第239話 音波共鳴炉
それから、メアリとケイ素生命体との間で電磁波による相互通信が秒間平均三十回程度行われ、百項目近くあったチェックボックスが次々に埋まっていく。超高速で交渉が行われている、内容はログになっているが、流れが速すぎて眼が追い付かない。
要注意項目以外は後でチェックしよう。
項目全てにチェックが付くまでにかかった時間は九十秒。
敷き詰められていた汚いショゴスとその死体たちは、橋から零れ落ち、沸騰した海水に消えていった。
「行きましょう、少し走りますよ」
メアリは振り返り、全員を見渡した。
こいつが敵じゃなくて良かった。
汚い海水の上の歩道橋は終わり、邸宅の瓦礫地帯を飛び越え、黒い構造体の真ん前まで来た。
丁度ここは飛行船の中心部なのかな?
元は富豪の邸宅だった区画に半分頭を出す形で盛り上がり、周囲の海水を沸騰させ瓦礫の隙間から吹き上げている。
凄まじい熱量だ。廃熱が追っついてなくて、皆が背負ってる吸熱機構が赤熱している。轟轟と唸る突風は飛び交うショゴスやゴミを纏った海水の所為で最早壁だ。
これ放射能とか大丈夫なのか?
一応放射線量は基準値以内なんだよな。
無人機とスフィアは風が凄くてここに近づけない。防壁の中に待避してた物で安地から電磁波通信させてなんとか機能している。
”そのフジツボが生えていない所の前に立ってください。認証をかけます”
”見せて良いのか?”
俺が鍵だってバレて良いのか?
”大丈夫です”
”そうか。わかった”
メアリがオッケーしてつつみちゃんと貝塚が何も言わないって事は大丈夫なんだろうな。
崩れたプールとなぎ倒されたヤシの木の間、屋敷の白壁を突き破って熱気を放っている黒い鏡面の前に立つ。バイザー越しでも顔が焙られてピリピリする。
鏡っぽいが、透明な表面の皮一枚下で真っ黒な何かが大量に蠢いている。
青森のダニが付いた豚革とは全然違うな。
これはこれで、見てるとゾワゾワする。
五秒もしない内にビシャッと何かが沢山飛び出てきた。
分かっちゃいたけど、びっくりした。表面からべとりと垂れて、半分以上が白くなってる、死んでないか?コレ。
豚鼻じゃないな。人の頭くらいのでっかいオタマジャクシに見える。俺の認証をやっている。
”思ったんだけど”
”何ですか?”
”地下は電力をショゴスなんかと共有する事を許すのか?”
返事が一瞬無かった。
地上の人類としては、共有は有りだろう。
でも、地下市民は、どうなんだ?
殲滅して入れ替えとか結構過激な選択肢だった気がする。
実質、この契約ってショゴスの保護に該当するよな?
それってアウトじゃね?
今後の宇宙進出に問題が出そうだ。
種子島はショゴス居ないから有りなのか?
でも微妙なラインだよな。俺らの作った契約書は問題無いだろう。
でも、俺が地下市民だったら不合格通知出す。
これはあいつらが求める未来設計としてありえない。
振り返って聞こうとした瞬間。
「ぎっ!?」
見えていたオタマジャクシたちが爆発した。
全部被った!熱っつ!汚ぇ!
壁面は鏡面に戻ってしまった。
関係ないけどバイザーを手で拭ってしまう。
これ、寄生虫の卵とか付いてないよな?
”遮断されたね”
「見ればわかる!」
思わず貝塚に突っ込んでしまった。
”いや。都市圏の地下からの供給が全面ストップだ”
何だってーっ!?
自分らからプレゼント用意しておいて、買う権利が無かったから更に罰とかふざくんなマジで。
絶望するのは後だ。
俺に今できる事は何だ?
”メアリ。どうする?”
落ち着け、自分。
”っ。そうですね。地下とのパイプより、この未知の人工知能の格納の方が優先度は高いです。駆け引き出来る知能は警戒レベル五の災害級です。契約反故にならぬよう、早急にこの構造物を停止する必要が有ります”
”方法は?”
”内部に入って直接接続。機能停止を指示します”
言いながらインスタントキーのアプリを起動すると、俺に手を差し出す。
その手を握る。
ファージ接続が開始され、俺の頭の中にマイクロ秒単位で配列を変えるペンローズ型可変リスト構造体がプログラム作成されていった。
大丈夫かこれ?オフラインだけど。俺の頭焼き切れないよな?
”強引にいくので、アクセス時に少しバックラッシュが発生します。気を強く持っていて下さい”
”無茶言うな”
ギュッとメアリの手の力が強まり、心構えの暇も無く目の前が明滅。バチンと全身が感電し衝撃で一瞬意識が飛ぶ。
目の前からの、全身を嬲る強風に我に返る。
真っ白だった視界が晴れると、目の前に見覚えのある穴が開いて荒く息を吹き出していた。
”先導します。付いてきてください”
”メアリ!”
メアリが先に立ち穴に入ろうとすると、慌てて何人かが近づいてくる。
メアリはそいつらを睨んで止めた。
”失敗したら貝塚にケイ素生命体を破壊してもらいます。直ちに有効範囲から離れなさい”
”何でお前ばかり貧乏くじを”
あ。撃った。
メアリが抜き撃ちで拳銃を撃った。
それ以上言えず、バイザーを拳銃で撃たれたそいつはメットを押さえて下を向いた。
”早く!”
”撃ちたければ撃て。ここで待つ”
しゃがみ込んだそいつに習って皆座り込んでしまった。
「ああっ!」
柄にもなくメアリが荒立った声を上げる。
「時間が無いんだろ?早く行こうぜ」
キッと。
バイザーで見えないが凄い目で睨まれた気がする。
「付いてきて下さい」
怒りを噛み潰し、メアリは俺の手を引いた。
中に入った途端入口は締まり、真っ暗な中を進みながら、メアリは手持ちの機関銃を乱射し始める。
気でも狂ったのか?
”メアリ?”
”あなたは大丈夫ですが、異物は排出されるんです。ダメージを与え続けないと、排出機構が生成されてしまう”
なるほど。
”それって俺だけ入れば良かったんじゃ?”
”外部とは無線も有線も一旦切断されます。ケイ素生命体にナビゲート頼みますか?”
それは勘弁してほしい。
ぬ。
なんか足元がブヨブヨ緩いな。こんなんだったっけ?
”新型!?対処が早いですね”
ずぼずぼと脚を取られながら足元を撃つ。ヤバ気だな。
”俺がメアリ背負ったらどうなるんだ?”
メアリが固まる。
”やってみましょう”
折角の巨乳美女、アトムスーツとアシストスーツ挟んでるので全くお得感が無い。
でも結果は大成功だ。
若干足元がぶよぶよ安定しないが、沈まなくなった。
メアリが指で先を指す。
”もう少し進むと倉庫エリアの先に上り坂がどこかにある筈です。そこを登ると中央管理室がある筈です”
”わかった”
認証前は危険すぎるのでソナーもレーダーも撃てない。
”ある筈”に命を賭けるのは本来したくない。
いくら学んでも、この世界には俺の想定外が多すぎる。
メアリの不機嫌さが伝わってくる。
はあ。
こういう時、何か気の利いた事が言えれば良いのだが、何も出てこない。
俺はカウンセラーでも映画俳優でも無いが、慰めの言葉一つ出ないのはもどかしい。
フワッと、背中が軽くなった。
乱射音に振り向くと、メアリが天井にめり込んでいる。
俺の銃を向けると、メアリが叫んだ。
「早く行って!あと三十秒無い!」
んな事言っても。
「ナビ無いと分からないぞ」
「接続すればヘルプが有ります!緊急停止コマンド実行するだけです!」
「見れば分かるのか?」
「走って!」
くそっ。
「死ぬなよ」
びちゃびちゃ蠢く肉の中、手も使って駆ける。
広場に出た。
床だと思った足場が無く実は水面で、全身が液体に沈み、一瞬驚く。
呑気に手探りしてる暇はない。仕方なくレーダー走査をかけると水中や水上に穴がいくつか空いてる。
とりあえず俺にカウンターは来てないな。一安心。
どれだよ!?
えっと、ここが倉庫エリア?だよな?
上ってる道はどれだ!?ソナーを撃つ。
あった!一つだけだ!
纏わりつく水を掻き、滑る身体を固定する為、肉の道にザクザク手足を突き刺し登っていく。
「行き止まり!?」
上を殴ったら薄そうだ。
肉壁にアシストスーツごと両手をぶっ込み引き捌く。
少し明るい部屋に出た。
垂れ下がった大量の臓器に紛れて、見覚えのあるものが目に入った。
あの四つ耳が頭に被った脂肪の塊みたいなメットだ。
座席っぽいのもいくつかある。
コンソールは無し。
つまりそういう事か。
座席に座り、バイザーの上から載せてみる。
無反応。当然か。
凄く、いやだ。
でも、急がないとメアリが死ぬ。
肉で圧搾されるか、排出されて三百度の熱水で茹でられるか。
あいつのそんなとこ見たくない。
気体組成の確認もそこそこにバイザーを取る。
ムワッとした熱気が顔を包んだが、意外に臭くもなく、気圧も安定して呼吸も苦しくなかった。
脂肪の塊を被る。
ねちゃりと、頭半分が包み込まれ、暗闇の中目に何かがぐりぐり当たった。
びっくりして剥がそうとしたが離れない。
耳にも何か当たった。
「こまんど入力をして下さい」
ゴボゴボと泡立つ声が耳元でした。目の前に音声も文字表記される。
「緊急停止!」
「緊急停止こまんど」
「実行!」
「緊急停止こまんど実行」
全体の振動が目に見えて収まっていく。
「何が出来るんだ?」
コマンドが羅列された、出来る事多すぎ。目次だけで表示スクロールが止まらん。
「内部に異物がある筈だ。一気圧を保って内部に格納出来るか?」
「多数有ります」
「全てだ!」
選んでる時間が惜しい。
「倉庫エリアに格納開始。百二十秒後に完了予定」
良し!
「これ取りたいんだけど」
「切断承認。許可します」
引っぺがしてもと来た道を滑り降りる。
暗闇の中、先から大きな水音が聞こえた!
「メアリ!生きてるか!?」
下の池には頭を上にして仰向けで浮かぶメアリがいた。
動いていない。
「メアリ!」
水をかき分け近づくと、咳き込み吐く音がした。
肺にファージ誘導をかけようとしたらキャンセルされた。
自分でやるらしい。
「停止出来たみたいですね」
声がザラついている。気道が傷付いたみたいだな。
見ると、メットもヒビ割れて浸水し、手足がひしゃげていた。
鼻と眼にも出血が見られる。脳は無事か!?
「補修材はあるけど、どうする?ここで治療するか?」
「医務室がある筈です。一度有線接続したなら、無線接続が確立されてると思います。見取り図かガイダンスの出力は出来ますか?」
「両方出す」
接続は直ぐに見付かった。
ガイダンスの要求から見取り図の出力、メアリにも送ると、途中で切断される。
「なんだよ!」
「私はそのデータは見ない方が良いでしょう」
ったく!真面目ちゃんだな!
「いくぞ。背負うぞ」
息を止め少し潜り、背負いながら浮き上がる。返事は無く、押し殺した悲鳴が微かに漏れただけだった。
ぽちゃぽちゃと、天井から水面に何か小さい塊が落ちてきている。
ギョッとして確認したら、メアリが撃った弾丸と薬莢だった。
そりゃな。全部って言ったもんな。
「格納終了」
壁から泡ボコ音声が聞こえ、大きいモノが水に落ちる。
起きた波で煽られ、ストレスで絞られた胃を片手で押さえながらその原因を走査する。
半分液体に沈んだそれは、俺とメアリを合わせたよりサイズが大きい。
立方体、いや、八面体の物体は、ぶくぶくと泡を出しながら煙を吹いている。
「メアリごめん」
やらかした。
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