第242話 対抗措置
コテージ内に急遽特設された無菌室にて。
俺の目の前にある開けっ放しの治療ポッドでは、中心静脈栄養液のプールの中でショゴスの脳幹ちゃんがバチャバチャと水浴びをしている。
時々内容液をはね飛ばすのは、ワザとなのか無意識なのか判断しにくい。ベタつくから嫌いなんだよこれ。
スミレさんが来るまでの片手間に可美村から頼まれた子守り。手が無い母親の代わりに溺れないよう見ててくれと仰せつかっているが、そもそもこいつ、肺もエラも無くて表皮呼吸だろ。どうやって溺れるんだよ。
窓際の植木鉢から、同じ栄養が欲しいと強く要望したケイ素生物用の生体マイクを通して毒親の甲高い声が響く。
「よーちよーち!良い子でちゅね!ちょっと!あなた!目を離さないで下さい!」
「黙れクソが。ねじ切るぞ」
不穏な空気を感じたのか、動きを止めた脳幹はポッドの縁にヒレを載せ、俺をジッと見ている。気がする。目が無いから多分だ。
「何でも無い。お前の事じゃない」
駄目だ。俺まで染まりそうだ。
大丈夫、大丈夫だぞ。怖がるな。そうそう、泣くんじゃないぞ?
気が立っていてぞんざいな態度をしてしまい、自己嫌悪は加速する。
俺は保育士じゃないんだ。
必要なら専用の飼育員を派遣で雇うべきだと言ったが、スミレさんに聞いてからと突っぱねられた。情報漏洩や信用度の問題があるし、分かっちゃいるけどさ。
ああ、あと一時間もすれば、スミレさんがここにやって来る。
ついさっきまで、カメラを多角的に設置しコテージのドアに向け土下座の練習をする俺を、つつみちゃんと貝塚に冷ややかな目で見つめられていた。可美村がなんか可哀そうなモノを見る目で、見るに堪えなかったのか口を挟んできてそれで子守りを仰せつかった。
井上?いつも通り爽やかな真顔でデータ整理してるよ。
今のスミレさんに対しては、脳缶止む無しかなとか、覚悟は半分まで決まっている。生き汚い俺は、もし言い渡されたら我慢できずに首を掻っ切って焼身自殺するかもしれないけど。それはそれ、これはこれ。
ごめんなさいはちゃんと態度で示す。
始末書も進退窺いもちゃんと用意してある。
何も仕事が無くて飲み会しか頑張らない上司が、部下のケツ持ちの為に記者会見で眩しい頭を見せる時はこういう気持ちなのかなとか思い、部下も上司も居ない俺は自分のケツは自分で拭くからそれには該当しないだろうと冷静に分析する。
つつみちゃんは名ばかり上司だし、可美村と井上は出向の派遣だもんな。
この九十九カンパニーにおいては、実質、俺が最下層民と言っても過言ではない。
慣れない保育業務に苦闘してる俺の仏頂面を見たかったのか、貝塚が可美村を伴って顔を出した。貝塚は、帰らないのかとせっついたが、忙しいだろうに、スミレさんの顔を見てからと譲らなかった。こいつ絶対面白がってる。
「順調に回復したようだね。群れを作る兆候はあるかい?」
そういや、このショゴス司令塔なんだっけ。
ケイ素生物に赤ちゃん扱いされてるからどうも調子が狂う。
本当に司令塔かどうか、俺には判断できないけどな。浅瀬のユムシもコントロールする兆候無いし。
この毒親人工知能は騙すらしいから、全部自作自演の可能性も否定できないじゃん。
「今の処無いな。ケイ素生物に出す通信以外は感知していない」
「成程」
色々意味の詰まった”なるほど”なんでしょうね。
「そうそう。つい今しがた、まだオフラインの話だが、査問委員会の設立が決まったよ」
「はい」
キタカ。
横の可美村が変な顔をしている。
「僭越ながら、わたしも参加する予定だ。非常に有用な情報が得られそうなのでね」
「はい・・・?」
ん?
可美村クスクス笑っている。
「副代表のではなく、ケイ素生命体とショゴス脳幹のですよ」
なんだ。驚かすなよ。
「何だね?何か後ろ暗い案件でも抱えているのかね?」
すっ呆けた顔しやがって、知ってて聞いてきてるんだよな?
お茶目さんにカテゴライズすんぞ。
「だそうだぞ?襟元正しとけよ?ケイ素生物君」
「責任の所在に関しては、所属する組織の役員に帰属すると明記されてますので。全く心配はしておりませんわ」
「ケイ君、勘違いしないで欲しいんだが、只々俺らに責任があるというのは語弊がある。責任において意思決定が行われるという解釈が妥当だ」
こいつが勘違いしないように、そこははっきり言っておこう。
お?黙ったかな?
「騙したの?」
ん?ケイ君のコメントに貝塚が触毛を動かした。何か勘に障ったか?
「お前らが何でもやって良いと思わないように俺らのモラルを意識してもらうだけだ。それが出来なければ”出来ないモノ”として扱わせてもらう」
叫び出すかなとか思ったが、そうはならなかった。
「元々そういう解釈だったのですか?」
ケイ素生物はスピーカーを指向性にして貝塚に聞いた。
「メアリ君が書いた条文は我々のスタンスに関してはバランス感が非常に良く保たれた物だ。その点は否定しないよ」
でも地下市民の想定が抜きなんだよなあ。
地上の事だし、当たり前か。
貝塚としては、地上の民は一方的に地下に首は垂れないって事なんだろうな。地上は地上の立場で、上を目指すって事なのだろう。
協力したければ顔を出せ、くらい思ってるのかもしれん。
「貴台の最重要はショゴス脳幹の保安と見受ける。その生命と尊厳を尊重する為に最大限の努力をするという事は、今回作った書面によって完遂出来るだろう」
「あなたも同じ認識なのです?」
俺?
作成当初は全部理解してなかったけどな。
それを言う気も無い。今は概ね。
「そうだな。俺らの会社の比重はもっと少ない方が好ましかったが、立場上イエスと言う感じだ」
「ケイクンとしては、発展性のある関係が好ましいですわ。その為の努力は惜しむ気はございません」
何を考えているんだ?
聞こうとしたらつつみちゃんがやってきた。
「スミレさん来たよ。後二分で到着」
外で待ちたくなくて、玄関のドア横で立ち止まってたら、つつみちゃんから背中を押された。
「ふざけてないで、浜辺にヘリポート用意したんだから、そこで迎えるよ」
ぐぬぬ。
外に出たら、オフライン管理された無人機が大量に飛んでいてびっくりした。
会社周辺の警戒度は貝塚と被らないように抑えていたので全然気付かなかった。
東西南北二十キロ四方が警戒区域に指定されて、高高度から低高度まで、四種類くらい飛んでるな。
かなり金を掛けてる。
低空のは小型が多いが、高高度には強力なレーダー搭載の早期警戒機が少なくとも四方に三機は見える。
この浜辺にある九十九カンパニー本社を中心に緩く渦を巻いて飛ぶ大量の無人機たちの、その異様に厳重な警戒度に、俺は困惑せざるを得ない。
皆当然みたいな顔をしてるが、何でだ?
そりゃ、スミレさんも重役ではあるし、ここは地域柄治安が悪いけど、ここまでするほどか?
事前連絡では警備は二ノ宮で担当するとしか明記されてなかった。
通達を引っ張り出してもう一度目を通す。
どう見ても弊社に向けた実に簡素なアポ通達です。
思わずコード解体して暗号機にかけてしまった。
使われてる無人機たちは、貝塚製じゃないな。
俺の知ってるスペックではない。
二ノ宮の自社で作った新型だろうか?
兵器とかは貝塚の方が一歩先のイメージだったが、ガワだけ自社なのか?
「ん?」
西から、渡り鳥の編隊みたいに見える白い点々、低空で蜃気楼に揺れている。あんな低くてテロとか大丈夫か?ああ、だからこんなに警備が厳しいのか。無人機飛ばすだけでなく、地上でも広範囲にやっているんだな。
あれがスミレさんだろう。
こちらに一直線に向かってくる。
ヘリかと思ったけど、形が変だな。
ぬおお、自前で走査したいけど失礼だし。
その白い飛翔体の編隊に少し遅れてついてくるヘリは民間機みたいだ。
民間機?
白い奴らから音がしない?後ろのヘリたちの音だけ聞こえる気がする。
ノイキャン良いの積んでるって訳でもなさそうだよな。内部には兎も角、スフィア山のように侍らせないとどうやっても音は漏れる。
遠目に見える家屋に影が差し、距離感が掴める。
やっぱ音してないわ。
こっそり視力強化を行い、近づいてくるその形状を確認する。
随分翼が長いな。
ああ、グライダーか。
ヘリポートしか無いのにどうやって着陸するんだろ。
ジェットスーツで飛び降りてくるのか?
あんまスミレさんにそういうイメージ無いよな。
「お?おおおおおおおっ!?」
低いプロペラ音を出して上空で制止したグライダーの一機が、風上に頭を向けながらそのままヘリポートに直下で着陸してきた。
翼内部にプロペラが格納されてる!垂直離着陸機だ!コレ。
双翼のトンボというかツバメというか、流線形の綺麗な機体は思ってたより全然大きい。
客室ユニットは小型コンテナくらいあるぞ。
なんだこの飛行機!?
”完全無音航行出来るんだってさ”
隣に来たつつみちゃんがログをくれる。
”何なんだ?この飛行機”
”スミレさんに聞いたら?今朝公開発表だって”
なんと。
ガルウィング式に翼と尻尾を畳み、折り鶴の形で制止すると、パレットマシンがガレージ裏からやってきてコテージまでの道を敷いた。
無人機やヘリから大量のフラッシュが降り注ぐ中、フォーマルでキめたスミレさんがゆっくり降りてくる。
こちらを見て手を振る。
歩き出そうとする俺の肩を、つつみちゃんがはっしと掴む。
”土下座は止めてよね”
”分かってる”
そこまで空気読めない子じゃない。
近づいてきたスミレさんに愕然とする。
米神の白いのが髪留めかと思ったら、白髪だった。
俺の視線に気付かれて、一瞬だけ苦笑いされる。
「随分久しぶりね。中々時間が作れなくて今日になってしまったわ」
それは対外的な理由だろう。
更に驚いたことに、後ろに続く秘書軍団の中にソフィア二号がいる。
すまし顔でソレっぽく控えてるけど、大問題だぞ?聞いてないんだが。
メンタル的に大丈夫なのか?
「新社屋、案内してくれるかしら?」
「そんな大層なもんでも無いけどな」
軽く頭を下げて先導する。
つつみちゃんはスミレさんと並び、マスコミ向けの世間話をオープンチャットでにこやかにしている。
コテージ入り口でマスコミはシャットアウト。
リビングに入ったら、暖炉前で談笑していた貝塚が寄ってきた。
「スミレ。随分豪華な機体だね。驚いたよ」
「あら?知っているものかと思ったけど。明日は雨かしら?」
「空から降る物には当分コリゴリだよ」
「みたいね」
スミレさんに席を勧めた後、貝塚に着席を促すと、つつみちゃんに肩を抑えられ俺だけ座らされた。
「どういう事だ?」
何も聞いてないんだが。
「君でも狼狽える事があるんだね」
貝塚も愉しそうだな!
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