーの中で山田さんで通す理由も無いが、聞こえる範囲で貝塚の兵も警備についてる。ケイ素生物も聞き耳立ててるだろうし。マスコミも外で集音やってるだろ。一応、建物のノイキャンはしっかりしてる筈だけど。
この場で言う意味って?
やっぱブチ切れてるのか?
スリーパーとして扱うって事で良いんだよな?
「この大層な斥候の意味は聞いていいのか?」
念の為確認しておこう。
俺の問いに満足したのか、可美村が注いだ紅茶の匂いを嗅いでからカップに口を付ける。
「陸奥国府から永住権を得たそうね」
つい顔色を窺ってしまう。
話題としては避けられないよなあ。
どんな返事をしても角が立ちそうだ。
ナチュラリストからの評価に対する応えがこの警備か。
スミレさんの保安というより、都市圏の俺に対する取り扱いの側面の方が強いって事かな。山田太郎イコール横山竜馬って事は既に都市圏にバレているんだ。陸奥国府に取られたくなくて、それを公にするつもりなんだ。
返答に迷っていると、スミレさんは言葉を続けた。
「元々、案件としては存在していたのだけど、うちだけでは手に余る規模だったの。かといって、大々的に言い出すのも問題が有ったし」
何が?
ああ、軌道エレベーターの事か。
貝塚と舞原を説得(脅迫)したんだっけ?
「リョウ君には旗頭になってもらったわ」
スミレさんに言われるなら、二つ返事で是と言おう。
「俺で勤まるなら。喜んで」
スミレさんは俺の言葉に背筋を正し、小さく頷いた。
後ろの秘書軍団が一斉に大容量通信を開始した。
窓際で経過を見守っていた貝塚に、スミレさんが意味あり気に貝塚に流し目を送ると、貝塚は肩を竦めた。
「二人の堅苦しさを加味すると、もう少し拗れると思ったんだがね」
何だ?俺で賭けでもしてたのか?
「それでは。現時刻より、軌道エレベーター開発計画を始動する」
ん?え?アレ!?
そういう話だったの!?
凛として良く通る声でスミレさんが周りを見回しながらそう宣言し、秘書の殆どは通信を続けながら早足で外へ出ていった。
時間をチェックした貝塚が笑みを深める。
「今日は人類の歴史的な節目となるだろう。傅くしかなかった地上の民が主導権を持つ事になった」
貝塚の問題発言から時を置かず、着陸していたグライダーたちが一機だけ残して四方へ飛び立ってゆく。
うーん。完全に垂直離着陸型だ。航続距離とか最高対気速度どんくらいなんだろ。
「またあなたはそんな事を」
スミレさんが窘めようとするが、貝塚は言葉を続ける。
「聞かれようと構わないさ。どうせ今日明日中に供給も全て戻るのだろう?破棄される筈だった音波共鳴炉が手に入ったって事は、下も賭けてみようという判断だって事だ」
あ、やっぱそういうヤツだったのかアレ。
未確認物体にかこつけて俺諸共消し飛ばす予定だったのか。
貝塚が俺を見る。
「ショゴスに懐柔策を提示させたのは君が初の快挙だよ」
そうなのか?
散々やってそうだったけど、ああ。そうだな。
そもそも、そういうアプローチが出来る存在じゃなかったな。
コミュニケーションに関しての研究はされていたけど、放逐された家畜と”交渉する”という発想がそもそもこの世界には無かった。
俺だって、ケイ素生物を通してショゴスがコントロール出来るっての知ったのつい先日だったし、貝塚とかメアリは詳しかったみたいだが、駆け引きするケイ素生物自体がレアケースだったっぽいもんな。
「偶々、ケイ素生物が美味そうな餌見つけただけだろ?」
あいつら、電気が欲しくて出張してきたけど、親子共々自滅しかかって泣きついてきた様にも見える。
「肉嵐の進路はこれまで一貫性が無いと思われてきた。彼らにも意思が有り、欲がある。となれば、滅ぼすより共存した方がコストは低い」
「わたしがリョウ君と話しているのですけど」
「おっと。窓際に退散だ」
ワザとらしく肩を竦めて、テーブルのソーサーを一つ持ち離れていった。
忙しそうに通信を始めている。
改めて俺を見たスミレさんは、米神を軽く押さえた。
「やっぱり気になるかしら?」
「失礼。そんなつもりでは無いんだけど」
つい目がいってしまう。てか、一瞬なのに目敏い。視線感知起動してるのか。となると、胸とか腰のラインにチラチラいってるのもバレバレなのか?
これは非常に不味い。只でさえピンチで逃げ出すクソ野郎なのに、これではストップ安だ。
一瞬合った目は怒りの欠片も見られなかったが、俺は赦されたのか?
「赤道の低軌道を高速周回するショゴスがコントロール出来るかもしれないとしたら、話は軌道エレベーターだけでは無くなるわ」
「というと?」
「それによって赤道圏のプラズマバブルに干渉できる公算がある。無力化が出来れば、白紙化したムーンベルト計画案が現実味を帯びてくる。今世紀中に月との再接続が可能になるかもしれない」
背筋がゾッとした。
そこまで一気に進歩する話だったのか?
おっと、つつみちゃんがスフィアを移動させている。
クレバー。クレバーに。俺は油断しないぞ。
人類は月のコロニー化に一度失敗している。
まだ上空にショゴスも無く、宇宙開発が活発だった頃、月に研究拠点を構築した人類は細々とだが成果を増やしてはいた。
ショゴスの異常増殖を起因として赤道付近でのプラズマバブルが大規模化、通信障害は悪化の一途を辿り、その沈静化も不可能、テープの維持もままならなくなった。
結局、度重なるテロや戦争と維持費高騰により軌道エレベーターは切断され、宇宙との物理的な接続が経たれた。
ロケット輸送は高が知れている。コスト的な限界で物資の届かなくなった月の拠点はビオトープ化にはほど遠く、帰ってくる為の資源も確保できず、三年と経たずに全滅、完全に施設は死に、今ではビーコンすら停止している。
最期の一人まで死んでいく様は地上との通信により克明に記されており、人類最大の悲劇として本にも映画にもなっている。
「あのケイ素生物と脳幹がそんなに権力持ってる存在なのか?」
そんな大それた奴らには見えない。
「カリマンタン島付近上空に存在するショゴス群は、大小合わせて四億五千万トン。あの脳幹とケイ素生物は、シンガポール上空のハブ空港を乗っ取ってるショゴスも含めて、そのほとんどを掌握出来ていた可能性があるわ」
マジか。
「それは・・・」
あいつらが俺らの言う事に賛同してくれるかどうかは兎も角。
やり方があるって分かっただけで大進歩だ。
「まだ彼らとの交渉はこれからだけど、契約を交わせる程の意思疎通が可能な個体がこのタイミングで発見されたのは驚きね。まるで」
覗き込む目は俺の浅い底を掻っ攫うくらい鋭い。
そうか。あの脳幹たちがコントロールする素振りすら見せなかったのは、自分らの価値を把握していて情報隠匿の為だったんだな。
「この時を待っていたみたいに」
ああ。
やっぱスミレさんだ。
「自慢じゃないけど、宝くじには当たった試しがないんだ」
俺は固定値しか信じない。
「そういう自慢はしない方が良いわね」
きめ細やかな肌の細い指がするりと伸びてきて、カップに伸ばした俺の手にしっとりと触れる。冷たく、柔らかい。久々に起動された古いアドレスからの接触通信で、接続深度を堂々とチェックしながら皮肉気に口を尖らす。
どんな仕草もサマになる美人は卑怯だ。俺が本物か確かめたのか?妙に大胆だな。ゾクゾクする。怒っているんじゃないんだよな?
後ろでつつみちゃんが小さく咳払いしている。
「今なら、何故あなたが下から生きて戻ってこれたか分かる気がするわ」
いや、違う。それはそんな大層な事じゃないんだ。
風呂敷の大きさを誤解されては、俺の今後の進退に関わる。
「それは誤解だ」
「いいえ」
きっぱりと。否定された。
「あなたは。何が有っても。切り抜けて。生き残って。成し遂げるでしょう」
「結果論だろ。人一人が出来る事はたかが知れている」
嬉しそうに微笑んだスミレさんは、俺の手を離し、ソファに背を預け脚と手を組んだ。
「舞原商事とは昔から取引が有ったわ。貝塚グループとの三社合同計画は青写真としては有ったのよ」
頷いておこう。
「綺麗な鯉だったな。プレゼントか?」
少し目を開いた。
「気付いてたの?」
あ。やっぱあのデータセンター前の池の鯉はそうなのか。
はったりだけど、当たったみたいだ。
「あら。一本取られたわね」
少し悔しそうだ。
「北に入ったのは知ってたけど。桐生以降途絶えて、亡くなったと思ってた」
「そんな顔を、しないでくれ」
こっちまで悲しくなる。居たたまれなくて目を伏せた。
少し潤んだ瞳は演技には見えない。
「貝塚の衛星から来たタバコ機構のアクセスに気付いて。その時は政子にはぐらかされたけど。炭田を取られない為だと思ってたわ」
あー。やっぱあの接続気付かれてたのか。
まぁ、そりゃ当然か。
あれ?あのファージ屋の親父は二ノ宮と繋がってるんじゃないのか。
あのおっさんが誰とどう繋がってるのか、丁寧にお話を聞いておく必要があるな。
「この間の人工知能の大規模生成でリョウ君だって確信して。まさか九十九里のヤマダタロウがリョウ君だとは思わなかったけど」
時系列が段々ハッキリしてきたな。
クスクス笑っている。
「大分暴れしたみたいね」
「そんな。トラブルメーカーみたいに」
バカウケしている。
「本当に」
笑い止んだスミレさんは、涙目で綺麗に笑った。
「生きてて良かったわ」
その顔を見たら、返す言葉も詰まってしまった。
いい加減成長したいものだ。
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